病鬼
自分は運がいいのか。それともおみくじの結果のように、凶運なのだろうか。
たまたま入った居酒屋に伏犧が来て、さらに捜していた悪鬼までいると誰が思うだろう。負の何かを引き寄せる力でもあるのかもしれない。
それもきっと空亡というジョーカーを最初に手札に入れてしまったせいだ。
そんなことを考えながら、公時は走っていた。空亡、伏犧が後に続いている。果心はというと公時が背中におぶっていた。
果心は気持ち良さそうに寝息を立てている。店に置いてきても良かったが、何か役に立つかもしれないので一応連れてきたのだ。
三人は温泉街の周囲にある住宅街を走っていた。ここには主に街で働く人たちが住んでいる。相変わらずの狭い路地に変わりないが、街灯もあるので夜でも全くの暗闇というわけでもない。遅い時間だが、窓に明かりが点いている家もある。
前方には人影が走っている。その人物を公時たちは追いかけていた。
「まったく公時のせいだよ。あんな大声出すから逃げられるんだ」
「本当にねぇ。何で僕も行かないといけないのかなぁ」
「うるせえ、黙って走れ!」
後ろから非難の声が聞こえてくる。二人の言うことはもっともだったので、あまり強くは言えない。こうなったのは、確かに公時のせいだ。
居酒屋の女性店員が病鬼だった。彼女がこの温泉街に病を広めていた張本人である。
伏犧に彼女が病鬼だと指摘された時、公時は思わず声を上げてしまった。自分でも迂闊だったとは思う。そのせいで深夜のマラソン大会をすることになったのである。
「あいつが悪鬼なのか!? なんて普通大声で言うかな。おかげで裏口から逃げられてしまったよ。伏犧の件で少しは頭が回るものだと思ったけどね」
「仕方ないだろ。たまたま入った店にそう都合良くいるなんて、普通は思わないって」
空亡が嫌味を言ってくるが、普通はあり得ないだろう。公時たちが店で聞き込みをしていた時も、病鬼は平然としていたのだから。
当然、公時の上げた声に病鬼は気づいた。厨房に回ると、裏口から素早く逃げ出したのだ。突然の出来事に、店は何事かと騒然とした。
公時たちもすぐに追いかけようとしたが、店主に止められ事情を説明する時間を取られた。店主の様子からも、病鬼は店できちんと信頼関係を築いていたようである。
ようやく店の外に出た時には、病鬼の姿は見えなくなっていた。後を追うことが出来たのは、これまた伏犠のおかげなのだ。昼間は猫なだけに、伏犠の耳も猫並みに良かった。可聴域も広く、遠くの音も聞き取れるそうだ。
確かに初めて会った時も、遠くからやってくる空亡たちの足音に気づいていた。
「いやあ、飲み屋とは考えたね。たくさんの出入りがあるし、うってつけの場所だ。客も酔っているから、少し触られても気づかないだろう。ああ、もうちょっと病気になった人の足取りを追えば良かったよ。まあ、結果的に見つかったから良しとしよう」
空亡は病鬼の狡猾さを、しきりに感心している。
「あの様子だと、かなり店の人から信頼されてたっぽいが、何で今になって行動を起こしたんだ? それに触ると病気なるっって、よく今まで大丈夫だったな」
「怪しまれないように信頼を得るため、仕込みに時間をかけていたのかもしれない。それでも疑問はあるけどね。病鬼の場合は餓鬼と違って、恐らく病気にするしないは自身でコントロール出来るんじゃないかな」
会話をしながら病鬼を追いかける程の余裕はあった。悪鬼といっても、見た目は女性と変わらないためか、身体能力も人並みだ。果心を抱えて速度が落ちているとはいえ、公時の足はかなり速い。追いつくのは時間の問題だった。
公時はむしろ平然と付いて来る空亡と伏犧に驚いた。伏犧はのんびりとした奴だが、体格も良く身体能力は高いのは分かる。空亡は見た目も華奢なくせに、同じペースで息も乱していない。
「闇雲に逃げているわけではなさそだ。逃げ切れないのも分かっているね」
病鬼は右の路地を曲がった。辺りはだんだん街灯も減り、住宅街を過ぎた場所になってきていた。
公時たちも続いて右に曲がる。すぐに視界に病鬼の姿が入った。
もう追いつくと思った時、病鬼は意外な行動に出た。逃げることをやめ、立ち止まったのだ。背中を向けたまま、肩を上下させている。
「追いかけっこは終わりか? もう諦めろ」
公時は言ってから少し恥ずかしくなる。我ながら、悪役のような台詞だと思ったのだ。
すぐに病鬼は振り返った。慌てて逃げたため、店のエプロンをしたままだった。見た目は20代後半ぐらいで、目が釣り上がっているせいかきつい印象だった。今は疲れのためか眉間に皺を寄せ、額にはうっすらと汗をかいている。Tシャツにジーンズといった普通の格好のせいで、ますます悪鬼には見えなかった。
「……あんたら一体なんなんだ。何で私のことに気づいた」
「そこにいるココナッツみたいな格好の彼はね、悪鬼を見抜けるんだよ」
「……天眼かい。そうか、お前があの伏犧か」
伏犧も割と有名なのだろうか。悪鬼からすると、かなり迷惑な存在には違いない。伏犠は自分の名前が出ても。興味ないのか素知らぬ顔だ。
「まったく……何年もかけてようやくって時に、とんだ邪魔が入ったよ」
忌々しそうに病鬼は吐き捨てた。
「お前、何のために街の人を病気にしていたんだ? 他に仲間とかいるのか?」
公時の問に病鬼は答えない。それも想定の範囲内だ。
「まあいいか……さっさと調伏して終わりにするぞ」
「……調伏だって?」
公時の何気ない一言に、思いのほか病鬼は食いついた。
病鬼は確かめるように、視線を公時たちに送る。空亡を見た時、目を見開いた。視線に気づいた空亡は笑顔で手を振った。
「なるほどね……空亡、お前次を見つけたんだね」
「次のって……お前何を言って――」
「――百鬼夜行の邪魔はさせない。ここで消させて貰うよ」
「ひゃっき……なんだって?」
公時がその言葉の意味を聞くことは出来なかった。次の瞬間、病鬼が大きな声で叫んだからだ。
「デイダラ! 出て来な!」
余りの大声に公時は一瞬、気圧された。誰かの名前だろうか。
しばらくすると、病鬼の右側にある家から大きな足音がしてきた。長く使われていなそうな、かなり痛んだ家屋だ。玄関の引き戸は所々ガラスが欠けている。その隙間に人影らしきものが見えた。
中から扉を叩く音が聞こえてくる。その度に引き戸が揺れ、ガラスが飛び散る。
扉の向こうにいる人物の苛立ちを反映しているかのように、次第に叩く力が強くなってきた。扉はやがて大きな音と共に吹き飛び、回転しながら地面を転がった。
「全く……引くってことを知らないのかい」
病鬼は少し呆れたように顔に手を当てた。
中から出てきたのは、まさに巨人だ。身長は公時より頭二つ分は高い。頭髪はなく、頭には角のような突起が左右に二つあった。目は白濁しており、思考が全く読み取れない。赤黒く肉厚の身体は、圧倒的な力を感じさせる。
これこそまさに鬼のようだった。
上半身は裸で、下はジーンズを履いていた。盛り上がった身体のせいで破けたのか、短パンのようになっている。
「な、なんだよ、こいつ……!」
これも悪鬼なのだろうか。知能は低そうだが、餓鬼とは比較にならないぐらい強そうだ。
「これはデイダラボッチだねぇ。今日は悪鬼を二体も見れたから、これでしばらくは仕事をしないでもいいかなぁ」
伏犧が化け物を見て嬉しそうに言った。デイダラボッチと呼ばれた化け物は、病鬼を護衛するかのようにその前に立った。この二人には主従関係のようなものがあるのだろうか。
「デイダラボッチ? 何か凄く強そうなんだが……」
「見た目の通り、力自慢の悪鬼だよ。頭はそんなに良くないから、公時向きの相手なんじゃないかな」
それは暗に公時も馬鹿だと言いたいのか。
「勘弁してくれ。こんなでかい奴、どうすりゃいいんだよ……」
公時は泣きたくなってきた。同じ重量級にしても、こいつは規格外だ。
「デイダラボッチを調伏する方法は、相手を三回倒すこと。要は尻餅とか、地面に転ばせればいいんだ。ただし、反対にこちらが三回転ばされると、その時点で死ぬから気をつけてね」
「死ぬって……なんだよそれ!?」
「なんだと言われても、そういうルールなんだ。理不尽かもしれないけど、仕方がない」
まるでボクシングの試合みたいだ。違う所は試合が終わるのではなく、人生が終わること。しかし、三回どころか、一撃でも食らったら死んでしまいそうだ。
それにどうやって転ばせればいいのか。身長差もあるし、あの全身鎧のような筋肉に打撃が通じるのだろうか。
「デイダラ、あいつらを足止めしな」
病鬼は化け物に指示をした。この場は任せて逃げるつもりのようだ。
デイダラは巨体をのそりと動かした。最初のターゲットは公時に決めたのか、お互いの目が合った。感情のない、白濁とした目が恐ろしい。
「勘弁してくれよ。おい、これって逃げた方がいいんじゃないか?」
公時は後ずさりした。病鬼はともかく、こんな化け物に勝てる自信はない。図体がでかくて動きは遅そうだし、公時たちの俊足なら逃げられるのではないか。
「せっかくここまで追い詰めて逃げるのかい? この街の人は救われないし、また別の所で被害が広がるだろうね。それに逃げてる途中で三回転んだら、君は死んでしまうけどいいのかな?」
「な、なんだよそれ!?」
「一度でもデイダラと対峙したら、倒すか倒されるかしない限り終わらないんだ。この先、転んだら死ぬという恐怖を抱えながら生きたいなら、それもいいだろうさ」
空亡は冷たく突き放した。逃げることも出来ない。かといって勝てる見込みもない。やはり天照のおみくじは当たっていたようだ。
「そんな顔しないでくれ。このままだとちょっと不公平だし、病鬼が逃げるのを止めないといけないね」
空亡はそう言うと、病鬼に向かって笑顔を向けた。純粋に無邪気な笑顔だったが、病鬼は怯んだようにたじろいだ。
「ここにいるのは公時は、まだこちらに来たばかりなんだ。少しハンデというか、有利なルールでやらせて欲しい。彼は外の世界でボクシングを嗜んでいてね。ここは一つ、そのルールに沿った試合をしないかい?」
「……ボクシング? 試合だって?」
病鬼が怪訝な顔をする。それも当たり前だ。公時も空亡が何を言わんとしているか、その意図が分からなかった。
「一ラウンド三分で、決着が着くまで回数は無制限。ラウンドの間には一分間の休憩を挟む。ボクシングと少し違うのは、どちらかが先に累計三回のダウンをすると、試合が終わるって所さ」
「時間稼ぎでもしようって言うのかい? そんなの受ける必要が――」
「僕にそんな必要はないのは分かるだろう。もしそっちが勝てばそのまま見逃すし……そうだね、僕の命も差し出そう」
「お、おい空亡!?」
空亡の発言に公時は慌てた。命を差し出すなんて、こいつは何を言っているのか。
「僕を殺せるなら、
お願いをしている体だが、拒否することを許さない意志を感じた。空亡のこの自信はどこから来ているのだろう。
それに命を賭けられても困る。公時には目の前の悪鬼を倒せる自身は全くないのだ。
「空亡……あんたどういうつもりだい?」
「どうもこうもないよ。それとも僕が信用出来ないかな。僕が嫌いなことは嘘をつくことと、肉の脂身だけだよ」
どの口がそれを言うのだろう。しかし、病鬼は本気で考えているようだった。空亡が出した条件は、彼女にとって魅力があるものなのだろうか。
「分かった。乗ってやるよ。どのみちそこの兄ちゃんに、デイダラが倒せるとも思えないしね」
「ああ、ありがとう。それでは少し準備をするから、少し待ってくれないかな」
病鬼はデイダラに目配せして動きを制した。空亡はそれを見て満足そうに頷く。
公時は二人のやり取りを、ただ呆然と見守っていた。
「おい、空亡……お前大丈夫なのかよ?」
「何だい公時、そんな情けない顔をして。とりあえずこっちへおいで。ああ……その背中の役に立たないおじさんは、もう降ろして良いよ」
公時は少し下がって、路地の脇に果心を下ろす。この状況でも起きないことに少し感心する。
「あんなやつに勝てるわけないだろ。それにお前、命を賭けるって……」
「おや、嬉しいね。僕の心配をしてくれるのかい? 僕は君の案内人だからね。公時がいなくなったら、僕にとっては死ぬのと同義なんだ」
だからと言って、かなり分の悪い賭けではないか。だからこそ相手も乗ってきたのだろう。
「大丈夫、僕がセコンドに付くんだから、きっと勝てるさ。ああ、それから少しおまじないでもしようか」
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