北野武『菊次郎の夏』
参ったな、と思わされた。何度目の鑑賞になるか数えていないのだけれど、改めて(不惑を過ぎて)観た『菊次郎の夏』は、ストーリーの大筋は覚えていたとはいえ全く印象の異なる映画のように感じられたのだ。同じストーリーを別の角度から観られるということは、当たり前だが作品は変わらないのだから私が変化した、ということに他ならない。それが成長かどうかまでは分からないのだが。
ストーリーは簡素に纏めるとこうなる。マサオという少年が居る。夏休みを迎えるが、父を亡くし母とは生き別れ。祖母は働いており忙しい。従って構ってくれる人は誰も居ない。サッカー教室も夏休みで開いていない。マサオは、ふとしたことから母の住所を知る。そこは遠い。それでもなお行こうとして、不良にカツアゲされる。そこを救ったのが遊び人の男。彼は成り行きから、マサオの旅を手伝うことになる。だが、渡されたお金で男が行ったのはなんと競輪場! 斯くして珍道中が始まる……。
この映画を久しぶりに観て唸らされたのは、この映画が言葉に依存して(つまり説明的に台詞を用いて)ストーリーを進行させていないところだ。いや、北野武の映画なら当たり前だ、と言われるかもしれない。だが、肝腎な事柄を言葉で説明せずに飛び飛びにカットして伝えるその突発性に、度肝を抜かれる思いがしたのだ。ちなみにこの映画、脚本も編集も北野武が手掛けている。手練の仕事、という印象を抱かせる。
果たして展開されるのは、徹底的な子ども目線からのストーリーだ。マサオはビートたけしが演じる男(彼の名は敢えて明かさない)に連れられて、競輪場というまず子どもが行かないだろうところに行く。そこでまぐれで当たった券で男と一緒に豪遊する。だが、その内容は明かされない。マサオが見た夢がその代用品として使われる。どうやらセクシーな女性たちが集う夜の遊技場――と書くとどんなところなのか想像はつくだろうか――に行ったみたいなのだ。このあたり、直接的な性を描かないあたり北野武らしくないと言えばらしくない。
子ども目線は他にも登場する。ビートたけしが服を脱ぐと、背中に彫り物がされている。どうやら彼はカタギの人間ではなかったようだ。だが、どんな人生を歩んで来たのかは明かされない。この彫り物が原因となって、マサオは悪い夢を見る。さながら黒澤明『夢』のような抽象的で、なおかつ魅惑的なヴィジョンが繰り広げられる。私は北野武が黒澤明を尊敬したことは『Kitano par Kitano』を読んでいたことで知っていたつもりだったが、意識してのことだろうか。
北野武映画といえばヴァイオレンス/暴力だ。だが、この映画はヤクザこそ出て来るものの(そう言えば、カツアゲするヤンキーは『キッズ・リターン』の残響を聞き取れる)、直接的な暴力は描かれない。むしろそうした生々しい、分かりやすい/ベタな場面を排して、それこそ暴力的/強引なカットと繋ぎ方でこちらを惹きつける。そして、彼らがお互い必要最小限の台詞しか語らないことは留意しておく必要があるだろう。さながらヴェテランの漫才師のように(そう言えば、ビートたけしは漫才師であった。ちなみにこの映画ではビートきよしも登場する)、言葉を絞り抜いているのだ。
別の言い方をすれば、無言で登場人物が動くことがなによりも彼らの感情/エモーションを雄弁に語っているとも言える。母親探しを諦めて帰ろうか、とビートたけしが動いたその側にマサオは寄って行く。そして、マサオの表情を見たビートたけしは、マサオの心理を読む。母親探しを再開するわけだ。私は台詞に依存した映画に慣れてしまっており、なおかつ――あまり言いたくない事柄になるが――発達障害者なので言葉で説明されないと心理を読めない欠点を備えた人間である。だが、この映画の沈黙はなによりも雄弁に登場人物の心理を明かす。
子ども目線で見た世界は、こんなにもワンダフルだ。ファニーな印象を抱かせる夢、お伽噺にも似た暴力、何処か憎めない(ちょいワルな?)大人たち。先に述べたヤンキーやヤクザ、風俗嬢や彼らがやがて遭遇することになる自由人の旅行者、バイカーの二人連れ。彼らは大人なのに、何処か子どもじみたところを見せる。この映画自体が良い意味で「遊戯」であり、ストーリーが進んでいるのか止まっているのか分からない空虚な印象を感じさせる。そのあたりの微妙な呼吸の外し方に、頓珍漢だが私は『ソナチネ』を思い出した。『ソナチネ』からバッドエンドを抜いてハートウォーミングに仕上げた作品、と言えないかと。
そう言えば、この映画は子どものマサオが走るところから始まるのだった。そして、終わりもマサオがビートたけし演じる男の本名を聞き出して、「早く帰れ、バカヤロー!」と照れ隠しに言われて走り出すところで終わる。そう考えるとこの映画、意外と疾走感に満ちたものであるとも受け取れる。ヴェンダースを思わせる子ども目線のお伽噺。そう、大人たちとはこんなにファニーな存在なのだ。それを既に大人になってしまった私にも分かりやすく絵解きしてくれる北野武という人物は、やはり天才と呼ぶしかないだろう。
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