果心

 高千穂温泉。天岩屋から一時間以上歩いた所にある温泉街だ。いくつかの通りが連なって形成されており、一本の通りでも端までは一キロ以上はある。この世界に倣って道幅はかなり狭いが、温泉街らしく土産物屋や飲食店、飲み屋、そして温泉宿など様々な店がひしめいている。

 温泉の質も良く、有名な観光地となっている。かつては各地から人が来て賑わっていた温泉街であったが、今は人の姿はまばらだった。店の多くもシャッターが降りている。地方や田舎の寂れた温泉街といった様相だ。


「とんだぶらり旅だな」


 温泉街は天岩屋の北に位置していた。色々な場所から人が集まるため、情報収集にも良いだろうと空亡の提案で立ち寄ったのだ。空亡がここに来るまでおすすめの温泉がどうとか、地元知識をひけらかしていたが、こんな寂れた場所だったとは。

 この世界にも街みたいな場所があるのだと、少なからず期待していたのだが、裏切られた気分だ。


「うーん、おかしいなあ。ちょっと前はこんな感じではなかったはずだよ」

「前っていつの話だよ。十年前か、それとも百年前か?」

「公時のちょっと前は随分気が長いんだね。一ヶ月前とちょっとぐらいだよ」


 公時の皮肉にしれっと答えた。どの口がそれを言うのか。女媧と百二十年振りに会ったとか、適当なことを言っていたではないか。


「まともに相手しても疲れるだけよ。しかし妙じゃの。わしも久方振りに来るが、このように寂れてはおらんかった」

「結構な店が閉まっているねえ。夜から始まる店もあるにしても、それしても数が多過ぎる」

「ふむ……何かあったのやもしれんな」


 そう言うと、女媧は辺りを見回した。誰かに話を聞くつもりのようだった。

 人通りは少なかったが、うな垂れて歩いている男を見つけた。女媧が声をかけると男は一瞬身体をびくっとさせ、恐る恐る振り返った。


「そこの男。ちと聞きたいことがあるが良いか?」

「ああ、女媧様……相変わらずお美しい……」

「む、以前に会うたか。すまぬな、日々多くの顔を見ておる故、覚えておらぬのだ」


 さっきまでうな垂れていた男の背筋は伸び、目が爛々と輝き出した。恍惚とした表情で女媧を見ている。人の持つ三大欲求の一つにより、男に活気が戻ったようだ。

 それにしても女媧はかなり有名なようだ。この見た目だし無理もないが、尊敬もされている様子で、それが意外だった。


「い、いえ! 女媧様。とんでもございません」

「以前と比べてとんだ寂れようだが、どうしたというのじゃ。何か知っていることがあれば、話してくれるか?」


 女媧が尋ねると、男はこの温泉街で起きていることについて説明を始めた。男はこの街の人間で、事情には詳しいようだ。


 始まりは一ヶ月ほど前のことだった。最初は皆、これほどの大事になると思ってもいなかった。

 温泉街のとある店が休業となった。その時はちょっと風邪でも引いて、休んでいるのだろうと思う程度の出来事だった。

 しかし一週間経っても、一向に店は再開しない。知り合いが店主を尋ねたが、病にかかってしまい動けないた言われたようだ。


 そして二週間経った時、店主が忽然と姿を消した。

 その日を境に、次々に病に倒れ休業する店が出始めた。それだけではなく、訪れた観光客も同じように病にかかる者が出たのだ。

 街では噂が流れた。店主が病の末に悪鬼となり、街に病を振り撒いているのだと。そして病にかかった者はいずれ悪鬼になると。

 それ以来、街の人たちは病にかかる不安と、悪鬼になる恐怖に怯えながら暮らすようになった。噂は各地にも伝わり、訪れる客がめっきり減ってしまったのだ。客が減ってしまったため店は閉まり、街を出歩く者も減った。たった一ヶ月の間に、寂れた温泉街になってしまったということだ。


「へえ。知らない間にそんなことになっていたとはね」


 空亡は楽しそうに目を爛々とさせていた。この男は人の不幸が大好きなのだろうか。


「その店主ってやつが悪鬼になって、病気を撒き散らしてるってことか?」

「どうかのう。その店主とやらが悪鬼になった所を見た者はおるのか?」


 公時の問に、女媧は顎に手をやりつつ思案した。


「い、いえ。見た者がいるかは分かりません。店主は独り身でして……二週間以上寝込んでいたので、心配した者が様子を見に行った時にはもぬけの殻だったようです。皆、仕事を果たせなく成って悪鬼になったのだと……」

「そんな簡単に悪鬼になるもんなのか?」

「何とも言えぬな。使命を果たせなくなったとしたら、確かに悪鬼になるであろうが……」


 悪鬼になる条件はいくつかある。自ら仕事を放棄した場合や、何らかの理由で仕事を果たせなくなった場合となる。他にも犯罪を犯したりした場合も該当するそうだ。

 店主は病によって仕事が果たせなくなり、悪鬼になってしまったのだろうか。


「我々も仕事が出来ません……皆、このままでは悪鬼にならないかと怯えております」


 男は困り果てた様子だった。たった一人の悪鬼のせいで、大変なことになっているようだ。


「他にも病に倒れた者がおるとあったな。その者らの様子を見てみたい」

「それでしたら、丁度果心居士かしんこじ先生に来て貰っております。そちらにご案内しましょうか?」

「なんと。果心が来ておるのか」


 女媧がほうと唸った。


「はい。病気になる者が増えたので、皆でお呼びしました。他に悪鬼に関する専門の方もお声かけしておりますが、まだ来られていないようです」

「ふむ、そうなのか。ひとまず果心に会って話がしたい。おぬし案内してくれるか?」

「は、はい! 喜んで……!」


 男は案内をしてくれるということで、先頭を歩き始めた。

 三人は目を合わせて頷くと、男の後に続く。


「どうだい、公時。ここに来て正解だったろう? これもひとえに僕の案内が良かったからだよ」

「天照のおみくじのおかげだろ」


 公時はそう言いながら、自分の発言に少し不安になる。占いが当たると言うことは、良くないことも当たる可能性もあるのだ。





 公時たちが男に案内されたのは、温泉街にある土産物屋だった。店は今は閉じており、商品は放置されたままだ。このあたりは何が名物なのか分からないが、お菓子など色々なお土産物が並べられている。

 一階の半分が店舗、二階が主な住居となっていた。公時たちは二階の寝室に通される。ここに果心と呼ばれる医者が訪れているそうだ。

 寝室には布団が敷かれ、額に濡れタオルを置かれた男性が横になっていた。男はここの店主で、数日前に病にかかったらしい。布団の側には女性が心配そうに座っている。

 男性は苦しそうに顔を歪めていた。時折、呻くような声がする。どういった病なのかは分からないが、かなり重そうである。


「空亡、凄いどうでもいいことなんだけどよ。この世界でも結婚とかあるのか?」

「もちろんあるよ。外の世界にあるものは大体あると思っていい。公時はまだ見たことがないかもだけど――」

「おぬしら、少し静かにせい」


 女媧に怒られたため、公時は口をつぐんだ。側にいる女性が奥さんなのだろう。


「奥方、ちとそこの男に用がある。上がらせて貰うぞ」


 女性は女媧の方を向き、黙って頷いた。

 布団の向かい側には、もう一人男性が座っていた。男は牛乳瓶の底みたいに分厚い眼鏡をかけている。髪は真っ白で長く、前髪を横から後ろに流して結んでいた。立派な白髪だが、見た目は若々しい。

 服装は和帽子に着流し姿で、十徳を羽織っている。まるで茶人のような格好に見えた。男の脇には木箱のような物が置かれている。


「果心よ、久しぶりよな」

「どなたでしょうか。私は近視でして、もう少し近寄って貰えると助かります」


 男は眼鏡に手をかけ、女媧の方に顔を向けた。


「声で分からぬか。女媧よ」

「すみませんが、私はこの眼で見た物しか信じません。声を真似ているという可能性もありますしね」


 果心という呼ばれた男は、どうやら面倒くさい人物のようだ。そもそもあれだけ分厚い眼鏡をして、数メートルの距離も認識出来ないのでは、患者をちゃんと診れるのだろうか。

 女媧は面倒くさそうに溜め息を吐きつつ、近づいて果心と呼ばれた男の隣に座った。


「どうだ、もう分かるであろう」


 果心は首を振りまだまだといった動作をした。女媧はやれやれといった面持ちで、さらに顔を近づける。もう目前といった距離になった時、なんと果心は自ら顔を近づけた。


 次の瞬間、大きな音が部屋に響いた。女媧が果心の頬に平手打ちを食らわしたのだ。その衝撃で果心の眼鏡が吹き飛び、床に転がった。

 公時は突然のことに驚いた。あろうことか果心は女媧にキスをしようとしたのだ。家の奥さんも目の前で起きたことにどうしたら良いのか


「この色餓鬼が! 何を考えておる!」

「痛いです。こんなのただの挨拶ですよ。老い先短い身に酷い仕打ちですね。それともまだ初めてなのですか?」

「たわけ。おぬしなど後千年は生くるわ」


 女媧が仁王立ちして、男を見下ろした。果心は叩かれた左頬をさすっている。


「ああ、よく視えます。女媧、お変わりないようですね」


 言いながら果心は床に落ちた眼鏡を拾った。十徳の裾でレンズを拭く。


「そのような眼鏡をかけておるから見えぬのだ」

「見え過ぎるというのも良くないものです。まあ、この眼鏡をかけると、ほとんど何も見えなくなるんですけどね。はっはっは」


 愉快そうに笑いながら、果心は眼鏡をかけ直した。


「ところで空亡もいるようですね。もう一方は初めてお会いする方でしょうか」

「やあ、果心居士。君はやっぱり医者よりも、アナリストが向いてるように思えるよ」

「言葉の語感でそう言ってるだけでしょう。あなたこそ、あまり案内人に向いてないのではないですか?」

「そんなことないよ。ほら、見たまえ。彼は公時、僕の二人目になる男さ」


 空亡が公時に向かって両手を広げ、大袈裟な身振りで紹介する。


「その言い方は何か誤解生むからやめろ」


 危ない発言に聞こえたので、公時は訂正した。


「ええと、公時君でしたか。君が空亡の二人目?」

「変な意味じゃねえぞ。誤解するなよ」

「いえ、お気になさらずに。私はそういうのもありだと思っています。それにしても君がそうなのか……なるほど、なるほど」


 果心は腕を組みながら呟いた。一人で勝手に納得したように、何度も頷いている。


「君たちがここに来た理由が分かりました。この街に広まっている病が、悪鬼の仕業かどうか知りたいのですね」

「何で俺たちが悪鬼を探しているって分かるんだ?」

「公時君、私は眼がとても良いので、人の心が視えるんですよ」

「なっ!?」


 公時は思わず後退った。さっきまで何も見えてなかった人間が何を言うのかと思うが、もし本当なら気味が悪い。


「信じるな、嘘じゃ。果心、おぬしもからかうな」


 女媧の言葉に公時はほっと胸を撫で下ろした。


「しかし、こやつのというのは本当よ。人の心は視えぬが、その者の病やその原因、真名をも見抜く眼を持っているのだ」

「ははは。視え過ぎるというのも、疲れるものですよ」


 果心の眼には常に人の病や真名が映る。医者にとってはこの上ない能力だが、常に視続けるとかなりの負担になるため、いつも視えすぎないよう眼鏡をかけていた。結果として、普段の生活に支障が出てしまっているのだが。


「その眼って、誰が悪鬼かも見抜けるのか?」

「いえ、悪鬼になると真名も変わるのです。私の眼では元々のものまでしか視えません。それを見抜くためには、別の眼が必要になるのです」

「万能ってわけでもないんだな。そういう力って、ここにいる奴らはみんな持っているものなのか?」

「皆が持っているわけではない。特別な真名には力が宿るのだ。果心の場合は『炯眼けいがん』という力よ」

「へえ、俺にも何かあるのかな」


 公時は自分にも凄い力があるのではと期待した。元々強さに憧れがあるので、こういった厨二的な能力には惹かれるものがある。


「そうよな……さしずめおぬしは『木偶の坊』かの」

「ただの悪口じゃねえか!」


 女媧は真剣な顔で溜めを作ってから一転、笑いながら言った。

 何かあるのかと期待したら、とんだ肩すかしを食った。確かに公時という名前は珍しいが、特別感は感じない。女媧や空亡は、何らかの能力を持っているのだろうか。


「冗談はさておき、果心よ。おぬしもう診たのか?」

「はい。ここの主人以外も診させて頂きましたが、どうやら皆、同じ病にかかっているようですね」

「悪鬼の仕業か?」


 女媧の問いに果心はこくりと頷いた。


「恐らくは……病鬼の仕業かと思います」


 その名前に女媧の表情が厳しくなる。


「病鬼か。だとすると、これはまた厄介な相手だの」

「病気の仕業って、どういうことだ? こいつは病気なんだろ?」

「その病気ではない。病の鬼と書くのだ」


 病鬼というのが、その悪鬼の名のようだ。病の鬼などという名前からして、あまり気持ちの良い印象はなかった。餓鬼もそうだったが、見た目も恐ろしい化物に違いない。


「病鬼はね、その手で触れた者を病気にする鬼なんだ。その病にかかった者は延々と高熱に苦しめられる。そのままにしておくと、死ぬか悪鬼になるかもしれないね。解決するには、その原因となる鬼を退治するか調伏するしかない」


 空亡が病鬼について説明してくれた。今更だが、この世界でも死ぬということはあるのだ。もし死んだとしたらどうなるのだろう。


「それって医者でも治せないのか?」

「これは呪いに近いものなのです。私に治せないことが、通常の流行り病などではないことを示しています。一刻も早く悪鬼を捜し出し、手を打つ必要があります」

「なら早く捜せばいいだろ。餓鬼みたいなやつだったら、見れば一発で分かるしな」


 公時が気軽に言うと、女媧が長く深い溜息を吐いた。明らかに馬鹿にしているような溜息だ。


「な、なんだよ。何か間違ったこと言ったのかよ?」

「無知とは幸福なことよ。病鬼はの、見た目が元の姿と変わらんのだ。人の集団に潜み病を拡げていく狡賢い奴よ」


 そんなことを言われても、この世界に来たばかりなのだから仕方ないではないか。

 しかし元の姿のままということは、普通の人間と全く見分けがつかないということだ。もし街中に紛れていたとして誰も気づけない。それでは病が拡がる一方だろう。


「その病鬼って、最初に姿を消した店主がそうなんじゃないのか?」

「どうだろうね。その店主も病鬼のせいで病になったのかもしれない。最悪の場合、この街には悪鬼が二体いるかもしれないね」

「それにどうやって店主を見つけるかだ。儂らは顔も知らんのだぞ?」

「写真とかないのかよ。そもそもだけど、病鬼ってやつはどうやったら調伏出来るんだ?」


 見つけることも難しいのだろうが、調伏する方法も分からないとどうしようもない。


「それならば簡単です。私が調合した薬を飲ませれば良いのです」


 果心は側にある薬箱から、小さな瓶を取り出した。中には何やら緑色の液体が入っている。色合いからして苦そうだ。


「これを飲ませればいいのか。怪しい奴に片っ端から飲ませればいいんじゃないか?」

「馬鹿みたいに非効率ですが、そういう方法もありますね。ただ、この薬は病鬼以外の人が飲むと死にますけどね」


 果心は表情も変えずさらっと言った。医者という奴は事実を淡々と述べる所が恐ろしい。


「死ぬって……どういうことだよ?」

「これは人間にとっては毒なのです。反対に病鬼にとっては薬となるのです」

「まじかよ。とんでもないな……」

「分かったであろう。病鬼かどうかを判別出来ぬ限り、このままではお手上げなのじゃ」


 調伏する方法が分かっても、病鬼かどうか見分ける方法がない。果心の炯眼では、悪鬼かどうかは見抜けない。

 何か他に方法はないのだろうか。


 その時、公時の脳裏にある者の顔が浮かんだ。


「あっ……」


 公時は間の抜けた声を出した。三人が視線が一斉に公時に集まる。


「いるじゃねえか。悪鬼かどうかを見抜ける奴が」

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