テレンス・マリック『シン・レッド・ライン』
戦争映画はあまり好きではない。何故か、と言われると困る。そもそも戦争自体あまり関心がないからなのかもしれない。政治的な事柄が絡んで来ると――言うまでもないが戦争は政治の一形態である――難しい話になるのでこちらが処理し切れないというのもあるし、単純に人が沢山死ぬことを苦手と思ってしまうからなのだろうと思う。それでもスタンリー・キューブリック『フルメタル・ジャケット』は観たけれど、なんだかんだでスティーヴン・スピルバーグ『プライベート・ライアン』は未だに観ていない。
テレンス・マリック『シン・レッド・ライン』は戦争を扱った映画である。しかし、不思議な映画だ。テレンス・マリックの映画は前にも書いたがさほど観ていないのだが、彼は(ハイデガーを研究しているからなのか)死という問題をめぐって延々と考察している印象を受ける。逆に言えば死にしか関心がない、とも言える。上野俊哉が優れた哲学者は数少ない問題を考察し抜く存在である、と語っているのを何処かで読んだ記憶があるが、テレンス・マリックもまたそういう「哲学者」であると言える。
さて、この映画はスジを粗略するのが難しい。日本軍とアメリカ軍の攻防を描いた作品、と言える。アメリカ側に立った立場から、とあるミッションの行く末を描いたものだと。だが、そう粗略してしまうと「だからなに?」という話になってしまう。この映画は、戦争で勝利することや困難を乗り越えることのカタルシスをこちらに与えてくれるものだとは思われない。単純に「アメリカ軍が勝った、万歳!」という風に感情移入させてくれるものだとは、少なくとも私は思わなかった。これは私が日本人だから、というだけの理由ではないだろう。
テレンス・マリックは、やはりこの映画で淡々と死を描きたかったのではないかと考える。言うまでもなく戦争は多数の死者を生む。銃撃戦で沢山の人間が死んでいく。そんな中、必死で生者は死者を保護しようとして奮闘し、あるいは自分たちのために相手を殺そうとする。そんな死が血腥くそこかしこに存在する非日常的な世界を描きたかったのではないか、と。だが、それは成功したのか? 私は、この映画があまり傑作だとは思えなかった。テレンス・マリックの持ち味と戦争は、マッチしていないのではないかと思われたのだ。
テレンス・マリックは、静謐さで魅せる作家ではないかと思っている。例えば、冒頭のワニがゆっくりと川辺を動く場面。それ以外にもこの映画ではジャングルの動物たちの姿(彼らは戦争とは無縁に過ごしている存在だ)がそこかしこに映し出される。ジャングルの日常はスローペースで、人々は狩猟活動こそするものの基本的にはゆっくりした日々を送っている。一方、戦争は非日常でダイナミック/動的な出来事である。劇的な変化、と言っても良い。そのダイナミズムを、ゆっくりしたテレンス・マリックの語り口で撮ったらどうなるか。結果は見えているだろう。
ミスマッチ……と書くと残酷だろうか。長い尺で撮られる映画は、何処か間延びした退屈さを感じさせる。尺を削ってタイトに引き締まったテンポで描けば傑作足り得たかもしれないのに、と。だが、そんなことはテレンス・マリックだって分かっていただろう。彼の映画がここまで尺が長くなることはそうそうない。テレンス・マリックはもっと――彼らしい野心を動機として?――巨大なスケールで戦争というものを描きたかったのではないか、と思わされた。
つまり、ヒューマン・ドラマを中心に据えていながら(ちなみに、この映画は原作がある)、彼は戦争という「現象」を描きたかったのだ、と思うのだ。戦争をエンターテイメントとして魅せるのではなく、ドキュメンタリー的なタッチで「観察」したかったのではないか、と。そう考えればこの映画に主人公が居ない理由も納得出来る。彼は戦場という空間を演出して描写し抜き、その非日常性、不思議な空虚さを照らし出したかったのではないか、と思わせられたのだ。そう考えれば流石、と言えるのではないかと。
だが、それでもなお不満が残る。これはもう、私がたとえエンターテイメントとしてであろうとそうでなかろうと戦争を受け容れられない体質の人間だからなのだ、と割り切ってしまうのが良いのだろうか。ちなみに、この映画を観ながら私が想起したのは大岡昇平の小説『野火』だった。『野火』もまた、静謐なタッチで戦争の奇妙な空虚さを照らし出した傑作だったからだ。心理を克明に描いて、並みの「反戦」を蹴散らす類の強度を備えていた作品だった、と受け取っている。
そう考えて来ると、この映画では登場人物の心理に焦点を置いてもう一度観直すべきなのかもしれないと思わされる。『シン・レッド・ライン』、なかなか厄介な映画だ。テレンス・マリックは『野火』を読んだのだろうか? J・G・バラードは大岡昇平のファンらしいので、海外で『野火』が読まれていることは知っていたがテレンス・マリックももしかしたら……と考えるのは遊びが過ぎようか。ともあれ、クリント・イーストウッド『アメリカン・スナイパー』と並んで、「反戦」の欺瞞にも陥らず国威高揚にも至らない、手厳しい映画と受け取った。
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