第13話


 ずるっと、カイリの目の前で、ミーナの体から刃が引き抜かれていく。


 そのまま、ごぽっと彼女の体から吐き出す様に真っ赤な液体が溢れ出した。一緒に、口からも真っ赤な花がしおれる様に零れ落ちる。

 地面に人形の様に転がる様を、カイリは呆然と見届けた。ミーナ、とみっともなくも声にならず、唇だけで名を呼ぶ。



「……、か、い、……――――――」



 彼女の口が、カイリの名を呼んだ。

 それに、ミーナ、と今度こそカイリは掠れた声でも一生懸命振り絞ろうとした時。



 ぐしゃっと、彼女の頭を無礼な足が踏み付けた。



 ミーナの声がそこでぷっつりと途切れる。

 そのまま、無礼な足は嘲笑う様にぐりぐりとかかとで踏みにじった。下品な笑い声が、嫌らしく彼女の体に落ちていく。


「はん、てこずらせやがって。ガキのくせによ」

「……、……が、き」


 ガキだガキだと、先程から男共がうるさい。ぶんぶんと、虫が耳元で飛び回る様にカイリにとっては不快で不快で堪らなかった。



 ミーナはミーナだ。ガキなどという名前ではない。



 彼女はいつも明るくて、胸を張って、周りに元気を分け与える様な女の子だった。冗談の様にカイリの妻になると宣言していて、周りの大人も微笑ましそうに見守っていた。


 彼女は大人になったら、きっと綺麗な女性に成長していただろう。


 そうしたら、カイリなど置いて他のもっと素敵な男性と恋に落ちたりしていたかもしれない。それを見て、さみしいと思ったりするのかなと、考えたこともあった。

 彼女は絵が上手かった。将来は絵を武器に何かの職業に就いていたかもしれない。カイリは、彼女の一番最初の絵にサインをしてもらって、誇りにするのだと思っていた。

 くだらなくても、先は分からなくても。カイリは、彼女と一緒に未来を歩いていくのを楽しみにしていた。

 笑って生きる彼女を、見守るのが楽しかった。

 それなのに。



 もう、彼女はこの先一生笑うことは無い。



 見開いたまま、泣いたまま、ガラス球の様な虚ろな瞳をカイリに向けているだけだった。


「――っ! 貴様……っ!!」


 衝動的に、近くに転がっていた剣をカイリが拾い上げると同時に。


「馬鹿ねえ。大事な人質殺してんじゃないよ!」


 ざん、と目の前の男の首が飛んだ。

 その瞬間、びしゃっと、勢い良く血飛沫がカイリに飛んで衣服を濡らす。べたついた感触に、カイリはそろそろと己を見下ろした。

 まだらの様に服を彩る不吉な色。肌に貼り付いた斑点はんてんの様な赤い飛沫。

 それは、確かに先程まで生きていたという、命の証の成れの果て。

 瞬間。



〝――カイリッ!!〟



「――っ、ひっ……!」



 がらん、と拾った剣を無様に落とした。首の無い男の死体に、虚ろなミーナに、かつての幼馴染の姿を重ねる。


「あ、……あっ」

「って、あねさん、話が違う……ぎゃあっ!」

「ひっ!」


 別の男が串刺しにされ、カイリの足から力が抜け落ちた。そのまま崩れ、次々と転がる野盗の群れを見つめる。

 目の前の男の首が飛んだのを合図に、教会騎士と偽ったもう一人の男性が、無言で辺りを踏み荒らしていた野盗達を次々と殺していた。話が違う、やめろ、と逃げ惑う彼らを無慈悲に踏み付けていくさまに、カイリは逃げる様に尻餅を突いたまま後ずさった。


「な、んで。あいつら、仲間、じゃ」

「はあ? 仲間なもんかい。ここの辺りをうろちょろしてたから、駒になってもらったんだよー」

「こ、ま」

「二人で村を包囲なんて出来ないだろう? どうせ死んでもらうつもりだったし、目的も果たしたから奴らこそ用無しさ」


 はっと、狂った様に高笑いする女性に、カイリは異質な獣を見る様な衝撃が走った。


 ――こんなところに、いたくない。


 恐怖に押され、じりじりと後退していく。

 その内に、がっと、左手が何かに触れた。反射的に、びくりと体が震え上がる。

 それでも、見ないわけにはいかない。恐る恐る後ろを振り向き――ひぐっ、と潰れた様な悲鳴がほとばしった。



「……あ、あっ、ヴ、ヴォルク、さ、……っ」



 カイリの手がぶつかった先には、ヴォルクの変わり果てた姿があった。

 村一番とうたわれていた剣の使い手が、無残な姿になっている。その狂った現実を、カイリは頭も心も拒否し続けた。


「あーあ、その男。村一番だか何だか知らないけど、娘人質に取られたらねえ。もう石ころ当然さ。欠伸あくびが出たよ」


 残酷な末路を突き付けられ、カイリは思わず耳を塞いだ。

 彼が、――村の者達が、どんな風に死んだかなんて知りたくない。聞きたくない。


「い、いや、だ。なん、で……っ」

「何で? 何を言ってるんだい、あんたが殺したんだろう?」

「―――――」



 殺した。



 その単語に、岩で思い切り殴られた様な衝撃が走った。

 弾かれた様に顔を上げるカイリに、にやりと女性がねっとりした様に笑いかけてくる。


「そうさ。あんたが殺したんだ。大人しく私たちについてこれば良かったものを」

「……っ」

「そうすればねえ、あんたの母親だって死ぬことは無かっただろうに」

「――――」


 告げられた現実に、カイリの時間が止まる。聞こえてきた意味が頭の中を素通りして、なかなか飲み込めなかった。

 母が、何だと言ったのだ。

 母が、どうなったと。

 彼女は、母が、一体。



〝死ぬことは無かっただろうに〟



 母が――。



「――っ、……う、そ」

「嘘じゃあないよ」

「っ! や、め」


 いつの間にか近付いていた女性が、カイリの腕を乱暴に掴む。耳元に唇を寄せ、触れる吐息の熱さに身の毛がよだった。


「離せ……っ!」

「母も子供もみーんな死なせるなんて、どれだけ悪い子なんだろうねえ。さすが、――【蛇】が好きなだけあるねえ」

「――っ、あっ!」


 ずるっと、耳元から流し込まれた様に黒い感触が入り込む。追い出す様に服の上から掻きむしるが、一向にうごめきが収まることはない。むしろ激しくなって、カイリの体をのた打ち回る様に暴れ出す。


「いっ、……あああああああっ!」

「いい悲鳴だねえ。……さあさあ、心を食っちまいな。所詮、歌が歌えると言ったって、何も知らされていなさそうな無知なお子様。このまま心が死んだって、歌さえ歌えれば構やしないよ」


 とんでもない暴言に、カイリは地面の上で転げ回った。土を強く掻きむしり、指先から血が出ていることにも気付かないまま、ひたすらに禍々しい感触に抵抗する。

 嫌だ。恐い。視界もかすんで、だんだん何も考えられなくなっていく。

 体の中で蠢く舌が、次第に心臓の方へとするする伸びていっているのが分かった。ちろりと遊ぶ様に弄ばれ、カイリは吐き出す様に震える。

 嫌だ。このままでは。本当に。

 こんな、人の命を物の様に扱う人間に、いい様に操られるなど。

 そんなことは。



「――【許せない】」

「……っ!?」



 目の前の女性が、はっと息を呑んで、もつれながら飛びずさる。よろりと無様に彼女が尻餅を突いていたが、それには気付かず、カイリはひたすらに強く祈る。

 駄目だ。許せない。そんな風に、彼らの手に落ちるなど。

 母の決意を、父の覚悟を無駄にし、目の前でミーナまで死なせてしまったのだ。

 ならば。もう、これ以上。


「好き勝手に、させない」

「……、な、んだって?」

「これ以上、体の中を、……っ、この体は、俺のものだ! 蛇は、……【出て行けっ】!」


 瞬間。



 ぱあんっと、体の中で弾ける様な音が走った。



「――っ、はっ!」


 かはっと、吐き出しながら、カイリは体の中が軽くなるのを感じた。

 だが同時に、どっと重力に押し潰される様に全身という全身から力が抜けていく。指先が小刻みに震え、寒くも無いのにひどく冷える。体中に纏わり付く汗も気持ち悪かったが、身を起こすことも叶わない。


「……、馬鹿な……」


 呆然と呟く様に、彼女が目を見開いている。

 一体何にそんなに驚いているのだろうか。カイリは懸命に体に力を入れようとしながら、耳を傾ける。


「お前、……何も知らないくせに。どうして」

「……、だい、たい。何で、歌える奴を探しているんだ。あんただって、歌えるんじゃないのか」


 何も知らないからこその時間稼ぎだ。父は、親友がこの村に向かっていると言っていた。

 ならば、何としてでもそれまで時を稼がなければならない。それ故の質問だったのだが。



「……ははっ! あんた、馬鹿だねえ。歌っていうのは、聖歌語を読める奴しか歌えないんだよ!」

「――、え?」



 聖歌語を読める人間。



 彼女は、そう言ったのか。あまりに不可解すぎる条件に、カイリの頭はさっぱり追い付かない。

 それならば、村で歌えていた両親やライン、ミーナも聖歌語を読めるということか。確かに他に歌っていた者はいなかったが、正直意味が滅茶苦茶に思えた。

 それに。


「だったら、あんただって歌えるんだろ。さっき、にほ……聖歌語を、使っていたじゃないか」

「はん、馬鹿だねえ。私たちは、ただ特定の単語や一文の発音を教えてもらっただけさ。それを死に物狂いで覚えてなぞっているだけ」


 益々意味が分からない。


 それが本当なら、彼女は聖歌語を話せないことになる。

 だが、意味を理解して彼女は口にしているのではないのか。そうでなければ、あの別れ際の一文をカイリに的確に投げ付けることなど出来なかったはずだ。


「本当に無知だねえ。……『探し人』は、誰かを探して探りを入れる時に便利だから。『蛇』は、攻撃用。そして、『どうせ貴方の言うことなんて、みんな信じないもの』」

「……っ」

「そう言ったら、大体の人間は疑心暗鬼になるもんさ。周りが無知だと特にねえ。あんただって、そうだっただろう?」


 丁寧に解説されて、ようやくカイリも合点がいく。

 つまり、便利な単語と一文だけを全力で頭に叩き込み、効果的に使用する。

 実際、まんまとカイリも引っかかってしまった。自分の詰めの甘さにほとほと呆れる。吐き気がした。

 そうして、はあっと、女性がどっさりと腰を下ろした。

 先程までは威勢が良かったのに、何故か今は妙に疲れている。カイリも動けなくなるほどになってしまったが、どうしたのだろうかと観察していると、野盗を切り刻んでいた男が戻ってきた。じゃりっと、不吉な足音が上がる。


「ふん、……はあ。この手の力は、体力がごっそり削られるからねえ。ああ、ブラッド……終わったのかい?」

「ああ。……一人、ひやりとしたが。まあ、このミーナってガキが人質に取られているのを知って、あっさりとな」

「――――」


 終わった。


 宣言と同時に、ブラッドと呼ばれた男性が、どさりと何かを落とす。

 それは、人の体だった。カイリは、ふらりと入らない力を無理矢理入れて、体を上半身だけ何とか起こす。

 ルビーの様な真っ赤な髪。ぼろぼろになった衣服は血塗れで、瞼は静かに閉じられている。

 誰なのか。悟った瞬間。



〝カイリはまだまだよわいしな! おれがいないとな!〟



「――っ、あああああああああっ!!」



 取り落とした剣を、再び握る。

 だが、足が上手く動かない。膝を立てて踏ん張るが、どうしても立ち上がることが出来なかった。


「くそっ! 動けよ! 貴様、……ラインをっ」

「言っただろう? あんたが殺したんだよ」

「っ!」


 心臓を一突きされる様な衝撃を味わう。じわじわと、黒い染みが落ちた様に真っ暗な闇が心をむしばんでいった。

 殺した。カイリが。素直に彼らの求めに応じなかったから。

 そうかもしれない。両親の決意を振り切って彼らに従っていたならば、今頃この村はまだ賑やかな笑顔に包まれていたのだろうか。


〝――カイリッ!!〟


 あの幼馴染の時の様に。

 きっと、自分が殺したのだ。

 彼らの言う通りだ。

 歌さえ歌わなければ。大人しく従っていれば。もしかしたら、この村は惨劇に見舞われることはなかったかもしれない。


 ――だが。


〝父さん、この歌が一番好きだな〟


〝カイリが作った歌だもの、当たり前よ〟


〝お父さまとお母さまにお渡しになって! きっと大喜びだわ! わたしのかぶも上がるわ!〟


〝そんなことないよー。カイリおにいちゃん、そのまんまだよ!〟


〝おう! おれは、カイリのおししょーさまだからな!〟


 例え、カイリ自身がこの争いの原因だったとしても。



〝お誕生日おめでとう、カイリ〟



「――殺したのは、あんた達だ」



 決して、この結果を叩き付けた者に、屈するわけにはいかない。



「俺が原因だとしても! 殺したのは、あんた達だ! そんな奴らの言うことなんて、誰が聞くかっ!」



 負けじとえて、カイリは剣を握り直す。

 そのまま、歯を食い縛って力強く立ち上がった。険しい顔をした男性騎士に、堂々と剣を突き付ける。

 本当は、足が震えそうに怯えていた。剣先だって少しでも気を抜けば、ぶれて隙だらけになってしまう。

 だけど。


 ――だけど。


「俺は! 歌なんか知らない! 帰れ! この村から、早く出て行けっ!」

「……強情だねえっ! ブラッド!」

「ああ」


 すっと、腕二本分よりも太い大剣を真正面に振りかぶる。ぶん、と空気がうなる様に切れて、カイリの心が小さく跳ねた。


「我々は、幸せなる未来へ行くのだ。歌で、門を開け」


 幸せなる未来。門。

 よく分からない単語を並べられて、カイリはふるっと首を横に振る。


「……何、言って」

「幸せなる世界へ、この世界とは別の世界へ。その門を開けるのは、歌だけだ。だから……お前には、その生贄にえとなってもらう!」

「――っ!」


 瞬く間に男性が距離を詰めてきた。

 カイリは咄嗟とっさに半身をひねり、後方に飛んで間を取る。男性が意外そうに目を丸くして、大きく舌打ちしてきた。


「こいつ、……防御の剣なんぞ使うかっ」

「……、……俺のお師匠様が、たっぷり教えてくれたからな!」

小癪こしゃくなっ!」


 不敵に挑発すれば、男性が激しく目を吊り上げた。そのまま、突進しながら横薙ぎに払ってくるのを、カイリは冷静に判断しながら上から垂直に叩き落とす。

 力の方向に対して垂直に当てると、驚くほど簡単に軌道が逸れる。ラインが言うにはそれを駆使したカウンター術があるらしいが、カイリはそもそも攻撃が出来ない。だから、距離を取るしか能が無かった。

 だが。


 ――いける。


 男性の攻撃は確かに力強くて狂暴だが、ラインの剣ほど速くは無い。女性が加わったら厳しくはなってくるが、それでもさばけないほどの力量の差はなかった。

 これならば、父の親友が来る時間を稼げるかもしれない。逃げながら相手をすれば、距離も更に縮まる。

 約束の日までは、あと一日ほど。もし早ければ半日かもしれないが、不透明だ。

 厳しくはあるし絶望的だが、諦めるわけにはいかない。


〝村長たちとは何度も話し合って決めたことだ〟


 村が、両親が、決死の覚悟で生かそうとしてくれたこの身。

 愚かにも飛び込んでしまったが、簡単に諦めるわけにはいかなかった。


「――いい加減にしろ、ガキが!」


 男が雄叫びを上げながら突進してくる。

 振るわれる切っ先を避け、カイリが右足に力を入れて回ろうとした、その時。



 ――びきいっと、右足首に割れる様な激痛が走った。



「っ、あぐっ!」



 全身を駆ける様な痛みの前で、無様に膝を折ってしまった。その隙を相手が見逃すはずがない。

 だんっと、地面にうつぶせに叩き付けられる。そのまま両手を後ろ手に取られ、捻り上げられた腕が悲鳴を上げた。


「うあっ! や、め……っ」

「……やはりガキか。他愛もない。――【蛇】よ」

「――っ!」


 するっと、また体の中に蛇の様な蠢きが入り込む。

 反射的に先程と同じ言葉を叫ぼうとして、口を抑え込まれた。ぐっとあごごと鷲掴わしづかみにする痛みと、体中をのた打ち回る気持ち悪さに、カイリは必死に体をよじった。


「ん! んー、うーっ!」

「そのまま落ちろ。我らのためにな」


 淡々とした死刑宣告を耳元で告げられる。恐怖と悔しさで、カイリの視界が鈍く滲んでいった。抵抗している合間にも、次第に思考が死んでいくのが分かって、焦りも冷え切る様に逃げて行く。


 ――嫌だ。こんなの。


 消えて行く焦燥を必死に奮い立たせ、カイリはがむしゃらに男の下で暴れ回る。

 絶対に、彼らの操り人形になんてなりたくはない。こんな非道を平気で行う集団に従ったら、自分の人生は間違いなく破滅だ。

 それに。


〝笑って、生きてね〟


 母が、願ってくれたのだ。

 カイリが、笑って生きていくことを。

 彼らの元にいたら、そんなことは一生出来なくなってしまう。

 だから、聞けない。

 彼らの思うままになど、させない。



 ここで、落ちたりなど、絶対にしない。



「――っ、……誰、か……っ!」



 父の親友でも、神でも、悪魔でも、何でもいい。

 どうか、願いを。



「――カイリ、に、……手、出してんじゃねえよっ!」

「――――」



 叶えて――。



 瞬間。

 咆哮ほうこうと共に、鈍く何かを断つ音が背中越しに聞こえた。


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