第32話
「さあ、ここが第十三位宿舎だ。どうだ、広いだろう?」
「……、ええ、はい。……広いっていうか、……」
今までの宿舎も、正直普通の一軒家の十倍以上はあるのではないかというくらい広かったが、カイリは目の前の建物を見上げても呆けるしかなかった。
第十三位の宿舎を含め、どの建物も綺麗な木造物だ。手入れも行き届いていて、清潔感にも溢れている。玄関となっている入口も簡単な造りに見えるが、結構しっかり施錠はされているということも知った。
第十二位の宿舎までは、どの建物の間もかなり近い距離だったのに比べ、第十三位までは十分ほど歩くことになった。
そうして、ようやく渡り廊下の最後に行き着いたわけだが。
「……、あの。ここ、豪邸……いや、何かの重要な施設ですか?」
「うむ? いや、違うぞ。ただの宿舎だ」
「……広さが、……今までは一軒家の十倍くらいかなーと思っていたのが、軽く二十倍くらいありそうなんですけど……」
「まあなあ。元々第十三位の宿舎の裏は、無駄に空き地が広くてな。抜け穴などが無いか十二分に確認してから、団長権限で改築したのだ。設備も色々整っているぞ」
「……」
もはや開いた口が塞がらない。
誇らしげにふんぞり返るフランツは、心なしか瞳が子供の様に輝いている。時折言動がズレているなと思ってはいたが、やはり感性もズレているのかもしれない。
おかしい。今日一日の感覚からすると、第十三位はかなり他の団から嫌われている空気があった。
それなのに、この宿舎が一番立派なのはどういう了見なのか。理解に苦しむ。
「さて、入るか。ああ、カイリにも明日、この宿舎の鍵を渡すからな」
「あ、はい。ありがとうございます」
どうやら、もうフランツの中ではカイリは第十三位に入ることが決定している様だ。団員の許可もなく大丈夫なのだろうかと、少し不安になる。
〝カイリさんというお名前だと知って。これは是非とも勧誘しなければと!〟
〝貴方様は、第一位にいるべきです〟
〝さあ、行きましょう。お連れ致します〟
一瞬、先程の出来事が脳裏を
だが、すぐに首を振る。フランツやシュリアがいる団だ。彼らの様な盲目的な者は、恐らくいない。はずだ。
「……お邪魔します」
扉は鉄製のもので、かなり頑丈だ。弾丸を受けても壊れない様に、防犯も色々工夫しているらしいとカイリは観察する。
「さて。あいつらは、何処に……ん。何だ、応接室にいるのか」
「応接室?」
「入口の一番近くの部屋だ。どの宿舎も、その造りだけは同じだ。客を、奥に招き入れることはしない」
機密事項が多いから、と暗に言われた気がする。
どの団も、説明を聞いていると役割が違った。教会に関わる重要な情報も保管されているだろう。
思った以上に考えられていることを知り、カイリは自然と背筋が伸びた。
「さあ、ここだ。……ん?」
「……」
フランツに導かれてやってきた部屋は、扉が少しだけ開いていた。不思議そうに
そして。
「……」
見上げた先。
扉の隙間には、小さな銀の箱が挟まっていた。開ければすぐに落ちてくるだろうことは、当然分かりやすい帰結である。
――これ、見たことある。
カイリは遠い目をしながら、小学校時代を思い出す。
むかーしむかし、教室の扉に黒板消しを挟む
それと、同じだ。恐らく、銀の箱には大量の何かが入っているのだろう。
――今時、こんな幼稚な悪戯を仕掛ける奴がいるのか。
しかも、騎士と考えれば大体は大人。のはずだ。大人が、こんな分かりやすい悪戯を考えるのか。
カイリは、一分ほど押し黙った。
そして。
「フランツさん」
カイリは、わざと大きな声を出し、呼びかけた。
「お先にどうぞ」
「――っ!?」
部屋の向こうで、空気が揺れた。
だが、そんなことはカイリの知ったことではない。
「ふむ、分かった。緊張しているのだな」
彼の足音に、部屋の奥では飛び上がる様な物音と一緒に、がしゃん、どん、と騒がしく転がる音が聞こえてくる。
「では、入るぞ。お前達――」
「――わああああああああっ! 待った待った! 待って下さいっす、フランツ団長……!」
ばたばたと慌てて扉が開かれ、フランツは大股で一歩下がる。
そして。
がこんっ!! ばふんっ!!
見事、いきなり現れた人物の頭上に、銀の箱の角が貫く様に刺さった。その衝撃で、箱に入っていた粉が一斉に彼に降りかかる。
「げっほごっほ! げっほ、げっ……ど、あ、ちが、何で、ボクなんっ、げほごほっ……!」
「やはりエディか。全くお前は……」
呆れ気味に見下ろすフランツに、エディと呼ばれた青年は、粉を勢いよく吸ったらしく、思い切り
「何でフランツ団長なんすか! こういう時、普通、新人が率先してかぶるもんでしょうが! 団長を守るため、犠牲になるべきっす! 新人として!」
何という
しかし、引っかかる義理はまるで無い。
「……新人いじめなんて、見下げた根性なので。是非とも上司であるフランツさんに責任を取ってもらおうと思いまして」
「はっはっは。まあ、その通りだな」
しれっとカイリが言い返せば、エディはぱくぱくと酸欠の様に口を開閉させ。
ぐるん、と勢い良く後方を回る様に振り返った。
「ちょっと、シュリア姉さん! こいつ、ぜんっぜん! 素直じゃないんすけど!?」
「あら。わたくしは、彼が素直だなんて一言も言っていませんわ。頑固で真っ直ぐと伝えただけです」
絶対零度の眼差しで、シュリアが奥のソファで答える。やはり、カイリのことはもう団には伝わっている様だ。
だからこその歓迎ということだが、これは歓迎なのか拒絶なのか。カイリは迷ってしまう。
「……ははっ。シュリアが珍しく色々言うから、どんな奴かと思ったら。……へえ。結構良い性格してんじゃねえの」
「――」
シュリアの向かいから、やけに楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
カイリも釣られてそちらに目をやり――
夕焼けの様な真っ赤な髪に、ルビーの様な鮮やかな瞳。
〝……、おう! おれは、カイリのおししょーさまだからな!〟
すっきりした顔立ちと、やんちゃでどこか悪戯っぽい笑みは、強い郷愁を呼び起こす。
その懐かしすぎる
「……、ライン……っ」
「……、は?」
「――っ、あ」
名前を口にしたのは、ほぼ無意識だった。
ばっと慌ててカイリは口を塞ぐが、ラインと呼ばれた人物を含め、一様に不思議そうな視線がこちらを集中して貫いてくる。
それによく見れば、ラインと間違ってしまった彼は、カイリよりも見た目が確実に上だ。青年であるのに、何故ラインに重ねてしまったのだろう。
だが。
「おー、惜しいな! オレの名前はレインだ」
ぱちん、と指を鳴らして軽くウィンクしてくる。
それでも。
――大人になったら、こんな姿になっていたんじゃないかな。
そんな風に強く思ってしまうほど、彼はどこかラインに似ていた。
強烈な第一印象は
「す、すみません。俺は、カイリと言います。初めまして」
「おー。改めて、レインだ。で、何でラインなんだ?」
「えっと……。ちょっと、その、俺の友人に似ていて。あ、剣の師匠でもあるんですけど」
「お。剣の師匠か! 何だ何だ? オレに似て、クールビューティな好青年ってわけか?」
「いえ、……八歳の男の子です」
「はあ? 八歳?」
心外だ、とでも言わんばかりに肩を
おかげで、ようやく彼をレイン個人と認めることが出来た。落ち着いて、彼の目を見れる。――彼と同じ、ルビーの瞳を。
「はい。村の中でも一番強かったです。偽者の教会騎士も、彼が倒しました」
「おお、そいつのことか。シュリアから聞いた聞いた。あ、そういや、そのことでシュリアに喧嘩吹っ掛けたんだって?」
「……、え」
「そうですわ。まったく、どこまでも礼儀のなっていない。呆れますわ」
ふいっと顔を背ける彼女に、少しだけカイリはむっとしてしまう。ラインを馬鹿にされた時のことも思い出して、自然と声が尖ってしまった。
「確かに言い方はきつかったかもしれないけど、撤回はしないからな。ラインは、強くて尊敬する俺のお師匠様なんだ」
「はいはい、分かりました。……別に、そこはもう何も言いませんわ」
「……。……それなら、良いけど」
語尾を弱めた彼女の言い方に、どこか罰の悪そうな響きがこもっていた。
考えてみれば、宿の襲撃事件の時、彼女はラインをもう馬鹿にはしていなかった。少しはカイリの言葉が届いたのかもしれないと、今更ながらに気付く。
何か言うべきだろうか。
どうしてこんなに子供の対応しか出来ないのだろうと、カイリが焦ってもたもたしていると。
「……ふふっ」
奥の方から、鈴の様な笑い声が聞こえてきた。
思わず顔を上げると、シュリアの隣に座っている一人の少女の姿が目に入る。
海の様な深い蒼い髪に、マリンブルーの様に透明な瞳。他の者と同じく黒いコートを
「初めまして、カイリ様。私は、リオーネ。シュリアちゃんのお友達です」
ふわりと笑う顔が、優しい。
春の花が開いた様な笑顔に、カイリは一瞬戸惑った。
「あ、ご丁寧に。俺は、カイリです。初めまして。でも、様付けじゃなくて……」
「様付けは、私の癖ですから。慣れて下さい」
「は、はあ」
見た所、同じ年齢くらいに見える。
そんな彼女に様付けされるのは、何だかむず
「シュリアちゃんから聞きました。私と同じ十六歳だって。だから、呼び捨てにして下さい。敬語も止めて頂けると」
「え」
「私は、この話し方が癖なので……でも、そうしてもらえると嬉しいです」
ふわふわと花びらが舞う様な話し方だ。シュリアとは正反対のタイプの女性で、何となく調子が狂う。
だが、女性からの申し出を断るのも失礼だろう。ミーナにも、「乙女に恥をかかせたらだめよ!」と言われていた。
故に、「分かった」と頷いて、手を差し出そうとしたが。
「……ちょっとちょっとちょっとー! 待ったーっ!!」
ざっと、瞬間移動の様に粉を被った青年が割って入ってきた。
うわっと驚いて、カイリは反射的に手を引っ込める。少し遅ければ、彼にまともにぶつかって、手を怪我していたところだ。
「リオーネさんに! 手を出すなんて許すまじっす!」
「……、はい?」
明後日の方向の忠告をされ、カイリは首を傾げる。シュリアが白い目で、レインが楽しげに観察しているのが何故か憎らしかった。
「リオーネさんは、確かに可憐で可愛らしくて花びらの様に繊細で、そう! 例えるなら、えー、えー、……、……薔薇?」
「……薔薇って、可憐で繊細かな」
どちらかと言うと、華やかで誇らしげに咲くイメージだ。
だが、彼――確か、エディとフランツが言っていた――は違ったらしい。
「む、ぐ! し、新人のくせに生意気っす! と、とにかく! リオーネさんは、ボクが狙っているっすよ! 抜け駆けは禁止っす!」
「はあ」
「……ま、リオーネさんに惚れるのも分かるっすけどね。こんなに可愛らしくて絶世の美少女で、優しげで清らかな人、他にいないっすからね!」
「はあ」
「でも、先に惚れたのはボクです。残念でしたね」
今度は得意気に彼女自慢を始めた。
警告したり、自慢をしたり、忙しい青年だとカイリは呆れる。彼相手に敬語が既に抜け落ちてしまっていたが、まあいいかとカイリはぶん投げた。年上っぽいが、年齢もそう変わらなさそうだ。
「そう。リオーネさんは、そこらにいる女性と比較しても、何て女の子らしいんだろうって思うっすよ。気遣いもあり、笑顔もあり、言葉も優しいし、仕草も可愛い。シュリア姉さんと比べたら、月とすっぽん!」
「……どっちが月で、どっちがすっぽんですの?」
「ひいっ! そ、それは……! えー、と、とにかく! 女の子が欲しいなら、今度、ハーレムサービス? に連れて行きますから! ……楽しいひとときのために?」
何故、ハーレムサービスとやらに連れて行かれなければならないのか。
ハーレムサービスとは、一体何だろうか。新たなる単語に、カイリは疑問符しか浮かばない。
そもそも、言っている本人も思考が追い付いていないらしい。何故最後に疑問形になるのか。行ったことが無いのではと、カイリは半眼になってしまう。
「……いや、俺は別にハーレムサービス? には行かないから」
「なぬっ!? ま、まさか、もう……恋人が五人も六人もいて、女なんて吐いて捨てるほどいるとか! ますますリオーネさんに近付けさせるわけにはいかないっすよ!」
「……それって、割と俺、最低な奴になるよな?」
「そうっす! 最低っす! だから、ハーレムサービス……!」
「行かないから。そもそも、何だよハーレムサービスって」
「は、ハーレムサービスを知らない……!? ど、どんだけ世間知らず……!」
「悪かったな。田舎暮らしだから知らなくて当然だろ」
彼にはもう、何を言っても無駄だろう。弁解よりも、切って捨てることにした。対応的にはシュリアと同じで大丈夫だろう。――シュリアより、面倒かもしれない。
くたびれ果てて、心なしか服もぼろっとよれた気がしていると。
「……くっく。……いやあ、シュリアがあれこれ言うのが分かるな。ほんと、良い性格してるぜ」
ソファの背もたれに片腕を預け、楽しそうにレインが目を細める。真正面のソファに座っていたシュリアが、嫌そうに身を引いた。
「本当ですわ。はあ、これから毎日顔を合わせるかと思うと頭が痛いですわ」
「ふふ、シュリアちゃん、可愛いです♪」
「はあっ!? リオーネ、あなた、目は大丈夫ですの?」
「もちろんです。だって、シュリアちゃん、生き生きしていますから♪」
「はあっ!?」
「ああ、そんな風に微笑むリオーネさん、さいっこう……!」
シュリアが叫ぶのを、リオーネが微笑みながら流し、それに涙をしながら膝を付いて
何というか、コントを見ている気分だった。これが騎士なのかと、カイリは呆然となってしまう。
けれど。
「……っふふ」
胸の奥から、喜びが込み上げてくる。
先程まで出会ってきた騎士とは全く違う。それが、嬉しくて堪らない。
「……あはははは……っ!」
堪えきれずに笑い声を上げれば、賑やかな喧騒が止まる。
これが、第十三位。
確かに問題児の集まりなのかもしれない。およそ騎士らしくないし、他の騎士からは毛嫌いだってされているのかもしれない。
だけど。
〝カイリ殿ほどの者なら、精鋭である第一位を選ぶべきです! それなのに、よりによって第十三位とは……! 人生を棒に振っている様なものだ! 一生泥でも食らうつもりですか!〟
あんな風に、誰かを平気で
聖歌を歌えるというだけで、濁った様に追いかけてくる目もここには無い。
それだけで、カイリには充分だった。
「……、あの。改めまして、俺は、カイリって言います」
声は震えていないだろうか。改まって彼らに向き直るのは緊張する。
背後には、黙って見守ってくれていたフランツがいる。何も言わないし、触れられてはいないが、何故か背中を叩いてくれる様な気配がした。
「お願いします。……どうか、俺を。この第十三位に入れて下さい」
頭を下げて、カイリは懇願する。
それが、カイリにとっての彼らに対する精一杯の誠意だった。
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