ケン・ローチ『ルート・アイリッシュ』

観終えたあとも、私はこの映画の登場人物の辿る悪夢のような世界に引きずり込まれたままで抜けられないのではないかと思った。そして、ずっと「お前は誰だ?」と問われているように感じられた。そして、同時に登場人物はこの自問自答でも揺れている。それはつまり「私とは誰だ?」と。このふたつの、なかなかぶつかり合わない問いの前でグルグルと思考を連ねていた私はふとこう思った。この映画は例えばP・K・ディックの小説の世界なのではないか、と。


ケン・ローチの映画を観ていて唸らされ、常に「この人は信頼出来る」と思ってしまうのは、もちろん彼がブレないからである。彼自身迷走しないこともないではない。『天使の分け前』『エリックを探して』といったコメディに目配せを効かせた作品でドジを踏んでしまうのは、まあ可愛い部類に入るのではないか。彼は至って生真面目な人物であり、クリント・イーストウッドさながらの不器用な魂の持ち主なのだ。それは、ケン・ローチが初めて(いや、私が他に知らないからだけかもしれないのだけど)スパイ小説さながらの「コンゲーム」を扱った本作でも変わることはない、と。


ケン・ローチはこの映画で、フランキーという男が映し出した衝撃の映像に触れてストーリーを巧みに二転三転させる。そこでは、イラク戦争の最中にテロに乗じて自分に都合の悪い人物を「消す」映像が映っていたのだった。これを国際社会に問おうとするも、世間はそんな映像に見向きもしない。もっとニュースの種になる映像を求めて世情はハイエナのように目を光らせている。細やかな不祥事を暴いたこと、それが一体なんになろうか、と。だが、フランキーの映像は彼の唯一無二の親友であるファーガスの心を揺さぶる。真相を究明させてやろう、とスパイよろしく彼は身を流れに委ねる。


そこで果たして展開されるのは、上質なエンターテイメント/ミステリにも似た素朴な意味で「面白い」と思わされる出来のストーリーだった。巧過ぎるきらいはあるが、それがしかしケン・ローチのフィルモグラフィーの中でもさほど浮いているように感じさせられず、かといって過度に「いつものケン・ローチ」と処理を許すほどヤワなものだとも感じさせないところがケン・ローチの真骨頂なのかな、と。真相を追う過程は、いつしかスパイ映画――と言っても私はさほど観ないのだが――が突き詰めて考えていく苦悩に行き着くと思わされたからだ。「私が今名乗っているこの名前、この肩書を生み出した国際社会とは一体どういうものなのか」という。その苦悩を、実に鮮やかにケン・ローチはこの映画でも描写している。


さて、P・K・ディックの名を出した。私自身さほどディックの作品を読んでいないのでここでまた不勉強が露呈するのだけれど、ディックの作品もある意味ではこういうスパイ映画に似ていないだろうか? 最後に至るのは結局「私とは誰か。奴らは誰か」という問いを問いとして保持し続けるスタンスなのだ。つまり、決して安直な暴力のテーゼ「奴は敵である。敵を殺せ」という整理を許さない強靭な自我を備えて生きることを強いる、そういう試練なのである。


その試練に耐えられず、人は結局この映画がそうであったように、そんな宙吊りには耐えられないと全てを投げ出してしまうパラノイアに陥るしかなくなるだろう。「私は解決が欲しい、信じられるものが欲しい、それが真実ではないと分かっていても!」というカタルシスを欲する悲劇へと移行してしまう。そういう悲劇、いやなんだったら不条理劇を描き切ったところにこの映画のケン・ローチの凄さを感じた思いがした。何処までもリンチ的な、あるいはディック的な悪夢。だが、リンチ的ヴィジョンの眩暈やディック的な虚仮威し(良い意味で、ですよ)を用いず、無骨な映像だけでやってのけたのだ。


だから、悪く言えばこの映画の限界もここであからさまになるかと思う。この映画はこういう「ケン・ローチをある程度知っている人でないと味わえないもの」が内包されているからこそ、評判がさほど良くないのではないかと。ケン・ローチが初心者を流石の手つきで黙らせ唸らせてしまうリンチやディックのような詐欺師ではないことは長年つき合って来た観衆として、理解しているつもりである。だから、裏返すとこの映画は初心者に厳しいのだ。詐欺師の前口上を「どうせ嘘だ」と分かっていても、つまり虚仮威しと知った上でなおも聞かせられてしまうあのスリルが、この映画にはない。


そういうわけで、この映画に関してショットの切れ味でこちらを魅せることの大胆さを期待してはいけないかと思わされた。いや、リンチ的というのであればこの映画では女性から男性の側に揮われる暴力が――しかしここでは何処かハネケ的であるとさえ言えた――冷え切った美術で描かれていて、それを魅力的とも思ってしまったのだが流石にこれは私の穿った読みに留まるものでしかないのではないか。事実、観終えたあともこの映画で魅力はおろか、ストーリーの晦渋さに気を取られてしまいお手上げであった私は匙を投げるしかない。コンディションを整えて観直すべき厳しい映画と見た。

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