伏犠
既に時間は深夜一時を回った頃になっていた。
公時たちは温泉街のとある居酒屋に来ている。多くの店が閉まっている中、ここは深夜でも唯一営業していた。店の前には誘蛾灯のような看板が置かれ、酒を求める人を誘ってるようだった。
席はカウンター席とテーブル席の二種類がある。最近の悪鬼騒ぎのため人は少ないかと思っていたが、客入りはまあまあだ。ほとんどが温泉街で働く人たちのようである。この状況では酒に逃げる人が意外と多いのかもしれない。
店は厨房の男性一人と、接客の若い女性が一人で切り盛りしていた。カウンター席はほとんどが常連のようで、店員の女性と客が楽しそうにやり取りをしている。女性はきつめの美人といった印象で、ボディタッチが多く、男性客はまんざらでもなさそうだった。
店の壁には色褪せたメニューが貼ってある。店の歴史を物語ているようだ。
公時たちはテーブル席の一角を陣取っていた。公時は烏龍茶を、空亡と果心はビールを飲んでいる。店に入ってからまだ一時間ほどだが、空亡は既に五杯目に差し掛かっていた。公時も呆れるほどのハイペースである。
女媧は別行動をとっているため、ここにはいなかった。
彼女は伏犧を探しに行ったのだ。病鬼は見ただけでは悪鬼と分からないため、伏犧の眼が必要だった。女媧は自信ありげに儂の勘を信じろと言っていたが、大丈夫なのか不安ではある。
女媧と別れた後、公時たちは街で聞き込みを行った。果心居士は診察が終わって暇だからと、一緒に付いて来た。近眼が酷いため、あまり役には立たなかったが。
聞き込みの内容は二つ。いなくなった店主を見た者はいないかと、この街で最近怪しい者を見かけなかったか。公時はまるで刑事になった気分だった。
結果としては特に成果はなかった。そもそも開いてる店や外出している人が極端に少なかったのだ。怪しい者がいないかという質問については、お前らが怪しいと言われる始末である。
その後、果心のために街の人が用意した宿に一度戻った。公時としては手がかりもなかったので、女媧を待とうと思ったのだが、情報収集の鉄則は酒場という空亡の提案で、ここに来ることになった。
空亡の飲みっぷりを見ていると、ただ酒が飲みたかっただけに思える。
公時たちは店でも聞き込みを行ったが、めぼしい情報はなかった。店内にも怪しい人物は見当たらない。このままでは、本当に無駄足に終わってしまう。
「いやあ、そう簡単には見つからないものだね」
空亡は五杯目のビールを喉に流し込みながら言った。結構な量を飲んでいるが、空亡は顔も赤くならず全く普段と変わらなかった。かなり酒に強いし、飲むことが好きなのだろう。
この世界も酒は二十歳からという法があるかはともかく、公時は未成年なので酒は控えていた。もっとも、今の姿での年齢は不明だ。
改めて思うが、自分は公時という存在について何も知らなかった。年齢もそうだし、酒が飲めるかすら分からないのだ。知らない他人の身体に入っているような、奇妙な感覚だった。
ただ、公時になってからは少し気が大きくなったように感じる。おどおどした感じはなくなったし、話し方も変わってきている。
中身は同じだが、外見に合わせて少しずつ変化しているのだろうか。それが良いことか、悪いことかは分からないが。
「病鬼はこの街からもう逃げたんじゃないか?」
「新たな病人も出ているし、それはないと思うよ。病鬼はまだこの街のどこかに潜んでいる」
「でも怪しいやつもいなかったぞ。もう帰ろうぜ。大した情報もなかったしな」
深夜を回って新規の客入りも途絶えている。それにそろそろ眠くなってきた。空亡の家まで戻るには遠いので。今日は果心の宿に世話になりたい所だ。
「何を言ってるんだい。大きな手がかりを僕らは得たじゃないか」
「は? 何かあったか?」
今日一日かけて聞き込みをしたが、何かあっただろうか。
「怪しいやつはいない。それは、怪しまれない人物。つまり病鬼は元々この街に長くいた人物ってことさ。いつから悪鬼になったのかは知らないが、病鬼はじっとこの街で過ごしていたんだ」
「じゃあ、いなくなった店主が病鬼ってことか」
「公時のお馬鹿さん。店主を見た人は誰もいないんだ。病鬼が人を病気にするには、直接触れなければいけない。これだけ病が蔓延していて、店主の姿を誰も見ていないのはおかしいだろう。病鬼は今もこの街に紛れて、気づかれないうちに病を広げているのさ」
馬鹿と言われてむっとしたが、言っている意味は何となく分かる。
「だったら何で今になって動き始めたんだよ。ずっとこの街で何事もなく過ごしてたんだったら、そのままで良かったんじゃないのか?」
「そう、そこが不思議なんだ。病鬼は強さも普通の人と大差がない。今まで大人しくしていて、なぜ急にという疑問はあるね。もしかすると背後に誰かいるのかもしれない」
「背後って誰だよ。ヤクザでもいるってのか?」
公時はさっきの仕返しとでも言うように、挑発するように鼻で笑った。
「発想が貧困だね。まあ、そんなものなら可愛いものだよ」
「お前な……まじで殴るぞ」
言い合いでは空亡に分がある。この男に言葉で勝てる気がしなかった。
「まあまあ、そう怒らないでよ。僕らの親睦を深めるいい機会なんだ。もう少し飲もうじゃないか」
「……お前が飲みたいだけだろ。こんなに酒好きとは意外だったぜ」
「酒は憂いの玉箒とは良く言ったものだね。それにこうして誰かと飲むのは久しぶりでね。昔はよく飲んでいたものさ」
この世界では料金が発生しないため、何となく無銭飲食をしているようで気が引けるのだ。
果心は一杯目を飲んだ所で止まっていた。そんなに強くないのか、もう既に眠そうになっている。この場で飲んでいるのは空亡だけだった。
「昔っていつの話だよ。誰と飲んでいたんだ?」
公時は空亡のことをよく知らない。変なやつということは知っているが、公時と出会うまで何をしていたのか謎だった。
世界の案内をするという仕事も、公時で二人目ということなのだ。どのくらいここにいるのか分からないが、人数が少な過ぎる気がする。前に案内した人は元の世界にちゃんと帰れたのだろうか。
「いつだったかは、もう覚えていないな。すごく酒に強いやつがいてね。ほとんど毎晩飲んでいたのさ」
「それって、俺の前に案内していたやつなのか?」
公時が尋ねるのと同じタイミングで、店の引き戸が開く音がした。
こんな時間にまだ客が来るんだなと思いつつ、公時は入口へ目を向ける。入って来た男を見て、公時は唖然として言葉を失う。
男の姿はこの場に似つかわしくなかった。長袖のパーカーに水着のような短パン、サンダルといった服装だ。パーカーの下にはシャツを着ておらず、上半身が露出していた。まるで海にでも来ているのかという姿である。
公時が驚いたのは、服装の奇抜もあるがもう一つ理由があった。男の身長は公時と同じぐらいで、極端な猫背だ。髪の色は真ん中で白黒に分かれている。何よりも目を引く端正な顔立ちをしていた。
前回と違って全裸ではないが、あれは間違いなく伏犧だ。
伏犧は店に入ると、空いているテーブル席に座った。すぐに女性の店員が注文を取りに来る。
「何にする? お兄さん、また大胆な格好をしているね」
店員が笑顔で話しかけているが、伏犧はメニューを選ぶことに集中して聞いていない。店員が伏犧の腕に触ろうとするが、それはひょいとかわした。
ようやく決まったのか、店員の言葉に相変わらず遅れて返答する。
「生を一つ。あぁ、あと枝豆も――」
「生一つ、じゃねぇ」
公時は伏犧の後頭部をはたいた。力が強かったのか、伏犧はテーブルに突っ伏した。
店員はひっと短い悲鳴を上げ、後ずさった。
「お、お客さん?」
「あ、こいつは知り合いなんで。気にしないで大丈夫です」
伏犠の首根っこを掴んで、自分たちのテーブルに連れて行く。
「誰だか分からないけど、叩くなんて酷いじゃないかぁ」
「うるせえ。今日は全裸じゃないんだな。俺のこと覚えているか?」
伏犠は眉をひそめていたが、ようやく気づいたようで目を丸くする。その瞬間、伏犧の背筋がぴんと伸びた。
「公時じゃないですか、もちろん覚えていますよ。あの時は大変でしたね。今日はどうしてここに――」
急に流暢に話し出す。伏犠はテーブルにいる面子を見回した、
「あの……今日は姉様と一緒ではないのですか?」
「さっきまで一緒だったけど、女媧なら別行動だよ。お前の力が必要になって探しに行ったんだ。まさかここに来るとは思わなかったけどな」
「なんだぁ……びっくりさせないでくれよぉ」
伏犧は安心したかのように、大きく息を吐いた。
「おまっ、急に変わるんだな。二重人格か?」
「そんなことないよぉ。僕は本当は、こうやってのんびりゆっくりしたいんだ」
話す速度は落ちたが、会話のペースは合わせて話している。元々やれば出来るのだろう。
「姉様といる時はしっかりしてないとって、気が張って疲れるんだよぉ」
「……お前ってさ、女媧のこと嫌いなのか?」
「嫌いじゃないよぉ。むしろ好きだけど、僕はこんなだから……嫌われたくないだけなんだよぉ」
「別にそんなので嫌われるか? いつもそんな感じでいればいいだろ」
伏犧は女媧の前だと繕っているようだ。そんなに疲れるのであれば、本当の姿をさらけ出せば良いと思う。
そもそも全裸をさらけ出しておいて、それで嫌われないと思っていることの方が不思議だ。
「そんなこと出来ないよぉ。でも、ずっとしっかりしているのも疲れるし……」
「なるほどな。それでお前女媧から逃げてるのか」
伏犧は何も答えなかった。とぼけた振りをしているようである。
「へえ、面白そうな話だね。どういうことか聞かせてくれよ」
空亡が嬉しそうな声を出す。いつの間に頼んだのか、六杯目の酒を頼んでいる。果心はというと、テーブルに突っ伏して寝始めてる。後で宿に連れていくのが誰なのか考えて欲しい。
「伏犧、お前ってさ。猫の時もちゃんと意識あるよな」
猫になると伏犧の意識はなくなると言っていたが、おかしな点があった。
伏犠はその言葉にぎくっとした表情を見せた。
「あの時からおかしいとは思ってたんだ。最初に俺を助けてくれた猫はお前だよな。その後の話でこいつは俺のことを、最初から見ていたと言っていた」
猫の時に伏犧の意識がないのであれば、それも覚えてはいないはずだ。猫の時に見ていて、それを覚えているのであれば、辻褄が合わない。
「なるほどね。さっきのお馬鹿さんは訂正しよう。伏犧は猫の時は意識がないと嘘を付いて、女媧の側から逃げていたわけだ」
「逃げていたというかぁ……仕事も兼ねてたまに息抜きに行っていただけだよぉ」
「でもよ、女媧は毎回お前のことを探しに行ってるぞ。そんな迷惑かける方が嫌われないか?」
「そうだねえ。猫の時のことまでは知らないけど、女媧は君のそういう所は気づいているんじゃないかなあ」
伏犧は黙ってしまった。怒ったと言うより、色々言われて脳の処理が追いつかなくなった感じだ。
「……話すタイミングを合わせてたら、なんかもう疲れてきたなぁ。こんな所で君たちに会うとは思わなかったよぉ」
ただ普通に会話するだけのことが、伏犧にとっては体力をすり減らすようだ。動作は意外と機敏なのに、ただのめんどくさがりなのだろうか。
「僕たちもここで君に会うとは思わなかったよ。おかげで女媧の行動が無駄になってしまった。伏犠、君はここに何をしに来たのかな?」
「……喋るの、めんどくさくなってきたなぁ」
「お前なあ……」
公時が殴るフリをすると、伏犧はさっと空亡の後ろに隠れる。その素早さがあるなら、ちゃんと話せると思うのだが。
「最近、この辺りで悪鬼騒ぎがあったから、仕事も兼ねて来たんだよぉ」
「何だ、お前も知ってたのか。でも何でだ? 悪鬼がいるからって、お前が来る必要あるのか?」
「そうか、まだ公時は知らなかったね。彼の仕事は悪鬼を視ることなんだよ。伏犧の眼は『天眼』といって、悪鬼を見抜くことが出来る。まさにうってつけの仕事だと思わないか」
悪鬼をただ視るだけで、その後は何もしないのだろうか。その仕事に何の意味があるのか分からないが、悪鬼探しには役に立つ。それに悪鬼を視ることが仕事であるなら、一緒に悪鬼探しに加わって貰えば良いだろう。
「なら丁度良かった。俺たちもこの街にいる悪鬼を探しているんだ。明日からお前も付き合って貰うぜ」
公時の言葉に、伏犧はきょとんとしていた。
「明日からって何でかなぁ?」
「何でって……お前の仕事は悪鬼を視ることなんだし、だったら別に手伝ってもいいだろうが」
なぜか納得がいかないのか、伏犧は腕を組んで唸っている。何が引っかかっているのか、公時には分からない。
「何で明日なのかなぁ?」
「そこかよ。こんな夜中に悪鬼探しをするのかよ」
路地裏の世界は暗いので、夜の探索は危険だろう。午後になれば伏犧は猫になってしまうが、意識があるのであれば眼は使えるはずだ。言葉は話せなくても、合図を決めておけば問題ない。
「そうじゃなくてさぁ。ここに入った時に、僕の仕事はもう終わったって言うかぁ」
「それって……お前どっかで悪鬼を見たのか?」
仕事を終えて一杯やりに来たと言うことなのか。それならばどこで悪鬼を見たのか。
「伏犧、どこで見たんだい? 時間があまり経っていないのなら、今すぐ探しに行けば間に合うかもしれないよ」
話すことに疲れたのか、伏犧はたっぷり間を取った。この遅さは苛々させられるが、今はこいつだけが頼りなので辛抱するしかない。
「それなら、間に合うと思うよぉ。ここにいるからねぇ」
伏犧は店の奥に顔を向ける。視線の先には女性店員の姿があった。
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