第117話
「つまり、奴は聖歌の力を受けているかもしれない、とわたくしは思いますわ」
「……、聖歌」
シュリアの結論に、カイリ達が一斉に押し黙る。重苦しい沈黙に、カイリも深く思考に沈んだ。
カイリの聖歌は効かなかったのに、あの男は誰かの聖歌の力を受けているかもしれない。
矛盾した謎かけに、カイリの頭は混乱を極めた。リオーネから教えてもらった他にも、条件があるのだろうか。
「色々疑問があるけど……聖歌語じゃなくて、聖歌なんだ?」
「ええ。聖歌語で、あそこまで強力かつ長時間持続するとなると、相当な……それこそ貴方……とまではいかなくても、それ相応の力を持つ人間の補助が必要になるでしょう。そうでなければ、聖歌語の場合は定期的な重ねがけが必要になります」
「重ねがけ……」
「そうです。わたくしやレインなら戦う合間に自分で出来ますが、奴は……心で念じていない限りはそんな素振りはありませんでしたし。それに、自力であっても念じている場合であっても、どうしても聖歌語を唱えるのに一瞬意識が行きますから。……一瞬の隙が命取りになる戦闘では、あまり得策ではありませんわ」
「……そっか。……元々戦闘する前からあんな感じなら、かなりの時間聖歌語の力が続いているってことになるよな」
「そういうことです。あの近くに人の気配はしませんでした。それこそ、戦闘が終わっても。広範囲を探知しましたが、襲われた女性くらいしか嗅ぎ取れませんでしたから、聖歌と考えるのが妥当でしょう」
シュリアが忌々し気に吐き捨てる。よほど尾を引いているらしい。
しかし、彼にカイリの聖歌語が効かなかったのは確かだ。益々混乱しそうになって、もう一つ疑問を提示する。
「でも、耳が聞こえない以外で、聖歌語が効かない人……というと、かなり抵抗力が強いってことだよね? そんな人に、聖歌をかける方法があるのか? それとも、既に聖歌がかかっているから、俺の聖歌語が効かなかったってこと?」
「それは……まあ。あるにはありますが」
「そうだな……。可能性があるとすれば、やはり事前の重ねがけで、ある程度の壁を作るという方法だな」
フランツが腕を組んで
「でも、新人は第一位の試合でも、聖歌語とはいえ聖歌騎士を含む複数の重ねがけをぶち破るほどの威力があるんすよ? あ、打ち消しの効果じゃなかったから、効かなかったってことっすか?」
「うむ……その可能性もあるにはあるが、どうだろうな。効果を念入りに重複させることは、時間をかければ可能だ。もし奴に聖歌がかけられていたとして、カイリの聖歌語と相反する効果であるならば、威力の対決になる。かけられた効果が強すぎれば、カイリの聖歌語一発では弾き飛ばせない可能性は充分にある」
「ですが、……カイリ様なら、揺らがせる、くらいの効果はありそうな気がしますね」
「そうですわね……念じ方が足りなかったんじゃありませんの?」
「え……ご、ごめん」
「ああ……。そういや、後は洗脳されてるってパターンもあるわな」
「せ、洗脳?」
また物騒な単語が飛び出してきた。
ぎょっとカイリが目を
「禁術とされてはいますが、ごくごく一部の教会の上層部などは、使っているという噂が昔からあるんです。後は、狂信者の上が使えるかもしれない、とも」
「……。洗脳って、自分に従えとか、そういう感じか?」
「何でも。カイリ様の言う通り、自分に従えという指示も出せますし、単純に目に入るもの全てを
「とはいえ、複雑な指示ほど聖歌を上手く扱えないと無理ですわ。だから、大体は単純な洗脳が多いですわね」
要は、操り人形みたいにさせるのか。
しかし、目に入る者全てを殲滅となると、街中に放り込まれたら大混乱だ。禁術とされるのも納得である。カイリは使えても絶対に行使したくはない。
それでも、疑問が残る。洗脳をされているからと言って、何故他の聖歌の効果が打ち消されるのか。
「……洗脳されてると、聖歌は効かないのか?」
「大抵は。洗脳は、同じ指示を何度も何度も、それこそ重ねがけをし、時間をかけて刷り込むのです。一日で終わる場合もありますが、何日もかける場合が普通ですわね」
「え……な、何日も?」
「ええ。時には、一日何時間というのを定期的に長期間繰り返す……という方法もありますわ。周りはもちろん、本人にすら気付かれない様に、ね」
「……っ」
ざわざわと、足元から得体の知れないものが這い上がってくる感覚に、カイリの全身に悪寒が走る。
己が気付かない内に洗脳をされている。それはどれほどの恐怖だろうか。想像して、がたっと大きく震えそうになった。
「そこまで深く刷り込まれると、脳がそれ以外の命令を受け付けにくくなるのですわ。……逆に言えば、それが洗脳されているかどうかの一つの指針にもなりますけれども」
「な、なるほど……」
「技術的には難しいと言われているので、誰でも出来るわけではないそうですよ」
「そ、そうなんだ」
聖歌騎士全員が使えたら、それこそ大混乱に陥りそうだ。リオーネの補足に、カイリもホッとしてしまう。
「ただ、もし洗脳されてる人の聖歌を解く場合は、よほど強い威力と回数をその人に繰り返し刷り込まなければならないんです。……解くのは至難の業だと言われていますし、私自身そういう場面に立ち会ったことがないので、よくは分かっていませんけど」
「相手を信頼していればしているほど、少ない回数や時間で洗脳出来たりもするらしいけどな。下手すると一発で落ちる時もあるって言うしよ」
「え! い、一発ですか?」
「あー、まああくまで噂だ噂。……ま、倫理や道徳的に反対も根強いし、表向きは全面禁止されてるぜ。教皇は知らねえけど」
レインの軽い
教皇は『洗礼』という名目を使って、扱いにくい者を調教や拷問をして言いなりにさせるという。それにはもしかしたら、洗脳も手段に含まれているのかもしれない。
目を付けられたとしても、絶対に逃げなければ。カイリは深く誓いを立てた。
「ただ、洗脳されていても、例外的に脳に通じる効果が二つある」
「二つ?」
例外があるならば、万が一でも突破口となる。
カイリが身を乗り出すと、フランツがぴっと人差し指、続いて中指を立てた。
「一つ目は、食欲。二つ目は、睡眠だ」
「え?」
食欲と睡眠。
それは、人間の生理的現象である三大欲求に分類されるものだ。もしかして、とカイリが顔を上げると、フランツが同意する様に頷いた。
「そう。つまり、洗脳していても、駒に簡単に死なれては困るからな。生きて行くのに最低限必要な食欲と睡眠欲は、洗脳された脳も辛うじて受け付けるということだ。命令以外を排除し、食事や睡眠を忘れると確実に死ぬだろう」
「……駒」
考え方の非道さに、カイリの眉が寄る。
洗脳自体が非道な手段であるのに、よりによって駒をただ生かすためだけに、例外を作るとは。その考え自体に吐き気がした。
カイリの顔がよほど不快になっていたのだろう。レインが、ぽん、と軽く肩を叩いた。
「ま、洗脳って決まったわけじゃねえけどよ。それに、その二つの効果も、洗脳を施した奴以外からは効きにくいらしいしな」
「……、……いえ。そういえば」
「ん? 何だよ」
レインの問いかけに、カイリは先程の戦闘を振り返る。死に物狂いで思い返し、
確かに、聖歌語は効かなかった。相手は怯みさえせずに、享楽的にシュリアに突っ込んでばかりいた。
けれど。
「最後に駄目元で、『眠れ』って聖歌語を放ったんです。……そうしたら一瞬、相手の動きが止まった様な気がしました」
「――何だと?」
フランツの声が
シュリアも遅れて、「そういえば」とカイリに加勢する。
「確かに、一瞬だけ止まりましたわ。わたくしも、小さな違和感は感じましたが」
「……そうなんだ」
「どうして連発してみなかったんですの」
「っ、ご、ごめん」
そこまで気が回らなかった。初めてのことだらけで動揺していたのだと情けなくなる。
だが、レインが「おら」ともう一度カイリの後頭部をはたいた。あたっと、カイリが頭を押さえて彼を見上げる。
「い、痛いです」
「シュリアだって、やれって言わなかったんだろ? 同罪だろうが」
「ぐっ、……それは」
「カイリは、……まあ、これからな。経験値稼いでいくしかねえよ」
ぽんぽんと、今度はあやす様に撫でられて、カイリの心が少しだけ持ち直す。
とはいえ、失態であることに変わりはない。もう少しどんな時でも冷静になれる様にと、肝に銘じた。
「まあ、もう一度会って試してみないことには話が進まんな。
「けど、シュリアが逃がすくらいだろ? リオーネだとちょっと危険な気がするな」
「ならば、シュリアを中心に陣形を組むとするか。詰所に言って、女性はしばらく夜に出歩かない様に注意してもらおう」
「あ、詰所の人達、良い人でしたよ! 何か、あの二人だけっぽいっすね。狂信者に従ってるの」
「そうなんだ……」
エディ曰く、あの二人が現在は詰所で実質のトップということだった。
あまりに横暴なだけではなく、職務は怠慢、事件の調査をする素振りさえ見せず、部下が動くと罰まで与えてくる。
その在り方に疑問を抱いており、部下達はこっそり聖地と連絡を取ろうとしていたそうだ。その書きかけの手紙を見せてもらったということで、一応フランツもエディも信じてみることにしたそうだ。
エディの話を聞いて、カイリは心の底から力が抜けた。あの二人の様な腐った騎士ばかりでなくて良かったと心から安堵する。
「リオーネは狙われやすいから、少し考えるか」
「けどよ、聖歌の力は試してみたいよな」
「もちろんだ。カイリ、危険はあるが、引き続きシュリアと行動を共にしてくれるか」
「はい。俺で出来ることがあるなら」
自分にも試せることがある。
それは、今のカイリには何よりも嬉しい話だ。空振りであっても、可能性を潰していけるのならば喜んで身を投じる。
――それに、シュリアにも叱られたしな。
最初から逃げ道を作るなど、一緒に作戦を遂行する相手に失礼だ。絶対に捕まえると宣言したことまで嘘になってしまう。
色々とマイナス方向へ考えてしまうのも悪い一面だ。前世ではもちろん、村でもなかなか直らない短所だった。少しずつでも改善していきたい。
「だが、二人だけだと予想外の対処に関して心もとないな……。レイン。一人で二人を尾行しつつ、相手を煙に巻けるな?」
「当然。双璧が揃ったなら逃がしゃしねえよ」
ぱん、と力強く手を叩いてレインが気合を入れる。
次いで、ぽん、と軽くカイリの頭を叩いてきた。思わず見上げてしまう。
「カイリ、今回はお前に頑張ってもらうからなー。打ち消しでも足止めでも睡眠でも何でも良い。聖歌語を放つことに集中しろ。もちろん、隙を見て聖歌も歌ってみてくれ」
「はい! あ、でも、……俺、まだ木刀振るいながら聖歌を歌うことは慣れていなくて」
「オレがボディガードになってやんよ。遠慮なく歌えや」
不敵に笑う彼の目に、
彼の強さに不安など微塵も見え隠れはしていない。その彼の在り方に、カイリは突き放されない様に気張った。
「――はいっ」
「よし。良い目だ」
ぽん、と満足げに頭をもう一度撫で、レインがフランツを窺う。
フランツも上機嫌で頷いた。
「方針は決まったな。ならば、情報の擦り合わせと行こう」
フランツの提案に、カイリ達も各々同意する。
その中で、ただ一人シュリアだけが、晴れない表情のまま会議に参加していた。
男を逃がした時の彼女の様子を知っているだけに、カイリは気がかりでならない。彼女は未だに自分を責めていると読めたからだ。
けれど。
――シュリアなら、大丈夫。
いつだってカイリを叱咤激励し、導いてくれた彼女だ。
本当に崩れ落ちそうな時は、今度はカイリが支えれば良い。
それまでは、ただ彼女の強さを信じて見守るだけだ。
フランツ達との話し合いが進んでいくのを耳にしながら、カイリは切り替えて自分に出来そうなことを模索した。
だから。
フランツが、一瞬苦しそうにカイリを見つめていたことに。
カイリは、気付けないまま見過ごしてしまった。
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