第71話


 ぐったりと消耗しきったまま、カイリは馬屋へと向かっていた。

 午後の商店街はとても賑やかだ。あまりに賑やかに過ぎて、今のくたびれ果てたカイリには辛いものがある。


「……まー、見事にくたびれてんなー、カイリ」

「……誰のせいですか、誰の」

「オレのせいか? いや、違うな。お前の体力の無さのせいだ」


 納得いかない。


 声に出さずにぶつけてみたが、隣を歩くレインは何処吹く風だ。それどころかカイリをまるで無視し、ハートマークを瞳の中に輝かせる女性達に、へらへらっと手を振って挨拶をしている始末である。

 ぐるんと恨めしげにエディとリオーネを見やったが、二人も苦笑いをしながら静かに目を逸らした。味方が一人もいない。

 そう。カイリがこんな恨めしい気持ちになったのには理由がある。

 朝食が終わった後、早速聖歌語への抵抗の訓練に入ったのだが。



 これが、酷かった。



 全員で容赦なく、一方的に畳み掛ける様に聖歌語をぶつけてきた。まさに多勢に無勢で、カイリも聖歌語を叫んで念じてと防御するのに精一杯だったのだ。


 歌うな。喋るな。崩れろ。ひれ伏せ。雷。眠れ。這いつくばれ。焼き尽くせ。頭を上げるな。潰れろ。落ちろ。――。


 ありとあらゆる攻撃的な聖歌語の洪水に、カイリは懸命に弾き飛ばしたが、ついぞ攻勢に転じることは出来なかった。

 最後は何とか全ての聖歌語を弾き飛ばすことに成功したが、その途端カイリは見事に崩れ落ちた。体力切れである。

 しばらく起き上がることもままならず、レインが笑いながら担いでベッドに放り込んでくれた。水を飲むのも自力では叶わなくて、されるがままに飲ませてもらった。かなりの屈辱である。


 昼食を食べて休憩を挟んだが、疲労はほとんど回復しなかった。本気で限界を超えたらしい。

 おかげで、行う予定だった武術訓練と聖歌訓練が今日は免除になってしまった。己の体力の無さが恨めしい。


「い、いやあ。二十分ぶっ続けでやったんすから、新人! よくやったと思うっすよ?」

「そうですね。私だったら、……もう二度とやりたくないです」

「あー、そうっすねえ。ボクも絶対やりたくないっす」

「それをやったの、君達だからな……?」


 しかも、これが毎日続く。控えめに言っても地獄だ。


 しかし、二十分も続けられたことを考えると、それなりに長い様にも思えた。聖歌は一曲、長くてもせいぜい三分程度だ。

 要するに、聖歌は聖歌語よりも遥かに体力が必要ということになる。三曲歌うだけでへとへとになるのだから、如何に聖歌が持ち上げられるかがカイリにも分かった気がした。


「ま、今回聖歌語が二十分続けられたっていうことは、体力の配分が出来てきたからだろ。最初の頃なら、聖歌語一つでも結構きつかったんじゃねえの?」

「はい。確かに……」


 村を襲撃された時と、初日で第一位から逃げる時に使ったが、確かにあの時は一回だったのにがくんと体力が落ちた。

 それを考えると、よく持ったものだ。自分で自分に驚く。


「聖歌語は、配分さえ気を付ければそれなりに連発出来るからなー。持続時間もイメージが強ければ強いほど長くなる。瞬発的な威力は、元々カイリには備わってるから問題ねえし」

「聖歌の訓練は、聖歌語を使うための基礎を飛躍的に上昇させるものでしたから。カイリ様、頑張りましたね」

「そうなんだ……。ありがとう」


 最初に武術と聖歌の訓練に絞ったのは、基礎作りのためということか。明かされた事実に、何事も基本なのだなとカイリは唸った。

 だが。



 ――聖歌も聖歌語も、前世の記憶が多ければ多いほど、強ければ強いほどその威力を増す。



 だから、カイリはかなりの力を持っているとフランツが指摘していた。

 その仕組みが、いまいち理解出来ない。聖歌語は前世でいう日本語だから、日本生まれのカイリはイメージを抱きやすい。そういうことなのだろうか。

 だが。



 そもそも、日本以外の国出身の前世持ちの人は、どうなるのだろうか。



 英語圏に生まれた者なら、英語が聖歌語になるのだろうか。

 だが、教会が指定する聖歌語は日本語だ。英語やカタカナも混じってはいるが、基本は日本語である。

 それに、今の所カイリは日本生まれ以外の前世の記憶を持つ人に会ったことが無い。絶対的に話す機会が少ないからだが、第十三位の者達は少なくとも全員日本生まれの日本育ちである。


 ――何だか、不気味だな。


 この世界で転生を続ける人だっているだろうに、そういう記憶持ちの人にもお目にかかれていない。

 それに、全員が前世を覚えているわけでもなく、騎士の人口も世界全体の人口の中では1%にも満たないという。

 ならば、聖歌騎士はその更に少ない割合というわけだ。この教会にいると感覚が麻痺しそうだが、確率論では何らおかしい話ではない。


 世界を回れば、分かることも増えてくるだろうか。


 歌や世界の謎は、少しずつ解き明かしていこう。

 最終目標をおぼろげに見定めて、カイリは重い足を動かし続けた。

 しかし。



「……やっぱり、ちょっと、待って下さい。少しだけ、休ませて……っ」



 がくっと、カイリの足が折れる。馬小屋までもう少しではあるが、このままでは乗馬が難しい気がする。

 荒く息を吐いてかがむと、レインが「しゃーねーなー」と苦笑して近くのベンチに座らせてくれた。


「馬に乗る前だが、ま、良いか。何か冷たい飲み物買ってきてやるよ」

「……すみません」

「って、レイン兄さん! ここはボクの出番っすよ!」

「っはは。普段はそうだが、おごるわけだからなー。ここは、一番年上のオレが奢るのがセオリーってもんだぜ」

「……レイン兄さん……っ!」


 くいっと、親指で自分を指し示すレインに、エディが感激した様に瞳をうるませている。両手を組み、片膝を突いて見上げる姿は、まるで神が降臨したかの様な感動っぷりだ。エディの第十三位崇拝ぶりは、結構酷いんだなとカイリは呆れる。

 しかし、そんなことを口にすれば木っ端微塵にされそうなので、カイリはあくまで笑顔で無言を貫いた。隣にいたリオーネも、生暖かい笑顔で見守っている。


「悪いが、リオーネ、手伝ってくれるか? エディ、お前はカイリのこと頼むぜ」

「分かりました、レイン様」

「もちろんっす! 任せて下さい! レイン兄さんの頼みとあらば、命を賭して守り抜くっす!」


 大袈裟だ。


 だが、エディ自身は大いに本気なのだろう。かなり自信ありげにレインとリオーネを見送っていた。

 何だか、耳と尻尾が生えていそうな彼の様子に、カイリは苦笑してしまう。本当にレインが好きなのだなと、ある意味感心してしまった。



「エディは、レインさんのこと、兄の様に慕ってるんだな」



 それは、何気なく零した感想だった。

 けれど、エディは何故かぴたりとオーバーなまでの動作を止めてしまう。

 変なことを口にしただろうかと、カイリが不安になって振り返ると。


「……、ま、当然っすね。レイン兄さんは、本当に『兄さん!』って感じですし。カッコ良くて憧れてるっす!」

「ははっ、確かに。レインさんって、軽そうに見えるのに結構気配り屋だし、頼もしいし、男の俺から見てもカッコ良いから。エディが慕うの、分かるよ」

「ふっふーん。分かってきたじゃないっすか。……」


 エディが自分のことの様に胸を張るのに、カイリも笑って肯定する。レインに助けられてばかりのカイリは、まさに彼の兄貴っぷりを日々実感していた。

 だからこそ頷いたのだが、何故かエディはまた止まってしまう。とすん、とカイリの隣に腰を下ろした。

 そのまま、無言が二人を取り巻く。常に明るく賑やかな彼が、ここまで物静かだと変な気分だ。少しだけ試合前のことを思い出して、落ち着かなくなる。


 ――俺、やっぱり変なこと言ったのかな。


 不安に駆られ、そろそろ何か切り出そうかとカイリが思考を巡らせていると、先に沈黙を破ったのはエディだった。



「……ボク、家族が欲しかったんすよね」

「――」



 しみじみとした言い方に、カイリは自然と声に吸い寄せられる。

 家族、とはどういうことだろうか。

 続きを待っていると、エディは頬を掻きながら照れくさそうにした。


「ボクには家族って、いない様なもんでしたから。んー……まあ、孤児じゃないっすけど、孤児みたいなもんだと思ってくれたら」

「……、そうなんだ」

「はい。……だから、四年前に第十三位に入って。ボクにとっては憧れでもあるフランツ団長の元で働けて。シュリア姉さん、リオーネさんと出会って。三年前にはレイン兄さんに出会って。ここが、家族みたいな場所になったら良いなって、ずっと思ってたんすよね」

「……そっか。確かに、第十三位ってあったかい場所だもんな」


 右も左も分からないカイリのことを受け入れてくれて、いつも美味しい食事を食べさせてくれる。

 一から聖歌のことを教えてくれるし、素人の武術の訓練にも付き合ってくれるし、少しずつ進めている歴史の勉強も教えてくれるし、優しくて親切だ。

 訓練や勉強だけではない。一緒に掃除をしたり料理をしたり、カードゲームもする。ビリヤードをしているのを傍から興味と共に観戦したり、飲み物を飲んで団欒だんらんもする。

 言われてみれば、家族みたいな過ごし方をしていると思う。――『家族』という単語に、カイリの胸の奥が温かくなると同時に、つんっと小さな痛みが走った。


 ――家族みたいな、場所。


 もう家族は失くしてしまったけれど、新たな居場所にカイリは今、身を置いている。大好きで、大切な場所だ。

 その中で、エディが溶け込んでいる様に、少しずつ馴染んでいけたら良いなとカイリは秘かに願った。



「あ。新人も、仕方がないから弟にしてあげるっすよ! 感謝するっす!」

「――っ」



 願っている傍から、エディが得意気に宣言してくれた。

 彼は、心を読めるのだろうか。長らく使われていなかった蝋燭ろうそくに火が灯った様に、ほのかな明かりと温かみが広がる。


「……そっか。ありがとう」

「……。……素直すぎると、からかい甲斐が無いっす」

「からかわないでくれよ。本当に嬉しいんだから」


 カイリが笑って肩を小突くと、エディも釣られる様に笑った。

 ひとしきり笑い合った後、エディが遠くを見つめる。

 その横顔はやけに感傷的だ。カイリは小さな疑問を抱きながらも、何となく圧倒されてそれを口には出来なかった。



「……、そうそう。新人、歓楽街にはあまり行かない方が良いっすよ」

「え?」



 唐突だ。

 そういえば、歓楽街があると前にレインとリオーネが言っていた。レインは時折通っているとも教えてくれたはずだ。

 いきなりどうしたのだろうとカイリが疑惑を咲かせていると、エディが笑みに苦味を広げていく。


「ボク、昔あそこで仕事してたんすけどね」

「え。そうなんだ」

「まあ、人には言えない悪いことっていうか……まあ、ははははは」

「……そうなんだ」


 乾いた笑いで誤魔化すエディに、カイリはそれ以上追及はしない。

 歓楽街は、あまり治安の良くない印象がある。前世のファンタジー小説での知識しか無いが、風俗店や盗賊の溜まり場、ガラの悪い飲食店などが並んだ場所では無かっただろうか。路地裏という、孤児や浮浪者の溜まり場もあった気がする。

 多分にかたよった知識の自覚はあるが、エディが誤魔化すあたり、印象が程遠いわけではないのだろう。昔はやんちゃだったのかもしれない。

 だが、今はこうして立派な教会騎士だ。それは、恐らく彼自身が努力して掴み取った栄光なのだと、何となく嬉しくなった。


「……何すか、新人。にやにやして」

「え? いや、エディが今こうして第十三位にいて良かったなって」

「ま、益々ますます謎っす……。……ま、良いです。とにかく、今もあそこって一部を除いて無法地帯ですし。歓楽街の奥の貧民街も治安が酷いし。新人は絶対踏み入っちゃ駄目っすよ」

「……分かった。あんまり行きたいって思わないし、大丈夫」

「……。……なら、良いっすけどね」


 納得したのか、エディは話を終わらせた。遅いっすね、とレインとリオーネの帰りを待ちわびる。

 しかし、何故だろうか。その横顔には、どこか安堵した様なさみしい様な、複雑な感情が浮き彫りになっていた。

 今の会話のどこかに、何か違和感が含まれていただろうか。かえりみたが、どうしてもカイリには突き止められない。

 大体、何故エディはカイリに今この時に、わざわざ忠告をしたのだろう。歓楽街はどの国にもありそうだが、この国の都市は特別なのだろうか。


 分からないのに、けれど聞くことも出来ず。


 何となく心にしこりを残し、カイリも早くレイン達が帰って来ないかと待ちわびる羽目に陥ってしまった。空気が重苦しい。エディの普段のやかましい賑やかさも皆無だし、本当に早く帰って来てくれと切実に願ってしまう。

 それに。



 エディのあの横顔に、カイリは既視感を覚えてしまった。



 遠い遠い昔のことだ。

 まだ、カイリが小さい頃。何の才能も無いと思い込み、歌を歌えるだけしか出来ずに落ち込んでいた頃。



〝大丈夫。だってカイリには、歌があるから〟



 そう言って、いつも慰めようとしてくれた人の顔と重なる。

 彼も、何故かカイリと話をする時、ひどく複雑そうな感情を滲ませることがあった。

 苦しそうに、悲しそうに、――悔しそうに。

 彼は――。


「――っ」


 ぶんっと、一度カイリは頭を強く振る。それに気付いて、エディが目を丸くして振り向いてきた。


「ど、どうしたっすか、新人」

「……、ううん。ちょっと、村にいた時のことを思いだしただけ」

「……そうっすか」


 間違ってはいないのだが、言い訳としては苦しい。それに、『村』というキーワードを出してしまったせいで、エディが一瞬辛そうに眉尻を下げた。

 だが、今のカイリに本当のことを言う勇気は無い。

 もし口にしてしまったら、――何となく、どろっとした真っ黒な何かが溢れ出てしまいそうな予感がした。


 何故、今、彼のことを思い出してしまったのだろう。


 村を出てから、もう一ヶ月以上が経つ。気が緩んでしまったのだろうか。

 今も生きているのか死んでいるのか、消息が不明な人。村に狂信者を呼び寄せた元凶。



 ――村を滅ぼした、他ならぬ仇。



「……っ」



 ぎゅっと拳を握り締める。エディがちらりと見つめてきたが、カイリはえて気付かないフリをした。少しだけ目を伏せて、波立ちそうな激情が通り過ぎるのを待つ。

 村を出てから今まで、こんなに彼について深く考えたことは無かった。それは、恐らく覚えることもやることも多すぎて、思考に余白が無かったからだ。

 けれど、今は。


「……、……エディ。そういえばさ。この商店街の先に、ハーレムサービスがあるんだって?」

「――えっ!? ……そ、そそそそそそそそうっすよ! ハーレムな! サービス! でも、どうしてそんなことを?」

「いや、えーと」

「――はっ! まさか新人、やはりリオーネさんに不埒なことを考えて! それを発散しようとハーレムなサービスを食い物に! 最低っすね! 最初に見込んだ通りっすね!」

「ち、違うから! そうじゃなくて! 前にレインさんが――」


 エディが大袈裟に身を引いて愕然がくぜんとするのを、カイリは必死に否定する。

 だが、そのおかげで嫌な方向へ考えが流れていくのを防ぐことが出来た。感謝する。


 そうだ。今は、考えたくない。


 生きているかどうかの仇を考えるよりも、両親達が願ってくれた通り、光差す未来を描いて歩いていきたい。

 故に、カイリはエディとつかの間の時を過ごす。レインとリオーネが帰ってくるまでの間、勝手に暴走するエディと賑やかに騒いでいた。

 だから。



 ゆっくりと忍び寄る心の影が、もう、すぐそこまで来ていることに、カイリが気付くことはなかった。


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