ケン・ローチ『やさしくキスをして』

驚いてしまった。ケン・ローチが挑んだラヴ・ストーリーは、やはりケン・ローチだったからだ。当たり前だ、と言われるかもしれないが……。


パキスタンから移民としてイギリスに移って来た家族の二世カシム。彼は妹のタハラを始めとする家族に包まれ、愛に恵まれていた。夢もあった。自分のクラブを築き上げること。そんな彼は、タハラをからかった同級生を追う過程でタハラが通っている学校の教師、ロシーンと出会う。ロシーンは敬虔なプロテスタントの女教師だった。彼らは惹かれ合うものを感じ、スペインに一緒に旅行に行くようになる。だが、カシムには予め宗教上の理由により定められていた婚約者が居た。カシムとロシーンは、お互いの宗教と家族の絆、愛を試される……これがプロットである。


ケン・ローチが恋愛を真正面から描く。いや、彼は『リフ・ラフ』のような作品を撮っているからそう特別視するべきことでもないのだが、このアプローチに驚かされてしまった。ケン・ローチといえば貧困と歴史とアウトロー、とこちらが決めて掛かっていたからかもしれない。我が不明を恥じる。だが、それを踏まえてもなお彼のアプローチの勇敢さには感服してしまった。こんな題材も撮るのか、という。敢えて言えば、彼の濡れ場(そう濃いものでもないが)は素人の私が観ても分かるほど拙い。だが、それを超えた生々しい迫力を感じた。


宗教を捨てて恋愛を選ぶ。これは簡単なようで難しい。カシムにしてみれば裕福な家族(彼の父親は自宅を豪邸とすべく、増築を行う。リッチだ!)と、彼らとともに育んだ絆を捨てることを意味する。一方、ロシーンはカシムを選ぶことで改宗を迫られる。このまま異教徒と交際するのであれば学校は彼女をこれ以上起用/雇用しない、と迫るのだ。それでも恋愛を選ぶ、と断言出来る剛の者はどれだけ居るだろう。これも素人の立場から言わせてもらうが、絆を捨てること、職を捨てることはハッピーな結論をもたらすとは言えまい。


私は、ダニー・ボイル『トレインスポッティング』を想起した。『トレインスポッティング』を注意深く観て欲しい。『トレインスポッティング』のネタを割るが、ドラッグの上前をハネてど田舎のスコットランドからロンドンに飛んだ不良少年(当然、ロクな教育も職歴も備えていない)に良い未来など待っていないだろう。それを無理矢理ハッピーエンドに持ち上げた『トレインスポッティング』は、卑怯な映画だと思っていた。後味の悪い映画だ、と。果たしてその続編『T2 トレインスポッティング2』はその私の推測を裏づける出来となっていた。流石はダニー・ボイル、と呼ぶべきか。


そんなシビアさ/手厳しさを、私はこの映画からも感じたのだ。最後の最後、カシムとロシーンはとある確かな選択を行う。それがどんなものなのかは言うまい。だが、彼らが選んだラストは決してハッピーエンドと受け取ってはならないだろう。むしろここから彼らは厳しい現実と立ち向かっていかざるを得ない。実に苦渋の決断、と呼ぶべき重いものと私は受け取った。カタルシスを期待してはならない。もしエンディングの余韻の歯切れの悪いところを批判する向きが居るとするなら、それはお門違いだと言いたい。現実はこうなのだから。


ちなみに、脚本を書いたのはポール・ラヴァーティ。『わたしは、ダニエル・ブレイク』の脚本家でもある。ケン・ローチとはタッグを組んでこれまでも傑作を(個人的には観るのが苦痛だった『エリックを探して』のような作品もあるけれど……)撮って来た人物のようだ。長年のタッグが組んだラヴ・ストーリーは、ヴェテランの筆によるもので言い淀みも無駄も、油断も隙もない。見事にタイトな出来に唸らされてしまった。脚本家で映画を観る私としては、彼の脚本による他のケン・ローチ作品もチェックしていく必要があるようだ。


映像面から映画を語れない、つまりスジの話しか出来ないのが私の悪い癖で、今回もストーリーの構成にのみ触れてしまった。次回観る時は映像面についても考えてみたいと思う。ただ、敢えて言えばケン・ローチの作品にスジ以外のものを求めるのはどうだろうか。彼はゴダールでもなければキューブリックでもない。同じイギリスの貧困を描くダニー・ボイルならまだしも映像美が期待出来るが、ケン・ローチはドキュメンタリーとして映画を撮る人だ。この映画も悪く言えばラヴ・シーンは『リフ・ラフ』の再生産であり、それ以上でも以下でもないと言える。


しかし、そう言ってなにが得られるのだろうか。ケン・ローチはケン・ローチだ。ギタリストが速弾きが出来ないから巧くないと言ってしまえば、クラプトンもジミヘンもグレートではなくなる。ここは普通に、熟達した技芸で宗教の掟と家族の絆、そしてそれと相反する恋愛の問題に真正面から向き合ったケン・ローチの勇気を買うべきではないだろうか。そしてそれでいてなお、誠実さを失っていない。私はその愚直さ、高倉健的な不器用さこそケン・ローチの真骨頂であると考える。この映画を 9.11 のあとに世に問うた彼の姿勢を私はリスペクトしたい。

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