Banka12 俺の歌が、正しく在るために

第134話


【眠りなさい 人の子らよ】



 落ち着いた、清らかな声が空気を通して世界に響き渡る。

 仲間から追われ、最後の砦に妻と二人で逃げ込んだフランツは、今まさに眠りに落ちようとしていた。


 元凶は、目の前の妻だ。


 頂上に辿り着いた途端、彼女はフランツに背を向け、両手を広げて厳かに歌い始めた。

 彼女の聖歌はそれなりに力が強い。体力も精神力もがっつり削り取られたフランツでは、抵抗しきれないのは分かり切っていた。



【優しき腕に包まれ 安らかにまどろみて 幸せなる温もりに身を委ねなさい】



「……メリ、ッサ。な、ぜ、……っ」


 どんどんとまぶたが落ちていくのを必死に持ち上げ、フランツは膝を折りながら彼女を見上げる。



【その柔らかな 腕の中で 全てを忘れて】



 だが、彼女は答えない。

 ただひたすらに、歌い続ける。

 彼女が得意とする眠りを誘う子守唄を、一心不乱に歌い続ける。



【どうか 夢の中だけでも 幸せに落ちなさい 愛しき人よ】



「……は、……っ」


 どさりと、自分の体が床に転がる。

 もはや意識も朦朧としていて、上手く声も聞こえてこない。ただ、静かで美しい旋律だけが耳に落ちてきた。

 もう、自分は駄目だろう。

 ならば。


 せめて、最後だけでも彼女に触れていたい。


 どうせ死んでしまうのならば、最後は愛しい人の熱を感じたい。そう思ったのは、本能だった。

 しかし。



「……ごめんなさい、フランツ」



 どうか、貴方だけでも生きて。



 それは現実だったのか、それとも希望が見せた夢だったのか。

 はっきりと妻の声を頭の中に響かせて、それを最後にフランツの意識は完全に途絶えた。











 ばたばたと、慌ただしく孤児院の二階を人々が行き来する。

 真っ白な白衣を着た医師が看護師に指示を出し、手早く診察と治療を進めていく。


 ベッドの上に血塗れで横になっているのは、昼間に別れたカイリだ。


 彼は今、たくさんの刺し傷を受けて眠っている。

 医師と看護師が忙しなく治療する中で、フランツは呆然と彼を見つめていた。何故眠っているのだろうと変な疑問を浮かべながら、ひたすらに彼を見つめる。

 何故、こんなことになってしまったのだろう。自分が、彼を孤児院に置いて行くと決めたからか。

 自分の判断が、間違っていたからこんなことになったのか。


「……カイリ」


 ぽつりと、名を呼ぶ。

 彼を突き放し、傷付けた。巻き込むのが辛くなったから切り捨てようとした。

 その報いがこれか。

 せっかく話し合うと、向かい合うとようやく決心が付いたのに。


「カイリ。しっかりしろ」


 発見した時、一瞬、死んだ妻や親友と重なって崩れ落ちそうになった。

 何とか正気を保っているが、不吉な赤が視界にこびり付いて離れない。実際、彼はまだ流れ出た血で濡れている。



 もし、彼まで同じ道を辿ってしまったら。



 フランツの背筋が粟立つ。大きく震えそうになるのを押し止めたのは、もはや意地だった。

 そんな風に怯えてしまっては、現実になってしまう。嫌な予感に食われそうになり、フランツは首を振った。

 怯えるフランツを嘲る様に、カイリの胸元でラリエットの石が光り輝く。その黄金の輝きだけが、カイリはまだ生きているのだと豪語する如く居座っていた。

 しかし。



「……幸い、奇跡的にも一つ一つは致命傷ではありません。ですが、……出血が多すぎる」

「――」



 医師の一言に、フランツが床を踏み抜く。

 その音に医師がすくみながらも、気丈に話しかけてきた。


「これから、皆さんの血液と彼の血液が適合するか確認します。協力して頂きたい」

「……。……どうすれば良いのだ」

「少しだけ血を抜きます。順番にお願い出来ますか」


 医師の言葉に、異を唱えるわけがない。

 フランツはすぐにレイン達を集めるために廊下に出た。











 結果的に適合したのは、フランツとシュリアとアナベルだった。

 三人の血を抜き、それをカイリに輸血する。血が足りないかもしれないと世迷言を言い出したので、ぎりぎりまで血を抜けと恐喝した。

 レインが見かねて止めてきたが、その顔にいつもの笑みは無い。彼自身もカイリを案じているのだと知って、少しだけ救われた。


「……すみません。ボクが、見回りに出たからっ」


 エディが土下座をする勢いで全員に謝ってきた。実際、土下座をしていた。

 彼は複数の死体を見つけ、外の空気が騒がしいのが気になって見回りに出たという。切り裂き魔以外の新たな事件の可能性があるならば、探らないという選択肢はない。

 結局別の可能性は辿れなかったが、実際切り裂き魔であるパリィは孤児院を襲撃してきた。エディの勘は正しいし、それを責めるつもりはない。



 結果的に、カイリがパリィを請け負うことになった。



 それだけのことだ。

 そう。それだけだ。

 しかし。


「……、……聖歌を、歌い続けたとはな」


 アナベルの話だと、玄関先で二人で話している時にパリィが急に襲撃してきたのだという。

 カイリは彼女に指示を出し、玄関先で迎え撃ったそうだ。

 最初は、玄関をがんがん攻撃される音に子供達と怯えていたが、やがて聖歌が聞こえてくるとぴたりと音が止んだという。



 その代わり聞こえて来たのは、パリィの狂った絶叫と、カイリの苦痛に満ちた悲鳴だった。



 子供達が飛び出そうとするのを、アナベルは押さえるのに苦労した。そう、言っていた。


「……聖歌を憎んでたんだ。そりゃ、カイリも注意を引く手段として考えるだろうさ。実際、正しかったわけだしな」

「分かっているっ」


 レインの真っ当な指摘に、フランツは苛立たしげに肯定する。

 だが、カイリは充分に引きつけただろう後も聖歌を歌い続けたという。



 だんだんと聖歌を歌う声が弱まっていくのを、子供達が泣きながら聞いていた。



 そう告げるアナベルの沈痛な表情が、目に焼き付いて離れない。


「何故、歌った」

「……フランツ様」

「何故、歌い続けた。……少し歌うだけだったならば、カイリもここまで怪我を負わずにすんだかもしれないっ」


 リオーネが堪らず声をかけてくるが、フランツは止まれない。

 少し注意を引いただけだと、再び孤児院の中へ入ろうとすると思ったのか。だとしても、その都度聖歌を歌いながら距離を稼げば良かったはずだ。押さえ付けられた状態なら、尚更聖歌を歌ってはいけなかった。

 それなのに。


「何故だっ!」


 だんっ、とフランツが近くのテーブルを叩きつける。

 その音に、リオーネやエディが飛び跳ねた。

 しかし、構っている余裕が無い。隣で未だ治療中のカイリの姿を思い返すたび、心臓が握り潰される。



 誰のために聖歌を歌ったか。



 普段、他人のために怒ったり、誰かを守るために右手を犠牲にするカイリのことだ。自分のためではないことぐらいフランツにも分かる。

 ならば。



〝どうか、貴方だけでも生きて〟



 彼女と、同じ様に――。



「何故、こんな、……俺のせいか」

「……おい、何言って」



 そうだ。彼女と同じだ。

 自分のためではなく、いつだって他人のために歌っていた。

 そんな彼女と、カイリは同じだ。

 カイリと彼女の境遇は違う。カイリは、フランツのために歌ったわけではない。

 だが、思考が止まらない。

 やり直そうと決めかけた時に、悲劇は繰り返された。



〝子供が出来たの。家族が、増えるわ〟



 ――家族が、出来たから。



 家族に、なったから。



「俺のせいで、カイリまで死ぬのか」

「――」



 支離滅裂だ。それでも止められないのは、カイリの死にそうな顔が彼女と重なるからだ。

 全員、言葉もなく絶句している。

 だが、そんな様子に気付かないまま、フランツは顔を右手で覆ってうめいた。


「俺が、……俺が、家族になったからか。だから、カイリも犠牲になるのかっ」

「おいおい、団長、落ち着けよ。カイリは」

「だってそうだろう! メリッサは俺のせいで死んだんだ! 家族になったから、……大切な家族になったから! 俺を守って死んだ!」


 妻は聖歌を歌い、生き延びて欲しいと最後に告げてきた。

 そうだ。自分のせいだ。自分を愛してしまったから、彼女は『あんな行動』に出たのだ。

 カイリも、そう。

 妻と同じく、フランツの家族になったから。理由は違っても、家族になったから。



〝あいつは、まるで死神だ〟


〝関われば、根こそぎ奪って殺していく〟



 慕ってきた者も、大切な家族も、全部巻き込んで殺していく。

 誰かの言った通りだ。

 フランツが大切に思えば思うほど、指の隙間から水が零れ落ちる様に無くなっていく。

 だから。



「俺が悪かったんだ。家族になってみたいと、少しでも思ったからっ」

「……団長っ」

「だからあいつは、死んだ。だから、……カイリも。……カイリも! 俺の家族になったから死ぬんだろう!」


 血を吐く様に叫んだ瞬間。



 ばきいっ、と頬で盛大な強打音が鳴り響いた。



 フランツは堪らず椅子から転げ落ちる。無様に転がって、フランツは呆然と見上げた。

 近くに立っていたのは、拳を握り締めたシュリアだった。温度の無い眼差しをフランツに注ぎ、拳を震わせる。



「……カイリは、まだ死んでいませんわ」

「――」

「勝手にあなたの都合で、殺さないで下さいませっ!」



 静かなのに、荒ぶる激昂がフランツの心臓に落ちた。

 彼女の瞳は真っ直ぐだ。その中に、燃える様な意志が宿っているのをフランツは感じ取る。


「……見回りに行ってきますわ」


 くるっと背を向け、シュリアが部屋を出ようとする。

 それを止めたのはレインだった。肩を掴み、眉根を寄せる。


「何言ってんだ、お前」

「カイリはどうせ助かりますわ。大量に失血していようと致命傷ではなかったのです。ならば、今でも飛び回っているあのパリィとかいう男を見つけるのが優先ですわ」

「アホか。ぎりぎりまで血を抜いてふらっふらしてるお前が行ったって、餌食になるだけだろうよ」

「ですが」

「オレが行く。……エディ、リオーネ、ふらっふらなそこの馬鹿団長とシュリアを頼むぜ」


 軽く笑って手を上げるレインに、エディとリオーネが力強く頷く。特にエディは責任を重く感じているらしく、悲愴なほどの決意が顔に宿っていた。

 エディが責任を感じる必要はない。実際、カイリがパリィと剣を交えたのは数分といったところだろう。


 その数分で大惨事が起きた。それだけだ。


「……っ」


 また、フランツの思考が暗い方向へと流れていく。

 たった今シュリアに殴られたばかりだ。もう一度同じ箇所を殴られると、腫れすぎて見れない顔になってしまう。

 そんな状態でカイリが目を覚ましたら、きっと――いや、絶対に彼は心配する。



〝アナベルさんの言う過去では、フランツさんがどうだったかは知らないです。でも、……途方に暮れていた俺を助けてくれたこと。それだけは本当のことです。嘘じゃありません〟



 何も事情を知らないのに、カイリはアナベルからフランツを庇う様に宣言した。

 彼女がフランツを見るたびに、秘かに彼が心配そうな顔をしていたのを知っている。気付かないフリをしていたが、彼に気にかけられるたび、申し訳ないと同時に喜びも滲んだ。

 カイリは、優しい。

 手紙に書いてあった通りだ。



『何度も言うが、カイリは優しくて人の心に寄り添える、まるで天使の様な子なんだ。そう、謂わば天使! フランツ、お前も会えば分かるぞ? 親馬鹿と言われようと、あいつは本当に天使だ!』



 親馬鹿、というだけではない。

 贔屓目ひいきめを抜きにしても、カーティスは息子の本質を見抜いていた。

 だから、この大怪我も、きっと。


「……馬鹿だな、お前は」


 いや。彼は馬鹿ではない。



「……馬鹿は、俺の方か」



 いつだって誰かのために矢面に立とうとするカイリを、フランツはとうとう認めざるを得なかった。

 彼の行く末が楽しみだったこと。彼の未来を近くで見てみたいと願ったこと。

 そして。


 ――そして。


 情けないと思いながら、フランツはあの日を回顧する。

 メリッサを、――仲間を全て失ってしまった後のことを。











『……おはよう、メリッサ』


 朝、目が覚めてから隣を見つめる。

 彼女と結婚してから、フランツはそれが習慣になっていた。

 優しく微笑めば、彼女は照れくさそうにはにかんで。



〝――おはよう、フランツ〟



 とても幸せそうに、朝日を浴びながら笑って寄り添ってくれていた。

 けれど。



 もう、彼女はいない。



 第十三位仲間もろとも、みんな死んでしまった。

 残ったのは、フランツだけだ。

 彼女と結婚してからダブルベッドにしたせいで、見事なほどに広々としている。


 ――やはり、一人で使うには広すぎるな。


 そんな独り言を口にする元気も今のフランツには無い。

 のろのろと起き上がり、顔を洗い、身なりを整えて部屋を出る。もはやまともな仕事は回って来ないだろうに、身支度を整えるのは意地の様なものだった。

 廊下に出ても、何も聞こえない。誰かの騒がしい声も、どたどたと床を揺らす様な大きな足音も、元気な悲鳴も、料理の音も。



 何もかも、ここから無くなってしまった。



 食堂の扉を開け、フランツはつい口にしてしまう。



『おはよう』



〝おはようございます! 団長!〟

〝って、団長、遅いっすよ! もうみんな支度出来てますよー!〟

〝あらあ。昨夜はお楽しみだったのよー。メリッサも遅かったものー〟

〝ひゃー! 新婚さんは熱いねー!〟



 返ってくるのは、そんな賑やかで楽しい空気ばかりだった。

 それなのに。



 がらんとした音が、今は食堂にさみしく転がっているだけだ。



『……食事をしなければな』



 しかし、今の今まで料理をしたことがなかったフランツに出来るだろうか。

 思いながらも、フランツはやはりのろのろとキッチンに近付く。

 そうしてキッチンに近付けば、近くの棚に何冊かの本が収まっているのが見えた。

 何だろうとぱらぱらとめくれば、懐かしい文字が飛び込んでくる。



《卵焼きの作り方》



 メリッサの文字だった。

 そういえば彼女は、ここに来てから一生懸命料理の勉強をしていた。どうやらレシピ集らしい。

 手順が分かりやすく書いてある。びっちりと失敗しやすいポイントが書かれていたりと、熱心だったのがうかがえた。


『……ふむ。卵焼きなら出来そうだ』


 思って、冷蔵庫から卵を取り出す。まな板や包丁、鍋やフライパンを取り出し、準備も万端だ。

 書かれている通りに、ボウルに卵を叩き割って入れた。殻も一緒に粉々にしてみたが、これで歯触りが無くなるのだろうか。よく分からない。

 そして、塩を手づかみで入れてみる。少々、と書いていたが、まあ良いだろう。


『……む。包丁は使わないのか』


 てっきり必要になるかと思ったのだが、仕方がない。フライパンに油をどばっと注ぎ、卵を豪快に流し入れる。

 巻く様にと書いてあるのだが、箸でかき混ぜれば掻き混ぜるほど、程遠いものになっていく。むしろ、ぐちゃぐちゃになって、だんだんと焦げ臭い煙まで鼻先を突いてきた。

 慌てて皿に移せば、見事なスクランブルエッグの出来上がりだ。色が黒いのは、何故だろうか。


『……卵焼きとは、かくも難しいものなのだな』


 メリッサは、よくあんなに綺麗でふわふわした卵焼きを作れていたものだ。相当練習したのだろうと、今更ながらに思い知った。

 近くに漬物樽があったので、そこからいくつか漬物を取り出す。

 後は真っ白なふかふかのご飯だが――。


『……。……ご飯とは、どうやって作るのだ?』


 急いで片っ端からレシピ集をめくり、初期の方にご飯の炊き方と書かれていたものを見つけ、作ってみた。

 何故かふたを開ければぐっちゃぐちゃのおかゆの様になっていたが、食べられれば何でも構わない。


 そうしてようやく席に着き、遅い朝食にありつく。ご飯を作るのにこれほどの労力がいるとは、フランツには驚きばかりで頭が下がる思いだった。

 いただきますと両手を合わせ、卵を放り込む。

 だが。



『――、……まずい』



 じゃりじゃりと、卵焼きからはありえない刺々しい食感が伝わってくる上に、塩辛さと焦げの味しかしない。食べられたものではなかった。

 ご飯をと口に含んでみても、水を食べている様な感覚だ。米の風味も吹っ飛んでいる。

 逃げる様に大根の漬物に手をつければ。



『――美味いっ』



 唯一まともな味に出会い、フランツはぽろっと笑ってしまった。

 当然だ。メリッサが漬けたものだ。彼女の得意料理だ。糠床ぬかどこの状態には常に気を配っていたし、いつも楽しそうに世話をしていた。

 彼女の味だ。



 ――もういない、彼女が残した宝物だ。



〝どう? フランツ。今日は、私にしてはよく出来た方なのだけど〟

〝ああ、美味い。流石メリッサだな。日に日に腕が上がっている。……最初の頃の豪快な料理も俺は好きだがな〟

〝まあ、フランツったら〟

〝ちょっと、団長! 朝からのろけないで下さいよ!〟

〝独り身には辛いっす! のろけ、断固反対!〟

〝爆発すれば良いのよー。どうしてお互い一目惚れ同士なのかしらー。私も彼氏ほしー!〟

〝こ、こここここ今度! プロポーズの仕方、教えて下さい。……次のデートで、やる予定なんです!〟



 賑やかだった。

 楽しかった。

 いつも笑顔が絶えなかった。

 そして、何より。



〝大好きよ、フランツ。……いつか、子供と一緒にまたルナリアへ行きましょうね〟



 大切で掛け替えのない人が、傍にいてくれた。



『……っ』



 美味いな、と噛み締めながら、フランツの視界が滲んでいく。ばたっと、襟元やテーブルに何かが落ちた音がしたが、フランツは気にせずに漬物を食べる。

 何故、もう一人しかいないのだろうか。

 何故、みんな死んでしまったのだろうか。

 こんな思いをするくらいなら、もう二度と誰も作りたくない。

 共にいたい誰かなんて作りたくはない。

 例え、この先仲間が出来たとしても、――もう。



 一生、一人で生きていく。











 そう決意して、もう十一年が経つ。

 十年前、曰く付きになってから初めて第十三位に仲間が出来た。リオーネだ。

 彼女は特殊な事情から、団に馴染むのに五年かかった。

 その次にはシュリアが来た。彼女も、少しだけ歩み寄ってくれるのに三年かかった。

 エディは最初から懐いてくれたが、それでも生い立ちやそれまでの境遇からか、どこか怯えが付きまとっていた。シュリアを「姉さん」と慕い、リオーネに恋をする様な態度を取っていても、どこかでいつも怯えていた。

 レインは最初から今も警戒心が強い。彼に起きたことを思えば当然なのだろうが、フランツも別に気にしていなかった。どうしようとも思わなかった。

 エディの明るさのおかげで少しは団も賑やかになったが、それでもどこかで全員互いに距離を取っていた。フランツも心で距離を置いていた。

 二年前に全員の利害が一致したから、団としての目標を定められたが、それだけだ。



 自分達は、仲間を装いながら全く仲間ではなかった。



 目的を達成すれば、それで終わり。

 きっとそうなのだろうと思っていた。

 食卓も、賑やかな様で静かだった。それが、第十三位の全てだった。

 それなのに。






〝……っ! 美味い……! 美味しいです、これ!〟






 カイリが、現れた。



〝はあ、……本当に美味しい。母さんの料理も美味しかったけど、ここのも本当に美味しい……〟

〝ほっほーう。そんなに言うなら、お代わりもあるぜ?〟

〝本当ですか? もらう! もらいます!〟



 いつも美味しそうに食事を取り、幸せそうに顔をとろけさせる。

 賑やかと言えば賑やかだった食事が、本当の意味で賑やかになった瞬間だった。

 本当に美味しそうに食べるからか、レインやエディもどんどん料理を張り切る様になった。前ならサンドイッチだけとか、鶏肉と味噌汁で終わりとか、そんな日もざらだった。

 けれど、カイリがあまりに美味しそうに食べるから、二人共力が入る様になった。

 それは、フランツも同じ。



 彼の笑顔が見たくて、料理に力を入れる様になった。



 彼は、不思議な人間だ。

 彼は時々とんでもない行動を取るし、思ってもみないことを言う。危なっかしくて堪らないし、今だって死にかけている。

 彼は、誰かのために怒るし、誰かのために動く。己のためと言い張りながら、誰かのために前に出る。

 そんな、人間だった。


 まるで、昔のカーティスを見ている様だった。


 しかし、全てが同じわけではなくて、カーティスと違ってとても弱かった。

 悩んで、怯えて、恐怖を覚えて。

 それでも懸命にそれらと闘って、一生懸命前を見ようと顔を上げる努力をしている子供だった。

 そうだ。子供だ。

 だが。



〝……例え殴られても、俺の意志は変わらないっ。俺は! 第十三位の一員だ! 彼らを侮辱する奴らは、俺が許さない!〟



 自分達よりも遥かに強く、大人だった。

 第十三位の薄暗さを知っても尚、体を張って守ろうとしてくれる。

 そんな人間がいることを、フランツは初めて知った気がした。

 それなのに。



〝今回のことではっきり分かった。カイリは、第十三位にいても意味が無い〟



 ――俺は、彼の心をずたずたに引き裂いた。



 自分の可愛さあまりに彼を突き放し、もう二度と失いたくないと言いながら、一番やってはいけないことをしてしまった。

 それでも。



〝フランツさんの、……息子に、……なりたいです……っ!〟



 彼は、フランツと向き合おうとしてくれた。

 こんな自分と家族になることを、喜んでくれた。

 そうだ。



〝――もし呼べたら、とても素敵だなって思うので。心からそう呼べる日が、来て欲しいと思います〟



 彼と家族になるのも悪くないかもしれないと、思ってしまった。



 まだ、自分は何も伝えていない。

 伝えなければならない。いや、伝えたい。

 彼に、――『父』と呼んでもらう日が来て欲しい。

 もう。



 もう、あの広い食堂で、一人で食事を取るのは嫌なのだ。



 彼と共に取る食事の時間が、何よりの幸せだった。

 彼と、ここからもう一度。一からやり直し、歩いていきたい。

 だから。



「……戻って来い、カイリ」



 今も集中的に治療を受けている彼を思い、フランツは目を閉じる。

 その声に答えは無くとも、周りの意思が同じことは空気を通して伝わってきた。


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