フェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲン『ビューティフル・ボーイ』

『ビューティフル・ボーイ』は、極めて興味深い映画だと思った。「面白い」映画ではない。エンターテイメント的に観ればこの映画はむしろカタルシスを与えてくれるような、スッキリした後味をもたらすものではない。悪く言ってしまえばストーリーの進行にはヤマもなにもなく、フラットかつ丁寧に依存症者と家族の絶望を描いている。それを直視出来るかどうか。そこでこの映画と観衆の相性は試されるようだ。私自身、手放しでこの映画を絶賛したいとは思わない。だが、興味深く映った。問題作だ、と。


ところで、私自身について語ろう。私はアルコール依存症という病(依存症が「病」かどうかは私もハッキリ分かっていないのだが、ともあれこう書くことにする)を抱えている。そして、四年前の40だった歳、一念発起して断酒を始めることにした。それ以後、色々なことが起きた。生活は相変わらず貧しく正社員の方からは「フリーター」と差別される身の上だが、シラフで食べるご飯の美味しさに気づかされたし、日々に起きる細やかな幸せを丁寧に見つけて拾っていく生き方に喜びを感じるようになったのだ。


『ビューティフル・ボーイ』は、そのタイトルが示すようにひとりの「ビューティフル・ボーイ」、つまり青年をめぐる物語である。彼は優秀な学習能力と身体能力を発揮し将来も成功が有望視されていた人間だが、ふとしたことからドラッグに手を染めてしまう。彼の中の依存症がドラッグを渇望するようになり、やがて父親との親密な関係にも罅が入る。依存症者特有の嘘/虚言を重ねて自己保身を図り、自己を正当化して己の中に閉じこもってしまうのだ。父親もまた、自分が息子のことをなにも知らなかったことに気づく。こうして、双方の不器用な歩み寄りと学びの日々が始まる。


惜しいな、と思うのはこの映画が主人公の青年ニックの挫折を今ひとつ巧く描けていないこと。ニックにどんな絶望があったのか。フィッシュマンズ的に言えば「ぽっかり開いた心の穴」と呼ぶべきものがどんなものであったのか、そしてそれを埋めるために膨大なドラッグを必要としなければならなかった動機がなんだったのか……それがハッキリしていないという印象を受けたのだ。これはもちろん、製作者の意図的なものかもしれない。描き手の興味はあるいは、「今を生きる」ニックの姿にあったのではないか、とも。


だから、この映画ではニックのドラッグへの依存の過程が例えば、シガー・ロスの曲に乗せて表現されるという「ビューティフル」な地獄として立ち現れる。興味本位で始めたこと、あるいは良い子で居なければならないというプレッシャーから逃げたかったこと。動機はどのようにも読み取れるだろう。裏返せば、こちらに動機をわざわざ読み取らせる手間を掛ける(手厳しい表現になるが)映画であるとも言えそうだ。父親も彼とドラッグの縁を断ち切らせるべく努力し、その過程で自分がどんな父親だったのか、どんな大人だったのかを学ぶことになる。


動機がどんなものであれ、依存症という「病」は発症する。そして、それと向き合うためにはその「病」が己の内にあることを認め、肯定する他ない。「病」を「肯定」と言うと変な表現になるが、例えば発達障害について考えれば分かるかもしれない。それは一生向き合うべきものであり、だからといって絶望視し過ぎてもいけない。その脆弱さこそが、ある意味では強みに変わる可能性も備わっていないと言えなくもないからだ。ニックと父親の歩みが描かれるタッチは実に丁寧で誠実。個々のエピソードこそ小さなものであれ、どんな失敗も丁寧に拾われ彼らがなにを学んだかを伝えてくれる。


私自身の話をもう少しさせてもらえば、断酒会に入会しても決して収入が増えたとか出世コースに乗ったとか、良いことが起きたという実感はない。むしろ世間からすれば「NO FUTURE!」な身の上だ。だが、それがどうしたというのだろう。断酒会に通っていれば、必ずひとつ気づきの種が見つかる。他の方の体験談から、あるいは他の方との出会いそのものから。そうやって、気づきや学びを繰り返して人間は成長していく。断酒会は人間成長の場、と私は叩き込まれたが今になってようやくその意味が掴めたように思う。


ニックと父親の不器用なすれ違いと歩み寄りの繰り返し、墜落と飛行の繰り返し、試行錯誤の重ね合い、懲りずにやってしまうバカの積み重なり……しかし、ひとつひとつ取ってみればそれらは観衆に「なんでこんな簡単な理屈を分からないのだ!」と呆れさせるようなものでもあるだろう。ドラッグ抜きで真っ直ぐ生きていけるならこれ以上幸せなことなどない。だが、それはニックや父親だって承知の上だ。「分かっちゃいるけど止められない」という愚かしい依存症の病の中で、延々とループする……だが、「三歩進んで二歩下がる」ではないが、ループの過程で少しずつ立ち直るコツを掴んでいく。


聞くところによると、この映画は実話をベースにした(もっと言えば、当事者の視点から描かれた)作品である、という。それはつまり、この映画が決してハッピー・エンドや起承転結を備えていないことを欠点と感じさせない美質を備えていることの証左でもあり得る。当たり前だ。依存症の地獄は死ぬまで続く。たまさかシラフになったとしても。回復の過程はミスター・チルドレンの言葉を借りれば「終わりなき旅」なのだ。だから、この映画はニックがシラフになったことを以てハッピー・エンドと捉えるべきなのではなく、むしろシラフで生き続けていかなければならないと腹を括るスタート地点までを描いた映画、とさえ受け取れるのだ。なかなか手強い映画だ。

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