ケネス・ロナーガン『マンチェスター・バイ・ザ・シー』
二度目の鑑賞になるのだけれど、やはり侮れない映画だと思った。だが、何処から語ったら良いのだろう。
確実に言えることは、この映画が「渋い」ということだ。とある伯父と甥の関係に焦点が当てられて語られるのだけれど、ストーリーテリングは時に過去と現在がせっかちに入り乱れ、悲劇的な出来事が「如何にも」なドラマ性を備えることもなく語られる。そのため、なかなかストーリーの粗略が出来ない。どう語ろうとなにかを語り落としたことになってしまう。そんな厄介な映画だ。
語ろうと思えばもっとタイトに語れる素材かもしれない。だが、私はこの映画に無駄はないと受け取った。冗長なようで、しかしそれは贅肉ではなく筋肉である、と。これ見よがしな演出を施すことなく、繰り返しになるが「渋い」タッチでこちらを魅せていく。ところどころ暴力シーンや火災など血腥い場面は登場するが、それとて淡々としたタッチで描かれるので、それが逆にこちらの胸に重い余韻を残す。なかなか強かな映画だ、と思わされた。
私はキリスト教に関して無知なので、その方面からの教養があればこの映画をもっと語れるのかもしれない。「原罪」とはなにか、という形で。だが、そうでないとしてもこの映画は楽しめる。メインストリームのホームドラマにありがちな、泣かせたり叫ばせたりというデーハーな演出は期待出来ない。登場人物は終始控え目の演技をする。静かに泣き、そして心情を吐露する。それがこちらを惹きつけるのだ。俳優陣の名演技故のことであるだろう。
つまり、メインストリームと真逆のことをやっている映画、と言えるかもしれない。分かりやすい豪速球を期待してはならない。変化球、と言えばしっくり来るかもしれない。何気ないことが為されているようでありながら、それは技芸の賜物なのだ。だからくどいが、その技芸に唸らされるしかないのである。マンチェスターの海辺の陰鬱な風景が――こんな映画を持ち出すのは頓珍漢かもしれないが――青山真治『共喰い』ばりの土俗の香りを際立たせているように思われる。
だから、この映画は分かりやすいようで意外と奥が深い。懐が深い、と言っても良いかもしれない。様々に受け取れる映画、とも感じさせられる。ガールフレンドとコトに及ぼうとするウブな甥の成長を見守る伯父の話とも受け取れるし、あるいは兄を亡くして虚無感に浸っている伯父が心的に回復するまでを綴った話とも受け取れる。もしくは一家離散を描いた映画とも受け取れるのだ。何処か黒沢清、もしくは是枝裕和が撮ったホームドラマに似たタッチを感じたのだが、私だけだろうか。
この映画、二度目の鑑賞でもやはり胸に静かに来るものがあった。静かに、だ。ボクシングは詳しくないので間違っているかもしれないが、ボディブローのようにじわじわと効いて来る映画、と言えるのかもしれない。ダイレクトにこちらを揺さぶる――この映画の伯父よろしく酔漢をガツンと殴るような暴力的な表現でこちらを動揺させる――ところはなく、こちらのハートに訴え掛けて来る、そんな計算高さを感じさせるのだ。しかもそれはイヤミにならない形で成立している。
ケネス・ロナーガンという監督のことは無知で、この映画も興味本位で観たのだったがこれは掘り出し物と思わされた。人は、時に大事なものを失う。喪失感を抱えて生きなければならなくなるが、しかしその喪失感はいずれは克服せざるを得ないものである。そんな手厳しい状況をタフに生き抜くふたり(いや、三人?)の話として受け取ると、こちら側の人生経験や映画体験も試されて来るように思われる。私は不惑を過ぎた身なので、その意味では伯父のキャラクターに感情移入して観る形になった。もっとも、私には甥も息子も居ないのだけれど――。
寒々しいマンチェスターの空気がリアルにこちらに伝わって来る。そんな中で綴られるストーリーは、こちらを安易に泣かせない。むしろ手管を駆使して感情を揺さぶることに終始する。ケネス・ロナーガン、なかなか手強い監督と言えそうだ。この監督の次回作を早くも(?)楽しみに待ってしまうようになった。地味な映画だが、なかなか中毒性を備えており観応えは充分。先述したが是枝裕和の映画が好きな方なら楽しめるのではないか。
夢、過去と現在が入り乱れる構成が、しかしタランティーノのように語り口の巧さに淫しているところがなく――計算高さがない、ということだ――整理されている手つきは鮮やかで、凄味を感じさせる。ケイシー・アフレックの演技の控え目なところも(また繰り返すが)好感が持てる。一見しただけではどんな映画か分からないという弱さはあるのかもしれないけれど、二度観るに足る価値はあると思わされる。従って私の鑑賞は正解だったのかもしれない。
「ファック」を多用した汚い言葉は、しかし下品で野蛮なところを感じさせない。ケン・ローチの映画のような貧民の本音、というのとも違うような気がする。ケネス・ロナーガンは上品なタッチで市井の人々の生活を描きたかったのではないか。そう考えるとこの映画の不思議な余韻も得心が行くのである。
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