第133話


「――っ!」


 突進してくる襲撃者の前にカイリは躍り出る。アナベルを隠す様に動いたのは本能だった。

 そのまま、カイリは木刀を振り抜く。

 途端。



 がきいっ、と激しい激突音が鳴り響いた。



「……っ、く……っ!」



 びりびりと、痺れる様な衝撃が手から全身へと伝っていく。まともに受け止めてしまったことを叱咤しったしながら、カイリはアナベルに叫んだ。


「アナベルさん! 早く入って!」

「あ、あんたは……!」

「鍵はかけず、子供達と一緒に、玄関から入った広間の角にいて下さい!」

「……おおおォォォォオオオ、ンん、なああアアアアアぁぁああアアアアッ‼ ああああああああああっ‼」

「早くっ‼ 死にたいんですか!」


 振り向いている暇がない。アナベルを狙う短剣に追いすがり、カイリは必死に彼の邪魔をした。

 アナベルは逡巡しゅんじゅんしながらも従ってくれた様だ。ばたん、と慌ただしく玄関を閉じたのを聞き、カイリは玄関を塞ぐ様に陣取る。

 鍵をかけた方が良いのかもしれないが、この襲撃者は屋根まで一気に飛び上がれる。もし二階から侵入されたら、カイリは追いかけるのに手間取るだろう。二階から追いかけるにしても、鍵を開けるにしても、あっという間にみんなが殺されてしまうかもしれない。

 ならば、玄関を自ら塞ぎ、入った広間の隅に固まってくれていた方が万が一の時に追いかけやすい。当然、諸刃の剣だが、カイリの実力だと他に良い手段が思い付かない。


〝もし襲われたら無理はせず、立てこもるっすよ!〟


 不意に、エディが出かける際の忠告がカイリの脳裏をよぎる。

 確かに、カイリでは彼を相手取るには力が不足し過ぎている。大人しく立てこもる方が得策なのかもしれない。

 だが。



 もしここでカイリが立てこもったら、確実に死人が出る。



 彼は、女性を強く狙っている。孤児院にはアナベルとヴァネッサ、二人も女性がいるのだ。絶対にすり抜けを許してしまう。

 そんなのは、絶対に駄目だ。



 もう二度と、目の前で誰も死なせない。



 ごめん、エディと心の中で謝罪をする。

 だが、忠告を無視してでも守りたい者が在る。カイリは目の前の狂気に立ち向かうため、ひるみそうになる心に活を入れた。


退け! ここは、絶対に通さない!」

「……オマ、エえぇぇ……! 邪魔を、するなあッ!」

「――っ! ぐっ!」


 カイリを蹴り上げながら、相手が短剣を玄関に突き刺す。

 何とか蹴りを木刀でさばいたが、頭上で玄関にヒビが入った様な音が走った。あまりの人間離れした攻撃に、カイリの背筋が凍る。

 それに。



 ――本当に、別人みたいだ。



 昼間、エディが襲撃者はパリィだと断定した。

 だが、今目の前にいる彼を、カイリは未だにパリィだと特定出来ない。

 声の感じも、まとう空気も、逆立つ前髪も、瞳のぎらぎらした輝きも。

 本当に別人だ。普段、顔を隠しているだけに、特徴を掴みづらいから余計なのかもしれない。

 けれど、彼は間違いなくパリィなのだ。ならば、彼相手に畳みかけるしかない。


「……パリィさん、止めてください! もう、引いて!」

「ああっ⁉ うっせえんだよ! どけ! オマエに用は無い!」

「ぐあっ……!」


 強い一撃を腹にぶち込まれる。

 がはっと、カイリが崩れ落ちると同時に、パリィが玄関をまた突き刺す。びしいっと、またもひび割れる様な亀裂音が走り、カイリは焦燥に駆られた。

 彼は、本当にカイリには短剣を振り下ろしてこない。ひたすらに女性しか見えていないのだ。

 女性を殺すことに執着している。その狂った執念は扉という壁を隔てても変わらなかった。

 それは。



〝聖歌を歌うオンナ。そいつが、一人ずつ、一人ずつ。眠らせてから、殺していった〟



 この人が、大切な恋人や仲間を女性の聖歌騎士に殺されたから。



 だから、狂ったのだ。もしかしたら、洗脳によって憎悪が加速しているのかもしれない。

 何が鍵になっているかは分からないが、とにかく彼は定期的に凶行に走るのだろう。

 このままだと、本当にパリィに孤児院への侵入を許してしまう。

 ざっと辺りを見渡すが、まだエディが帰ってくる様子は無い。何処かで足止めを食らっているのだろうかと、カイリはぐっと唇を噛み締めた。

 方法は無いか。何か無いか。

 パリィの妄執とも言える攻撃を防ぎながら、必死にカイリは頭を回転させる。

 殺された。恋人を。女性の聖歌騎士に。

 そうだ。聖歌騎士。聖歌騎士の基準。



 ――聖歌。



〝……だから、カイリ。……聖歌。あまり歌ったらいけない〟



 カイリは男だ。

 けれど、聖歌を憎んでいるというのならば、男であっても注意が引けるかもしれない。

 一か八かの賭けだ。それに矛先を向けられたら、カイリは歌いながら猛攻をさばく自信は無い。かなり危険な判断だ。

 しかし、それでも。



〝孤児院にはアナベルをはじめ、子供の中にも女性がいるしな。……時間がズレたのだ。いつ襲われてもおかしくはないかもしれん〟



 ――守るって、言った。



 男に二言は無い。必ず、守り抜く。

 そのためにも。


「……聖歌、打ち消し」


 何でも試せとレインも言っていた。

 だから、もし本当に洗脳や重ねがけが施されているのならば、少しでも『雪』の効果があるかもしれない。

 子守唄と迷ったが、孤児院にはアナベルと子供達がいる。今は、適用範囲という小難しいことを考えてはいられない。彼らが眠ってしまったら、万が一カイリが盾になりきれなかった時の逃走手段が無くなってしまう。


 覚悟を決め、カイリは素早く玄関から距離を取った。


 依然として、カイリが何処にいようとパリィにはお構いなしだ。玄関に鍵がかかっているかと、そんな基本的な確認さえ行わない彼は、もう本気で女性のことしか頭に無いのだろう。

 玄関を攻撃し続ける彼を見つめながら、息を大きく吸い込む。

 そして。



【雪やこんこ あられやこんこ】



「――――――――」



 溶ける様に、歌が空気に真っ白に寄り添う。

 同時にパリィの動きも止まった。ぎょろりと、こちらの方を振り向く。


 ――効果があった。


 吹雪ふぶくほどの真っ黒な殺意に足が震えそうになったが、カイリは歌を止めない。荒くなる呼吸を懸命に整え、静かにゆったりと続ける。



【降っては降っては ずんずん積る】



「……キサマ……、……ヤメロ……っ、……っ!」



【山も野原も 綿帽子かぶり】



「その歌……! ……ヤメロ……っ‼」

「――っ!」



 一瞬で、彼の顔が迫った。

 カイリは木刀で流しながら、しかし歌い続ける。

 まだだ。――まだだ。



 完全に注意を引き付けるためにも、辺り一面を真っ白に覆う。

 守る、ために。



 彼を、呼び戻すために。



【枯木残らず 花が咲く】



「……ヤメロ、……って、……言ってんだロウがァアアアアアあああああああっ!!」

「ぐっ、あっ!」



 右肩を短剣で差し込まれ、ねじる様に地面に叩き付けられた。

 咄嗟とっさに左手で地面に突き、仰向けになる。すぐに迫ってきていた短剣の切っ先を、痛みに耐えながら右手で掴んだ。


「……【させない】っ! パリィさん!」

「ああああぎぎゃああああああああああああ!」

「お願い、パリィさん! もう、……【やめてくれ】!」

「ああああああ、かあああああああっ! や、め……聖歌、聖歌語、……やめっ、……やめえええええええええろおおおおぉぉぉぉおおおおおおおっ‼」

「……っ!」


 強引に掴んでいたナイフをがむしゃらに振り回される。

 思いきり振り切られ、右手がまた深く切れた。どくどくと、血が手首を伝って流れていくのを目にして歯を食い縛る。

 だが、そんなことよりも。


 彼の様子が、おかしい。


 最初の夜の時は、聖歌語を使っても苦しんでいる様子が見られなかったのに、今回はひどくもだえている。

 聖歌が鍵なのだろうか。

 それとも、本当に打ち消しが効いているのか。

 考える合間にも、猛攻は続く。鋭く降り注ぐ切っ先に、カイリは激痛を堪えて木刀と鞘で流す。

 しかし。



 だんっと、地面をえぐる様に真横で短剣が突き刺さる。



 明らかに狙いが外れる様になった。今までの猛攻とは違い、でたらめな軌道に変化して雨嵐の様に降り注いでくる。

 だが、それでも半分近くはカイリをめがけて刃が迫った。彼の短剣を捌きながら、カイリは必死に応戦する。

 もう、充分に相手の意識は引けた。

 けれど、エディはまだ来ない。どうすれば良いかとカイリは迷った。このまま捌きながら大人しくなるのを待つべきか。

 しかし。



「聖歌、……あ、……あ、あああああああああああああ! せ、せい、せいっせい、……セイカああぁぁぁぁぁああああっ!! きさまあああああああ!」

「っ、パリィ、さん……!」

「ああ、……お願、いだ、……セイカ、ああ、イヤ、だ、や、め……っ、ああああああああああああああっ‼」

「……っ、パリィさ――」

「いや、だ! ころ、す、なっ、……ヴぃく、とりあ……っ!! ああ、死、……どうし、て、……どうして……っ、――っ!!」

「――」



 ――とても、苦しそうだ。



 彼も、必死にもがいているのかもしれない。

 憎しみに焼き焦がれ、もういない仇を殺し続け、それでも尚消えない憎悪の炎に自らが苦しんでいる。

 だったら、少しでも手を伸ばしたい。

 自分も、憎しみで苦しんだ。答えが見えなくて辛かった。

 彼にはもうこれ以上、あんな出口の見えない闇を生きて欲しくない。

 せめて。彼には。



〝だから、君を売ったんだ! 教会騎士だっていうあの二人にっ‼〟



「――っ」



 ――彼にだけは。エリックさんみたいに、それ以上苦しみながら道を踏み外さないで欲しい。



「……【パリィさん、戻って】! 頼む、……【戻ってきてくれ】!」

「あ、が、あ、……があああああああああああああっ!」

「――っ! ……あああああああっ! あ、ぐ、……はっ!」



 どっと、左腕を貫かれる。灼熱が注ぎ込まれる様な激痛に、カイリは堪らず絶叫した。

 だが、目の前の彼も絶叫している。

 慟哭どうこくの様に感情がほとばしっていた。


「ヤメロ、……やめろっ! ……セイカ、ご、……聖歌……っ! ……あ、あ、……あああああああああ……っ!」

「ぱ、り……っ」

「……っ! ……カイ、リ……っ! え、……あ、あああああああ、……な、……ん、で……っ!」

「――っ、パリィさん……っ!」


 一瞬、彼の瞳に生気が戻った。

 先程のぎらついた光ではなく、彼本来の光だと直観する。

 だが。


「ああ、……アアアアアア……っ! セイ、カぁぁぁァァァァああああああアアアアアッ!」


 すぐに戻ってしまった。瞳はぎらぎらと怪しい光を放ち、カイリを突き刺す様に睨んでくる。

 それでも。



 苦しそうに、歯噛みしている。一度噛み切ったらしい唇からは、血がしたたり落ちていた。



 ぽたっと、カイリの頬を泣く様に赤く濡らす。

 それが、パリィの心の奥底の叫びに聞こえて、カイリは渾身の力を振り絞って痛みを訴える腕を上げた。



「パリィ、さん……っ。……、【大丈夫】」

「――っ!」

「もう、【大丈夫】。【大丈夫】、です、から」



 大丈夫、と何度も声をかける。彼が暴れる様に頭を振り回すのを、カイリは震える手を伸ばして頬に触れて止めた。

 彼の目が見開かれる。反応しているのは明らかだ。

 しかし。


「あ、……あああ……っ」


 ずるりと、怯える様に彼が離れていく。

 一歩、また一歩と後ずさる彼にカイリは焦った。悪いことに、彼の姿が少しずつ孤児院へと背を向けたまま近づいて行ったからだ。

 もし、ここで彼の意識をカイリに釘付けに出来なければ、再び孤児院に向かってしまう可能性が高い。それは駄目だ。

 それに。


 彼が苦しそうなのを、何とかしたい。


 欲張りだ。

 けれど、願う心は止まらない。誰かが苦しむ姿を見るのは、もう嫌だ。

 こちらに注意を引きつけたい。苦しそうなのも何とかしたい。

 ならば。



 二つの願いを叶える方法は、一つしかない。



「……っ、……お、願い、みんな……」



 ――力を、貸して。



 倒れたまま、胸で輝くパイライトを弱々しく握り締める。ぽうっと、手の平がほのかに温かくなった気がして、カイリは息を切らしながらも笑みが零れた。

 大丈夫。――大丈夫。



【――雪やこんこ あられやこんこ】



 息も絶え絶えに、歌う。彼の憎しみを、苦しみを、まっさらになる様にと祈りを織り込んで紡いでいく。



〝だから、大丈夫。……聖歌騎士だけど、……大丈夫。道、踏み外して、ない。それって、すごいこと〟



 彼が、苦しむカイリに優しくしてくれた様に。

 温もりを与えてくれた様に。

 心を救ってくれた様に。



 カイリも、彼を助けたい。その一心で歌い続ける。



「あ、……あああああああああああああっ‼ や、めええええええええ! ……や、め、……ロぉぉぉぉォォオオオオォォォおおおおおおおおおおおッ‼」



 カイリの歌声に、パリィは更に悶え苦しみ始めた。無茶苦茶に短剣を振るい、再びカイリを襲う。

 だが、止めはしない。

 彼の哀しみの向こうに真っ白な輝きが広がる様にと、カイリは笑って歌い続ける。



【降っても、ふっても まだ、降り、や、まぬ】



 傷付いた手で短く木刀を握り、さやと共に払うが、防ぎきれない。

 彼自身が外してくれることも多かったが、カイリの体に短剣が突き刺さっていく。激痛と朦朧もうろうとしていく意識のせいで、だんだんと手を上げることが出来なくなっていった。


「あ、……はっ、……ぱ、りぃ、さん……」

「あ、あああああ、あああああああああああああっ、カ、イ、……リ、……だ、めだ、……あああああああっ!」


 まだ、歌えていない。

 まだ、最後まで歌い切れてない。

 駄目だ。それでは彼が、解放されない。


 苦しみから、解放されない。


 重ねがけか。洗脳か。どちらかは分からないけれど。

 それでも。



〝いや、だ! ころ、す、なっ、……ヴぃく、とりあ……っ!! ああ、死、……どうし、て、……どうして……っ、――っ!!〟



 それでも。



〝どう、せ。君に、討たれ、る。わかって、たさ。村が、ほろび、た。君、が、ほうっておくは、ず、ない〟



 せめて、どうか。



〝だか、ら。……ほんとう、の、ほんとう、に。どっちにしろ、討たれるしか、ない、なら〟



 彼だけは――。



 しかし、最後まで歌は続けられなかった。



【い、ぬはよろこ、び 庭――】



 どっと、体を貫かれる。衝撃が全身に響き渡った。



 こふっと、カイリの口から熱い何かが零れ落ちて行く。

 命が流れ出ていく様な感覚だ。どくどくと、熱く脈打って止まらない。

 だが、それでもカイリは歌を紡ごうとした。彼の心を真っ白にしたくて、上げられない指をぴくりと動かし、口を開く。

 けれど。



 歌を紡ごうとして、――全く声が出ないことに絶望する。



「――っ! か、……カ、イ、……っ‼」



 目の前で、パリィが泣きそうな顔をしている。自らの両手を見下ろし、何かを叫んでいる。


 駄目だ。まだ、抜け出せていない。


 パリィの動きは止まったけれど、彼はとても酷い顔をしている。

 早く歌わなければ。最後まで歌わないと。

 そうでないと。



〝せめ、て、……君、の、手が、……良かっ……、…………っ〟



 そうでないと、彼まで、『彼』みたいに――。



「――カイリッ!!」



 遠くで、誰かが自分を呼ぶ声がする。

 瞬間、パリィが目の前から消え去った。代わりに、怒号と慌ただしい音が近付いてくる。

 誰だろう。そう思う間にも、カイリの視界が真っ暗に落ちていく。


 誰かが、何かを叫んでいる。


 だが、それに答えることが今のカイリには出来ない。

 パリィは、大丈夫だろうか。洗脳を完全には取り払えなかった。中途半端な状態だと、どうなってしまうのだろう。

 気がかりだったのに、もう何も考えられなくなる。



 叫びを、遠くで聞いたまま。



 カイリは、ぷっつりと意識を闇に落とした。


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