第97話


「どうしたんだい、カイリ」


 村にいた時、カイリがみんなから隠れて隅の方でぼんやり川を眺めていると、いつもエリックが気付いて声をかけてきてくれた。


「エリックさん」

「また悩みごと?」


 穏やかな笑顔で、エリックが隣に腰を下ろす。

 カイリが六歳になるまでは、親にはなかなか話せない悩みを彼が聞いてくれていた。

 特に何かを言ってくるわけではない。ただ黙って傍にいるだけだったのが、カイリにはありがたかったのを覚えている。


「……どうして、俺には何の才能もないんだろうって」


 剣も駄目、狩りも駄目、釣りも下手で踊りは相手の足を踏む。

 特に突出した能力も無く、エリックの様に人の話に耳を傾ける穏やかさも無いし、畑仕事で様々な提案が出来るわけでもない。誰かが困っていても、力になれるわけでもなかった。


 ただ、助けられているだけ。支えられてばかりで、自分はまったく何も返せていなかったのだ。


 この頃のカイリはチート能力が無いことに絶望し、焦っていて、あまり余裕が無かった。

 だから。



「……カイリには、歌があるよ」



 優しく、だが少しだけ苦しそうになだめてくる彼を気に掛けることがあまり出来なかった。

 歌は、確かに村の者達にせがまれる。

 上手でもなく下手でもない。前世では歌が当たり前の様にあふれていたカイリにとって、歌を歌えることはあまり特別なことではなかった。村の外の者に聞かせない様にというおきても、深く考えてはいなかったのだ。

 だが、今のカイリなら分かる。



 歌は、この世界にとって特殊な才能であったことを。



「大丈夫。だってカイリには、歌があるから」



 だから大丈夫だよ。



 そんな風にエリックが繰り返し告げてきてくれたその言葉は、この時のカイリには特に響いてはこなかったけれど。


 最近、少しずつ昔のことを思い出すカイリには。

 何故か、やけに強く耳に残っていた。











「会いたかったよ、カイリ」


 真っ平らな声が、カイリの耳朶じだを残酷に打つ。

 何の感情も映し出さない眼差しはひどく虚ろで、カイリの胸を激しく波立たせた。

 覚悟して会いに来たはずなのに、実際こうして顔を合わせると黒い感情が津波の様に押し寄せてくる。


 ――いけないっ。


 決して暗い波に呑まれてはいけない。この剣術も、聖歌も、決して悪用しないとレインとの約束で誓った。

 なだめる様に木刀を握り締め、カイリは飲み下す様にあごを引いた。


「……エリックさん」


 立ち上がって、カイリは彼と対峙する。

 夜空に溶け込む様に空色が風に舞う。いつも輝いていたその空色の髪は、少しだけくすんでいた。その様相に、彼の心境が映し出されている気がして、カイリの胸がじくりと痛んだ。



「……久しぶりだね、カイリ。生きて会えるなんて、やっぱり僕はついてるな」



 久々に聞いた彼の声は、驚くほど冷たかった。

 聞くだけで心臓を貫かれる様な寒々しさに、カイリはまたも木刀を握り直す。


「君を連れていけば、僕はめでたく狂信者の仲間入りだ。来てもらうよ」

「……。……お断りします」


 静かに、だが揺るがない決意と共に即答すれば、彼の顔がはっきりと歪む。

 あれだけ優しい顔をしていた彼が、今ではこんな風に醜く追い詰められた表情をさらしている。その事実が、カイリには辛くて目を背けたくなった。

 だが、顔は上げ続けなければならない。



〝君が、彼を見殺しにすることに変わりはない。己の手で直接下さなくても、『君が』、彼を殺すんだ〟



 カイリは、今から彼を――。



「……っ」



 だからこそ、彼がぶつけてくる真っ暗な感情も罵倒も全て受け止めなければならない。

 しかし、カイリが努めて平静を装ったからだろうか。余計に彼の顔が、亀裂が走る様に崩れていく。


「……君はっ、……どこまで僕の神経を逆撫ですれば気が済むんだろうねっ」

「……逆撫で」

「そうだよ。……ずっと、ずっと、ずーっと! 生まれた時からずーっとだっ! 君が邪魔で邪魔で仕方が無かったよっ‼」

「……っ」


 血を吐く様に叫ぶ彼に、カイリは斬られる様な痛みと共に無言を貫く。

 彼と話している間に、バルコニーの頭上から次々と影が音も無く飛び下りてくる。

 これで、完全に彼は狂信者の一員という揺ぎ無き証拠となってしまった。

 カイリを囲む様に移動する影達に注意を払いながら、気取られぬ様に後退する。後ろを振り向きたかったが、――ここでカイリが足を引っ張るわけにはいかない。

 それに。



 これは、カイリとエリックの対決の場だ。



 後ろは絶対に振り向かない。

 それが、カイリに出せる全力だった。


「……エリックさん。ずっと、聞きたかったことがあるんです」

「……何」


 ぶっきら棒で投げやりの様な返しに、カイリは一寸だけ静まりかけていた感情が荒く波立つのを感じ取った。

 けれど、ぐっと奥歯を噛み締め、堪える。感情だけで剣を振るうことこそ愚かなことはない。

 故に、淡々と、なるべく真っ平に、カイリはエリックに向かって質問を差し出した。



「……どうして、俺のことをあの二人に言ったんですか?」



 一番の疑問だった。

 村が滅びる直前、狂信者達から聞いた時から。フランツやシュリアから少しだけ事情を聴いた時から、ずっと、ずっと問い続けていた。

 彼は、知らなかったのだろうか。カイリと一緒で、告げること自体が危険な行為だと。

 だが、彼は目をく様にカイリを睨みつけてきた。視線だけで串刺しにする様な殺意に、思わず喉を鳴らす。



「どうして? ……はっ! ――君が、歌を歌えるからだよっ!」



 叩きつける様に絶叫される。

 告げ口したその理由を知りたかったのだが、見当はずれなことを返された様な気分だ。

 だが、エリックにはカイリの無反応が更に苛立ったらしい。だん、と床を強く踏み付けた。そのままだん、だん、と地団駄を踏む様に荒く床を蹴り飛ばす。

 その蹴り飛ばした音が、カイリの足元まで攻撃的に転がってきて、自然と俯きかけていた顔を必死に元の位置にまで戻した。震える息を、根限りに落ち着ける。


「っはは……っ! 君は、いっつもそう!」

「……、い、つも?」

「そうだよ! そうやって、何も知らない顔して! 何も知らないフリして! いつもいつもいつもいつも……いつもっ! 無邪気な子供のていで、無邪気に、残酷に! 僕から何もかも全部! 奪っていくんだ!」

「……、え?」


 言われた意味がよく噛み砕けない。

 一体彼は何を言っているのだろうか。軽く混乱し、狼狽ろうばいが顔に出てしまった。

 それを目にした途端、エリックは爆発する様な形相でカイリを睨みつけてくる。気迫が今まさに喉を食い破らんとするほどの凶暴さで、カイリは立っているのが辛くなってきた。

 しかし、ここで屈したら何も知らないままだ。懸命に立ち向かったが、彼の口から出て来た言葉は、カイリには到底理解出来ないものだった。


「君が生まれるまでは、僕が唯一の子供だった。村で一人だけの子供だよ。僕だけだった。分かるだろう?」

「……、はい」

「そう。村は、村のみんなは僕のものだった。みんな、僕のことを見ていた」

「……、え?」

「両親はもちろん、村長も、村長夫人も、ヴォルクさんも、奥さんも、みんな、……みんな! 僕だけを見ていた! 僕を可愛がって、僕のやることを褒めてくれて、僕を認めてくれて! 僕が何かをするたびに、みんな笑って! 僕だけがみんなに愛されていた! みんな、僕だけのものだった! それなのにっ!」


 だんっと、もう一度床を踏み鳴らされる。

 それが、彼の狂気が吹き荒れる瞬間にカイリの目には映った。



「君が生まれて、そうではなくなった」

「……、え」



 空っぽの、けれど狂気染みた眼差しがカイリの胸を貫く。



「君が生まれて、みんな君を可愛がったよ。泣いていれば、やれどうした。笑っていれば、おお可愛い。何か声を出せば、俺を呼んだ、いや私だ。君が誰かを見上げれば、今オレを見た、いいやわしだ、って笑いながら争う始末。……傍にいる僕のことなんて見向きもしなくなった!」

「……エリック、さん」

「ただでさえ全部奪っていったっていうのに、それだけでは飽き足らず、君は、……君はっ! 歌まで歌ってみせた!」

「――っ」

「その瞬間、村の全員が完全に君に注目したよ。僕なんて全く目に入らなくなった」

「そん……」

「そうなんだよっ! 否定するなんてどこまで傲慢なんだ!」



 有無を言わせぬ罵倒に、カイリは声を殺される。

 歪み切った声で、顔で、ただただカイリを握り潰す様に見下してきた。



「……分かるかい? 僕は、君のせいでずっと! そこにいない様に扱われてきたんだよ! ずっと、……ずっと! ずっと! ね!」



 本当に、意味がよく分からない。

 村の中で唯一の子供でなくなったから、カイリがうとましかった。そういうことだろうか。カイリが生まれたから、見向きもされなくなったと言うのだろうか。

 そんな馬鹿な、とカイリは首を振るしかない。

 少なくともカイリの目には、村のみんなはエリックのことを気にかけていた様に思う。

 いつも村のために尽くし、優しい彼にみんな感謝していた。村長などは彼の様に優しく、人を思いやれる子になって欲しいと言っていたくらいだ。



 みんな。彼を、自慢の息子の様に思っていると感じていた。



 それなのに、彼は言う。

 みんな、カイリにしか目がいかなくなったと。

 そんなこと、あるはずがないのに。

 彼は、もう信じ込んで決めつけていた。


「歌も歌えて、ちやほやされて。可愛い可愛い子供だからって、村全員で愛して、かくまって。君の両親が、君を連れて村を出て行くと言った時、出て行けば! こんなことにはならなかったのに!」


 その怒号に、カイリは知る。

 彼は、歌を歌える者を隠すということが、どれほど危険な行為だったのかを知っていたのだ、と。

 それを知りながら、彼はカイリを差し出したのか。

 すっと、カイリの頭が凍える様に冷えていく。怒っていて芯が熱いはずなのに、全身はとても寒い。相反する熱に、カイリの心までばらばらになりそうだ。



「みんな、君しか見ていなかった。歌をせがんで、聞いて喜んで」

「そ、れは。歌が、珍しかったから」

「珍しいとかじゃないだろ! 君の歌を、みんなが独り占めしたかったからだろっ‼」



 爆発する様な叫びだった。

 カイリが思っていたよりも遥かに遠くを行く理由に、足元から力が抜けていく。震えそうになる足を叱咤しったするので精一杯だった。


「みんな、みんな、君ばっかり見る。君が何かやらかせば、すぐさまみんなが君に駆け寄って行く。近くに僕がいるのに、君が何かを言うたび、何かをするたび、みんなの目はいつでも君に行くんだっ」

「……エリック、さ」

「僕が、一番立派に育てたいもを見ても、おざなりにしか褒めてくれなくなった。何かを一緒にしていても、君が何かやらかせば、みんなそっちにばっかり注目して。ついさっきまでおざなりにでも褒めていたくせに、あっさりと手の平を返すんだ。……僕の居場所は、どんどん無くなっていって、……っ」

「……、それは」

「だから、君の悩みを聞いている時は良い気分だったよ。こいつは、所詮しょせん僕にすがるしかない。こいつはちっぽけな奴だ。歌が歌えるから何だ。君なんて、僕が殺そうと思えば簡単に殺せてしまう、弱い弱い生き物だって!」


 吐き捨てる様に笑われて、カイリは歯車が噛み合わなくなっていく様な焦燥感を覚えた。

 何故、彼はそんな風に思ってしまったのだろう。

 何故、こんな風にすれ違ってしまったのだろう。


 ――ああ。違う。


 カイリは、知っている。嫉妬というのは、簡単な理屈ではないことを。

 いくら違うと言われても、どれだけそうではないと言い聞かせても。



〝僕さ、医者になりたいんだよ〟



 カイリが、かつてケントに嫉妬した時の様に。

 したくもないのに、嫉妬は勝手に膨れ上がっていく。己の意思に関わらず。

 歯止めなど、聞かなくなる。

 自分が醜く、歪んでいくのだ。

 前世の自分の行いが、まさに今返ってきている。そんな風に感じられて余計に苦しくなった。



「行商人になっても、変わらない。村は、いつだってカイリを気にしていた。みんな、みんな、……後から生まれたライン達子供達でさえっ。……僕の方が、ずっとずっと大人なのに! 村に貢献してきたのに! 子供達まで、君ばっかり頼るんだ!」

「……っ、エリックさんっ」

「呼ぶな! 虫唾むしずが走る!」

「――っ!」



 声を荒げられ、カイリの言葉が引っ込む。ひゅっと、嫌な音が喉で鳴った。


「君の歌が嫌いだっ。君の歌なんてもう聞きたくない!」

「……」

「そんな時に、あの二人に出会ったんだ。あの二人に!」

「そ、……っ」

「彼らから色んな話を聞いて、思ったよ。……ああ、そうだ。教会騎士になれれば、少しは違うのか。無条件で騎士になれるなんて、栄誉なことだ! そんなことが可能なのか。君を差し出せば、君を村からも引き離せて! しかも、僕は騎士になれる! なんて、一石二鳥なんだ! だから!」


 だから。


 聞きたくない。

 思いながら、カイリはエリックの悲鳴を真正面から受け止めた。



「だから、君を売ったんだ! 教会騎士だっていうあの二人にっ‼」

「――――――――」



 その結果。



 偽者に騙され、エリックは村を滅ぼした。



 力が抜ける様に、カイリの心の底に虚無が溜まっていく。

 カイリへの嫉妬から、あの村は滅びを辿っていった。『彼ら』の言っていた様に、カイリが村にいなければ起こらなかった悲劇かもしれない。

 やり切れない。はじめは小さかったはずの嫉妬から、あれほど大きな悲劇に繋がったということが。

 そんな勘違いから、あれだけ優しくて温かい村が滅んだことが。



 そんな、誰もが抱く黒い感情のせいで、多くの大切なものを失ったことが。



 カイリには、到底許せない。悲しくて苦しくて堪らなかった。



 彼が、カイリに少しでもぶつけていれば、何か変わったのだろうか。

 彼が、村の人達に少しでもそのことを訴えていれば、何かが変えられたのだろうか。

 しかし、それは。



 所詮は、夢物語だ。



 結果的に、みんな死んだ。

 カイリを守って、死んだ。

 目の前で、死んだ。



 ――死んだんだ。



「……、……エリックさんは」

「呼ぶなと言っている!」

「……それで、村が滅ぶかもしれないって。少しでも考えはしなかったんですか」

「――――――――」



 彼の目が見開かれる。

 その空色の瞳には、悲憤と憎悪が煮えたぎっていたが。

 奥に――本当に奥底に、揺れる様な惑いが見え隠れしていた。



「俺は、外に出てそれを知りました。歌える者をかくまうことが、どれほど危険だったのか。……どれほどの覚悟を持って、みんなが命懸けで守ってくれていたのか」

「そうだよっ。だから、君が憎くて!」

「でも、最終的にその憎しみで、貴方は村を滅ぼしたんです」

「――」



 熱の無い声だと、我ながら思った。

 だが、カイリは言わずにはいられない。



「俺のせいにするのは簡単です。俺の存在のせいで、村を滅ぼしたと言い続けるのも簡単です。でも」



 でも。

 例え、カイリが火種だとしても。



「……俺の存在を暴露し、村を危険にさらしたのは。他ならぬ貴方です――エリックさん」

「――――――――」



 あの優しくて、温かな村が。

 のどかで、賑やかで、平和だった村が。

 何よりも大切で、大好きだった村が。



 たった一夜で滅んだのだ。



 築き上げてきた日常を。

 交わし合った温もりを。

 育んできた幸せを。



 彼が、醜い嫉妬であっさり壊したのだ。



 それを許すことは、どうしてもカイリには出来ない。嫉妬する気持ちが分かっても、無理なものは無理だ。

 死ぬ覚悟で、最後までカイリを逃がそうとしてくれた彼らを思うと、悔しくて悔しくて、――苦しくて悲しくて堪らなかった。


「……、ははっ……」


 壊れた様に、エリックが笑う。顔を片手で覆い、その隙間からカイリを睨みつけてくる。

 狂った様な眼光がぎらつく。

 カイリのせいにし、けれど己への憎悪でも苦しみ。



 もう、後戻りが出来ないところまで彼は来てしまった。



 文字通り、これがエリックの最後の道だったのだろう。

 これしかきっと、もう道は無かったのだろう。



 例え悔いたとしても、もう。彼は、この道しか選べなかったのだ。



「どこまでも馬鹿にして……っ。どこまでも邪魔をして! 君さえいなければ! 僕は!」

「……俺も、その気持ちに覚えはあります」



 かつて、幼馴染であるケントに嫉妬していた。

 無視をすれば傷付くのは分かっていたが、口を開くとそれ以上に傷付ける気がして、だんまりを決め込んだのだ。

 けれど、それが間違っていたと気付いた時には既に遅かった。

 彼は死んでしまった。感謝さえ伝えられなかった。


 エリックは、規模の大きさはあれど、同じ道を辿ってしまったのだ。


 もう、何も伝えられない。

 苦しかったこと、辛かったこと、醜くて情けなかったこと。



 ――村が、嫉妬に狂ってしまうほどに好きだったこと。



 もう、彼は二度と伝えることが出来ないのだ。

 同じ気持ちを知っていたのに、気付けなかった。そのことだけは、カイリも後悔する。

 でも、だからこそ。


「……だからこそ、エリックさん。俺は、貴方を許しません」

「……っ!」

「俺が、死ぬまで全てを覚えています。……今から、貴方が死ぬ瞬間も、全て」

「……っ、な」

「それが、気付けなかったせめてもの償いだと思いますから」


 どんな理由があれど、誰かを傷付けて良い理由にはならない。

 痛みは、残るのだ。きっと、いや絶対にケントだって傷付いていた。

 だから、カイリはあの時の自分を許すことはない。一生、背負って歩いていく。

 そして、彼のことも背負わなければならない。カイリから始まったというのならば、尚更。



 彼は、きっと。一歩間違えれば自分が辿っていた、もう一人の自分だから。



 故に、目を逸らさずに罪を見据える。クリスが諭してくれた様に、己の罪から、彼の罪から――死から、決して目を逸らしはしない。

 だが、カイリの決意が彼に伝わるはずもない。苦しそうに、痛そうに、――泣きそうに歪んでいく彼の顔を、カイリは静まり返ったなぎの様な心地で見守った。



「……知った様な、……口ををををををおおおおおおおおっ!!」



 彼の咆哮ほうこうを合図に、一斉に影達が襲い掛かってくる。

 だが、その刃がカイリに届くことはなかった。



「――ま、想像通りって感じだったな」



 不敵な笑みを携えて、物陰にいたレインが一気に躍り出る。

 そのまま槍を風の様に斬り流し、舞う様に彼が飛び上がった。

 夜空に広がる黒いコートが、翼の様にはためく。流れ星の様に、槍が鮮烈に夜空を引き裂き、その度に黒い影が為す術もなく崩れて行った。

 とっと、軽くレインが着地をした時にはもう、エリック以外は誰も立ってはいなかった。


「……レインさん」

「話をする時間をあげろってクリストファー殿が言ってたからなー。……どうだ。話は出来たか?」

「……、……はい」


 レインは、カイリが到着した直後に軽やかに着地し、物影に潜んでいた。カイリもそれに気付いていたから、影達が囲んでいても余裕を保っていられたのだ。

 しかし、この事態がまた馬鹿にされている様に映ったかもしれない。エリックは呆然と辺りを見回し、カイリを見つめる動作を忙しなく繰り返していた。

 そうして、何度も何度も視線を行き来させ、最後にカイリに睥睨へいげいを縫い止め。


「……かい、り」

「……」

「カイリいいいいいいいいいいいいっ!」


 がむしゃらに突進しながら、エリックがカイリに向かってくる。カイリも木刀を構えて迎え撃った。

 だが、その刃が交わる前に。



 ばちいっ、と激しくエリックが弾かれる。



「えっ!?」

「な、……お前っ!」



 カイリとエリックが同時に驚愕する。

 カイリの腰が何故だか熱い。

 慌ててコートをめくると、腰に下げた聖書が淡く光り輝いていた。ふわりと聖書が丸い輝きに包まれ、その存在を主張している。



 ――村のみんなと、作り上げた図鑑。



 これが、カイリとエリックの間を裂いたのだ。

 その事実に、カイリの胸がえぐられる様に痛む。思わず木刀を引いてしまった。


「はっ、……よそ見してる暇があるのかい!? この、甘ったれが!」

「――っ」


 あざける様にエリックが再び突進してくる。

 困惑と動揺に翻弄ほんろうされながら、カイリも何とか木刀をもう一度持ち上げた。



 だが、その瞬間彼の背後に、ちらりとなびく胡桃くるみ色が見えた。



「――……」



 ――ああ。本当に、終わるんだ。



 悟って、カイリはこの一瞬で覚悟を決める。――彼が決着をつけてくれるのかと、どうしようもなく胸が痛んだが無視をした。

 エリックの突進に合わせ、カイリも注意を引き付けるために急いで木刀を構え直す。その際、図鑑の輝きが脳裏にちらつき、ずきりとまた胸が痛みを訴えたが敢えて無視をした。

 そうして、両者が再び刃を切り結ぼうとしたが。



 今回も、カイリに刃が届くことは無かった。



「――僕の親友に嫉妬するなんて、百億万年早いよ」

「――」



 笑う様な宣言と共に。

 どっと、エリックの胸に剣が生えた。


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