第125話


 ――お前はもう、俺の子供ではない。



 その言葉に、空気が瞬時に凍り付いた。時を刻むのを放棄した様に、この場の全てが静止する。



 フランツは、何を言ったのだろうか。

 カイリは、意味を咀嚼そしゃくしようと懸命に凍り付いた頭を動かす。ぎしっと、きしむ音が脳内から聞こえそうだったが、必死に動かした。

 養子縁組を取り消す。

 それは、文字通りフランツとの親子関係を解消するということだ。


〝お前はもう、俺の養子だからな。だから、正式にヴェルリオーゼと名乗っても差し支えないのだし、これからはバンバン名乗ってくれ〟


 あの日、フランツが告げてくれた時、カイリには家族がまだいるのだと知った。

 驚きもしたし、慌てもした。本当に良いのかと、恐れ多くも思った。

 けれど。



〝俺は、お前を息子に迎えられて結構喜んでいるのだがな〟



 自分には、まだ家族がいる。

 全て失ったと思っていたのに、まだ父が――家族がいるのだ。

 それを知って、嬉しかった。彼を、いつか父と呼べる日が来るのだろうかと泣きたくなった。

 けれど。



〝取り消そうと思う。――お前はもう、俺の子供ではない〟



 フランツは、カイリとの関係を解消したいと言った。

 断ち切りたいと、はっきり本音を告げられたのだ。

 そのことが、ひどく――。



「――っ、……、わ、……あ」



 どうして、という言葉は出てこなかった。恐くて、理由など聞きたくなかった。

 だから、何が言いたいのか分からないままで、口が上手く回らない。

 喉が痛い。声が震える。声だけではなく、胸を押さえる指も小刻みに震えて情けない。

 目の奥が痛い。熱いよりも痛くて堪らない。

 何故、カイリとの親子関係を終わらせたいと言ったのか。その理由を考える前に、頭の中が灼熱で切れる様に悲鳴を上げていた。

 考えたくない。――考えたくない。

 だって、考えたら。



 フランツが、自分を突き放したいのだと分かってしまう。



「……っ」



 分かって、しまう。



「――おい、団長」



 隣にいたレインが、苛立った様に声を荒げる。

 その鋭さに、カイリは肩を震わせた。レインが一瞬カイリを一瞥いちべつしたが、構わずにフランツを睨みつける。


「今、何でその話なんだ? 関係ねえだろうが」

「関係はある。カイリ。お前は、第十三位を抜けろ」

「……、え」

「弱い。足手まといだ。必要ない」

「――」

「おい!」


 ぶつけられた罵倒に、カイリの頭が飽和状態になる。


 弱い。足手まとい。必要ない。第十三位を抜けろ。


 それは、フランツに不要宣告を突き付けられたということだ。先程までの優しい言動をひるがえされ、カイリはみるみると青褪めていく。

 顔を必死に上げるが、フランツは全くカイリの方を向かない。冷めた目を斜め下に流し、まるでこちらを見ようとしなかった。

 それは。



 もう、カイリの顔など見たくもない。



 そんな風に言っている様に思えてならなかった。

 存在そのものをいらないと最後通告を受け、全身が寒くもないのに震えて止まらない。


「ふ、フランツさん。俺、……あ、……どうし、て」

「今まで戦力に足るか試験的に見守ってきたが、カイリ。お前は戦闘能力が無いのはもちろんだが、聖歌の扱いも下手だな。未だに適用範囲を指定出来ないし、俺達の足も引っ張りまくっている」

「……っ、それ、は」

「それに、この前孤児院で歌った時も、子供達が少しだけ眠そうにしていた。気付かなかったか?」

「……え?」


 孤児院で歌ったという言葉に、焦りながら思考を巡らせる。

 確か『ゆりかごの歌』をカイリは歌った。突然押しかけてきた傲慢ごうまんな教会騎士を眠らせるために、適用範囲を指定しながら歌い上げたのだ。

 あの時、子供達は眠ってはいなかった。

 だが、眠そうにしていたのか。

 全く気付けなかった。その事実に、カイリは愕然がくぜんとする。


「それに、直接襲撃者に出会っているのに、同一人物か分からないだと? 既に死者が五人も出ているというのに、この体たらく。どれだけお前の目は節穴なのだ」

「……す、すみませ」

「謝罪はいらない。カイリ、お前はこの孤児院で謹慎していてもらう。聖地に帰ったら、転籍の手続きもしろ。聖歌隊、もしくはケント殿という親友のお情けで入る第一位がお前の居場所だ」

「……てめえ、いい加減にしろよっ!」


 レインがフランツの胸倉を掴み上げる。だんっと壁に彼を叩きつけ、レインが吼えた。


「団長、てめえ、何言ってるか分かってんのか?」

「分かっている。カイリは足手まといだ。お前も最初はそう言っていただろう」

「だとしてもだ! 言い方ってもんがあるだろうが!」

「他に何を言えと」

「ああっ!?」


 淡々としたフランツの口調に、レインが更に怒り狂う。

 その光景に、カイリだけではなくシュリア達も呆然としていた。口を挟めずに、ただただ見守っている。


「カイリのことは、試験的に団に入れただけだ。血を見るのが恐い、敵に剣も降り下ろせない、聖歌も扱いが下手くそ過ぎて、こちらの足まで引っ張る。分かり切っていたことだが、今回の件で徹底的に証明された」

「……っ、ご、ごめんな、さ」

「言い訳も謝罪もいらん。何度言えば分かる」

「っ」


 冷たく切り捨てられ、カイリはもう口をつぐむ以外にない。

 レインの目が益々剣呑に細められたが、意も解さずにフランツは淡々と続ける。


「このまま育つならよし、駄目なら切り捨てると最初から決めていた」

「ああっ⁉」

「それに、レイン。お前も以前言っていただろう。団長としての冷静さは失うな、と」

「……はあっ?」


 レインの声が、一段低くなった。心の底から這い上がる様な真っ黒な怒気に、だがフランツはひるむことなくぶつかる。


「それを実行しただけだ。お前もよく分かっているだろう」

「……てめえ」

「今回のことではっきり分かった。カイリは、第十三位にいても意味が無い」

「誰がそんなこと決めたよ!」

「俺だ。……シュリア。お前も初めから、カイリは足手まといだと言っていたな?」

「……え?」

「弱い弱いと普段から絶えず言っている。一番弱く、燃費も悪いと。相違ないな?」

「え、……それは」


 急に矛先を向けられ、シュリアが珍しく口ごもる。

 ちらりとカイリを一見してきたが、それっきり黙りこくってしまった。別に援護してくれるとは思っていなかったが、その沈黙が何よりカイリの胸に深く突き刺さる。


「エディもリオーネも、カイリを信じられないのだったな?」

「え!」

「……それは、あの、……」

「第十三位の仲間達は、何かしらカイリに対して不満を抱いている。レイン、お前も色々と疑っていただろう?」

「……」


 一瞬、レインは片眉を跳ね上げてフランツを睨み据える。エディやリオーネも、ぱくぱくと口を開閉させていたが、圧する空気に呑まれた様に言葉を発しない。



 誰も、カイリを必要としていない。



 改めて突き付けられ、カイリは踏みしめていたはずの地面が崩れ落ちていく様に真っ暗な絶望に飲み込まれていく。


「足手まといは必要ない。第十三位のチームワークを乱す者は論外だ」

「……っ、あ、は、……い」

「ならば、もういらん。お前達も、別れの言葉があったら今のうちに」

「……はっ! よく言うぜっ」


 口元を吊り上げ、けれど目つきは鋭く見下しながらレインがフランツの言葉をぶった切る。

 そのルビーの双眸そうぼうは、色濃く激怒を燃え上がらせていた。見ているだけで空気ごと焼き尽くされそうな暴威に、カイリは喉を鳴らす。


「何が冷静だ。何が団長だ。馬っ鹿じゃねえの?」


 だんっと、もう一度壁に叩きつけ、レインが嘲る様に掴んでいた手を振り払う。

 フランツが億劫おっくうそうに襟元えりもとを正すのを見つめ、レインは彼を冷たく見据えた。凍える様な気迫は、燃え上がる様な瞳の色とは対照的で、カイリは一瞬呑まれる。



「てめえの都合で、カイリ振り回してんじゃねえよっ」

「……」



 吐き捨てる様な嘲笑に、フランツはしかし反論しない。じっと彼の視線を受け止め、黙り込んだままだ。

 痺れを切らし、レインが舌打ちする。頭を掻いてカイリに振り向いてきた。


「カイリ。お前はこれまでと一緒で、オレやシュリアと夜回るぞ」

「え。でも」

「駄目だ。許さん」

「っるせえ! オレはまだこいつを見極めてねえ。あんたは冷静じゃねえし、役に立たねえよ。なら、副団長のオレが見極めるしかねえだろ」

「ならん」

「……おい。団長っ!」

「そうだ。第十三位の団長はこの俺だ。これは命令だ。……カイリ。お前は孤児院で待機していろ」


 ぐいっと腕を引っ張られ、フランツはカイリを無理矢理向かい合わせる。

 彼の碧眼へきがんはいつもは空の様にさっぱりした色をしているのに、今はひどく薄暗い。暗雲が立ち込めた様に空色が隠れ、カイリは一度大きく震えた。

 けれど。



 これ以上、第十三位が割れるわけにはいかない。



 フランツの言う通り、カイリが足手まといなのは事実だ。それに、襲撃者と同一人物か分からないなど、あるまじき失態だろう。

 これが、罰なのだ。犯人を逃し、いつまで経っても成長しないカイリへの。

 だから。


「……分かりました」

「おい、カイリ!」

「レインさん、ありがとうございます。でも、……フランツさんの言う通りです。俺は、……聖歌も未だにコントロール出来ないし、犯人と同じ人かどうかも見抜けなかったから」

「……っ」

「実際に被害が出ているのに、俺、何も出来なかった。だから、外されても仕方がないと思います」


 故に、見切りを付けられたのだ。

 フランツは心が優しかった。だから、彼はカイリを息子として、同じ団員として今まで世話をしてくれていた。背中を支えてくれていた。

 だが、もう我慢の限界だったのだろう。いくら優しい人だって、我慢には限度がある。

 カイリは、愛想を尽かされるほど、取り返しのつかないことばかりしてきたのだ。

 そう。

 だって。



〝こいつはちっぽけな奴だ。歌が歌えるから何だ。君なんて、僕が殺そうと思えば簡単に殺せてしまう、弱い弱い生き物だって!〟



 ――自分は。



「俺は、……ただ、歌を歌えるだけで。実力も無いのに、歌を歌えるから聖歌騎士になっただけで」

「……、カイリ?」

「俺は、……みんなに守ってもらわなければ何も出来ない。殺そうと思えばすぐに殺されてしまう、……弱い弱い生き物だから」

「――――――――」



 レインが大きく目を見開く。周りでも、何故かさざ波の様に空気が揺れた気がした。

 けれど、間違ってなどいない。『彼』が言った通りだ。カイリはみんなが守ってくれなければ何も出来ない。

 村でただ一人生き残ったのだって、村のみんなが命懸けで守ってくれたから生き延びたのだ。もし一人だったら、フランツやシュリアが駆け付けてくれなかったら、カイリは狂信者に囚われて惨たらしく野垂れ死んでいただろう。

 何も成長していない。防御特化の剣も道半ば。唯一の能力である歌さえ満足に扱えない。

 だから。


「……っ、お前っ。それ、……あいつの」


 レインがうなる様に声を絞り出す。彼がここまで動揺するなんて珍しいなと、カイリはぼんやり他人事の様に遠くで思う。

 だが、遠いと思っていた出来事は、すぐに胸倉を掴まれたことで身近なことだと知る。そのまま乱暴に持ち上げられ、燃える様に真っ赤なルビーの瞳とかち合った。


「……ふっざけんな」

「……っ、レイン、さ」

「……ふざけんなよっ。……あいつの言うことなんざ、まともに受け止めてんじゃねえよ! これだから真面目馬鹿は!」


 大気が震えるほどの雄叫びがほとばしる。間近で強く浴びてしまって、カイリは恐怖ですくみ上がった。

 殺意ではない。彼は、ただ怒り狂っているだけだ。

 それなのに、ぐしゃりと潰されそうな重圧と貫かれる気迫に、カイリは息も出来なくなった。


「歌が歌えるだけ? 守ってもらわなきゃ何も出来ない? ああ、そうだよ。お前はまだまだ弱くて、一人じゃ敵とまともに切り結ぶことすら出来ない、弱い奴だよ! 一人で行動も出来ない上に、半人前ですらないしな!」

「……っ。……、そ、うで」

「でもなっ!」


 だんっと、壁に背中から叩きつけられる。かはっと吐き出すと同時に、もう一度胸倉を引き寄せられた。



「あの夜、オレに賭けを持ち出したお前の気概きがいは! 誰よりも強かった!」

「――」

「お前がお前自身を否定するってことは! お前を強いと思ったオレ自身も否定するってことだ!」

「……、レ、イ」

「覚えとけ! ……どいつもこいつもっ。マジで胸糞悪くなるっ」



 カイリを床にぶん投げて、レインはそのまま足音荒く去って行く。ばたんっと叩き付ける扉の音が怒りに染まり切っていて、カイリは混乱しながらも申し訳なく思う。

 レインは、慰めてくれたのだろうか。カイリを弱いと言いながら、強いと評価してくれたこと。彼が強いと褒めてくれるなど初めてではないだろうか。

 しかし、逆に言えばそれだけ今のカイリは不甲斐ないのだ。レインが、滅多に口にしない慰めをかけてくれたくらいである。

 レインの言葉を、素直に受け止めたい。受け止めてみたい。

 けれど。



「……カイリも、出て行け」

「……っ」

「邪魔だ。頭を冷やしてこい」



 フランツが、冷たくカイリに退室を促してくる。エディが「ちょ、フランツ団長」と止めに入ってくれたが、カイリの心には何ら響かない。フランツの短い言葉が何よりも深く胸に突き刺さった。

 そうだ。フランツの態度が全ての答えだ。レインの言葉は、気休めだ。

 ああ。やっぱり。



〝己の価値なんて、結局自分で無理矢理付けるしかないんですのよ〟



 ――自分に価値が見つけられないよ、シュリア。



 こんなに懐の広い人にも突き放されるのなら、自分は一体誰に好かれるというのだろうか。誰に認めてもらえるというのだろうか。

 何の価値が、あるというのだろうか。

 聖歌も上手く扱えない。観察眼も無い。武術も駄目で、人との関わり方まで下手となると、どうしようもない。

 これだけ価値の無い人間など、この世の何処にいるだろうか。

 どうして。



〝――カイリッ!!〟



 ケントも。



〝どうか、……笑って、幸せに生きてくれ。それが、父さんたちの最後の願いだ〟



 父も、母も、ライン達も、村のみんなも。



 どうして、こんな価値の無い自分を救って、逝ってしまったのだろう。



 エディ達が痛ましげに見てくるその視線さえ、辛くて。カイリは逃げる様にその場を立ち去った。


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