ロジャー・スポティスウッド『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』

今回は映画とは関係ない話をマクラとして語ることから、この駄文を始めることにしたい。


私は40を迎えた年に、一念発起して断酒を始めた。今のところ断酒は継続出来ている。淡路島で、断酒会の一泊研修というものがあり文字通り泊まり掛けで酒に溺れてとことん人生をダメにした方々の話を聞かせていただく機会があった。色々な話があった。仕事を失った、家庭を失った、社会的信頼を失った、財産を失った……もっと酷い人は健康を失った。お酒の影響が脳に回り、お酒が抜けてもまともに喋れなくなってしまったのだ。そんな方が断酒して、一生懸命立ち直りを賭けて頑張っておられる。そんな話を聞かせてもらった。


その方の体験談は、残念ながらなにを語っているのかさっぱり分からなかった。呂律が回っていなかったからだ。ただ、言葉を超えてビンビンと伝わる迫力があった。その話から、私は人生は腹を括れば何処からでもやり直せると学んだと思っている。そして、このマクラの本題はここから。一度こんな話を人にしたら、相手が「あなたは偉い。普通の人はそんな話を聞いても他人事としか受け取らないものだよ」と言われた。そういうものかな、と考えさせられた。私の中のなにかが、その舌が回っていない人の話を聞き取り学ぶことを可能にさせたのかな、と。


本題に入ろう。『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』は、ジェームズ・ボーエンの『ボブという名のストリート・キャット』という自伝を下敷きにした映画である。ミュージシャンへの夢破れジャンキーのホームレスとして生きているジェームズは、更生施設の人々の手助けもあって公営住宅に住むことを許されるようになる。だが、職はなくその日暮らしで路上で演奏して日銭を稼ぐ身分である。そんなところに、野良猫が迷い込む。飼い主のところに戻そうとするが、猫はジェームズになつく。成り行きでボブという名前のついたその猫とジェームズは生活をするようになる。ボブの可愛さに人々が注目し、ジェームズの生活は変わる……これがプロットである。


私としては珍しく、原作を読んだ上でそれを踏まえて映画を観ることが出来た。これが二度目の鑑賞だったのだけれど、一度目に観た時は「良い映画だけど、それ以上のものはないな」と思ってそのままスルーしてしまった。二度目に観た今回は少し考え方が変わった。「嫌いになれない映画」だと受け取ったのだ。好きになった、というわけではない。同じイギリスの現実を描いたケン・ローチやダニー・ボイルの映画のようには、私はこの映画を愛さないだろう。だが、侮れないと思わせるなにかを感じたのだった。


それは取りも直さず、ボブという猫のフォトジェニックな(今で言うところの「インスタ映え」というやつだろうか)魅力に由来するからだろう。ただ可愛いだけではない。微妙な表情の変化で感情を読み取らせ、人間と同じ言葉を喋っていると思わせるような演技力を備えている。そのカリスマ性に唸らされたのだ。ちなみに、驚くべきことにこのボブは実在するボブ本人が演じているという! なんとも凄いではないか。贔屓目抜きに見ても、こんな猫はそうそう見つかるものではない。


それだけではない。ジェームズの魅力についても考えさせられたのだ。この映画、イギリスの貧困を描いた社会派の監督の映画と同じものを期待して観ると肩透かしを食らうだろう。なるほど貧困を象徴するものは出て来る。フードバンク、『ビッグイシュー』、そしてドラッグ。でもそれらは執拗に描かれるのではなく、さらりと一筆書きで綴られる。生々しさ、どぎつさがないのだ。貧困はこんな甘っちょろいものではない、と批判する向きも居るであろう。だが、私は不思議とそんな甘さを感じなかった。


ジェームズという人物は、いたって生真面目だ。みすぼらしい風体をして、惨めな生活を過ごしているが自分から進んでドラッグを止める決意をし、自分から――女友達の薦めもあってのことだとしても――ボブを飼う決意をする。貧しい人間が猫を飼う。それはもちろん支出の負担を意味するが、それを覚悟で運命を共にする決意をするのだ。ボブはそのインスタ映えする姿で一躍人気者になるが(いや、人気猫と呼ぶべきか)、ボブを飼う生真面目なジェームズもまた彼のセンシティヴで真っ直ぐな内面を晒すようになり、活き活きした人間らしさを取り戻す。従ってジェームズもまたこの映画の主人公であり、ボブの金魚のフンというわけではない。そこに留意しないといけない。


別の言い方をしよう。ボブと出会ったことが「ラッキー」を呼び寄せて町の人気者になり、ソーシャルメディアでも話題の人物となり、本の出版に至るまでのサクセスを掴むというジェームズの運命は、しかし不思議とこちらに嫉妬を感じさせないものがある。それはやはりジェームズが、胡散臭い言い方になるがボブとの出会いという契機で己の良さを引き出されてジェームズ自体もカリスマ性を備えた存在となり得たからだろう。分かりにくい言い方をしてしまったが、ジェームズはまぐれ当たりでボブと出会ったのではない。彼の人柄の良さ、聡明さがボブとの出会いを可能にしたのだ。


字数が尽きた。この映画はボブのカメラ目線での映像や、ボブを照らす光の温もりにも注目すべきではないかと思われる。『英国王のスピーチ』のスタッフが関わった映画と聞いて、私は早速観ず嫌いだった『英国王のスピーチ』を観ないとと思わされた。

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