是枝裕和『万引き家族』

二度目の鑑賞を行った。改めて、この作品は傑作だと感じた。だが、同時にこの映画は地獄を描いている、とも考え直した。一度目に観た時は、この映画に登場するリリー・フランキーや安藤サクラ、松岡茉優や樹木希林が築き上げた「家族」を天国のように感じた。だから(ここから思い切りネタを割るが)それが砕け散った最後を儚いもの、如何にも日本的なものとして受け留めた。だが、二度目の鑑賞ではこの「家族」は現代が作り上げた魔性の存在、大袈裟に言うなら「ディストピア」ではないかと思ったのである。だからこそ魅力があり、だからこそ許されざるものなのだ、と。


ストーリーはやや複雑だがザッと粗く整理すれば次のようになる。日雇い派遣で働いているらしき男と、パートタイマーとして働いている女が居る。彼らには女子高生と子ども、老婆という「家族」が居る。だが、彼らは彼らの本性を知らない。彼らを繋いでいるものは、自分たちが「万引き」に頼って生計を立てているその後ろめたさ。そして、疑似家族ではあるものの自分たちが「これで良い」と選んだのだという矜持だった。だが、その「家族」にひとりのいたいけな女の子が迷い込んだことから、「家族」は豊満に膨らみ、しかし破裂する……。


最初の鑑賞では、是枝裕和はもうこれを超えるものを撮るのは不可能なのではないか、という驚きを感じた。彼の最高傑作であり、同時に集大成的な作品である、と。この映画には是枝裕和の作品を構成しているもの/要素は全てと言っていいほど詰め込まれている。貧困と家庭、四季の移り変わり、日本的な情緒に満ちた風景、そして上品なエロス。全てが完璧と言って良いポジションに収まっていると思ったのだ。それは二度目の今回の鑑賞でも変わらない。この作品を、次に公開されるという『真実』が凌いでいるか興味は尽きない。


さて、この作品を鑑賞し直そうと考えたのは積極的な動機ではなかった。私はフィルマークスというサーヴィスに映画評を――素人ながら――投稿しているのだが、『万引き家族』をめぐって気持ち悪くて最後まで観られなかったという旨のレヴューが書かれていたのを読んだからである。確かに、この映画の「家族」に気持ち悪さを感じるのは当然かもしれない、と私自身自分の迂闊さを恥じた。そして、批判的な視点からこの映画を捉えてみようと決心したのである。それで観直したのだが……。


この映画が気になるのは、結局最後まで観終えたあとも誰にも救済が約束されていないからだろう。つまり、究極のバッドエンドと受け取ることが出来る。「万引き」で繋がっていた家族、「絆」を例えば売春やその他の違法行為といったダーティな手段で稼いだカネで確かめ合っていた関係……そんなものしかし、成り立つこと自体が奇蹟なのだ。だって、それは何処までも周到に塗り重ねられた「嘘」ないしは「虚言」の上に成り立っているものであるのだから。「グレー」は決して白ではないが同時に黒でもない。この映画が描いているのはそういう「グレーゾーン」なのではないか、と思った。


だが、「グレーゾーン」の家族はその危うい奇蹟がもたらした儚い祝福の瞬間を楽しむ。あたかも、この幸せがいつまでも続くと錯覚しているかのように(あるいは、こちらもそうしてこの疑似家族が「いつまでも続く」と錯覚させられるマジックを以て是枝裕和はこちらを惹き込む)。そして、矛盾するがこの幸せはいつまでも続くようなものではないと何処かで諦観と無力感を抱いて、明るいニヒリズムに浸っているかのようにも感じられる。考えてみて欲しい。この社会で「将来を保証された暮らし」なんて送られている人が居るとしたら、それこそ「奇蹟」だろう。


その矛盾は、しかし「なにはともあれ今を大事に生きる」という姿勢として昇華される。それはインスタント麺の上にコロッケを載せたら美味しかったと体感すること、あるいはセックスに耽った楽しみを味わうこと、聾唖の青年との出会いで彼の温もりを感じること、などで表現される。どれも、一歩間違えば陳腐になりそうな材料ばかりだ。ここで「ないわー」と偽善的に捉えるか、それとも私のように「流石だな」と唸るか。どちらも決して正解ではないのだろう……と書けば逃げていることになるだろうか。


だからこそ、と思うのだ。この映画が怒りの矛先を分かりやすく――ケン・ローチよろしく――「社会」にぶつけていないことの深さを考えてみる必要があるのではないか、と。やろうと思えばこの映画は官僚組織/警察を露悪的な存在として描くことも出来たはずだ。彼らの言葉の欺瞞を示し、おべんちゃらを並べるしか能のないホワイトカラーの戯言で「家族」は救われないのだ、と。だが、この映画のホワイトカラーは奇妙に「家族」に歩み寄りを示し、彼らをもう一歩前に歩かせる。そこで「家族」は解体されるが、「今を大事に生きる」という享楽を捨てて次のステップに歩ませることには成功する。みんな大人になるのだ。


だけど、と思う。この日本という国で大人になること、「今を大事に生きる」という享楽的な姿勢を捨てて生きていくことなんて、誰に出来るというのだろう。みんながみんな世間知/経験知の持ち主というわけではないし、増して人生の達人でもない。誰もが自分に都合の良い理屈を並べて、「万引き」や反「万引き」を合理化する。その万人の「完璧じゃなさ」、嘘と駄弁で己を守るしかない大人とあまりにも純粋な子どもたちの弱さを、この映画は良かれ悪しかれ誠実に映し出している。やはり、問題作であると受け取った。

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