是枝裕和『幻の光』

是枝裕和のデビュー作『幻の光』を観た。この作品は宮本輝の小説を原作としたもので。私は恥ずかしながら原作を読んでいない。だが、是枝裕和の世界――現時点での最新作『万引き家族』に至るまで――はこの『幻の光』で既に完成していたのだな、と思わされた。「作家は処女作の中に全てが詰まっている」という言葉は私はあまり信用しないが、この作品を観るとあながち間違いでもないな、と思わされたのである。


ストーリーは簡単に略すとこうなる。尼崎で夫婦が仲良く暮らしている。ふたりの間には三ヶ月になろうかという子どもが居る。だが、夫はふと鉄道の事故で亡くなってしまう。妻はその後再婚し、金沢に行く。そこで新しい夫と夫婦生活を始める……というものだ。地味といえば地味なストーリーだが、日常を手堅く切り取り人生の悲哀を描いたものとして評価出来るのではないかと思う。


この映画を観ていて、是枝裕和の作品の世界の特徴を改めて想起させられた。例えばこの映画では、雪景色や夏の光景など四季の移ろいが美しく描かれている。是枝作品の四季の移ろいと言えば『海街diary』が印象深いし、他にも私が気づいていないだけで作品の中に刻印されているのではないか。それは既に『幻の光』の中に封じ込められていた、と気づかされたのだ。それが私にとって収穫だった。


あとは、子どもたちのイノセンス。電車の中で「おもちゃのチャチャチャ」を歌う場面。あるいは子どもたちが野原を駆け回る場面。これも後の作品『誰も知らない』『奇跡』を連想させるものである。『万引き家族』でも発見することが出来るだろう。子どもたちを描かせると映像の冴えは際立つ。もちろん是枝自身がカメラを回しているわけではないのだが、彼と子どもの相性が良いことは良く分かる。


夏のアパートの部屋で、セックスが終わったあとに一休みする場面もまた是枝らしい。エロス/セクシュアリティを描いていながら、それが下品ではないのだ。それはトラン・アン・ユン『夏至』にも似ていて、もしくはまた名前を出すが是枝の『万引き家族』にも相通じるものがある。観ながら唸らされてしまった。


しかし、限界もある。ミシマ社から出ている『映画を撮りながら考えたこと』という是枝の著書を読んだところだったのだけれど、是枝が反省点としてこの映画を撮る際絵コンテをきっちり構築して撮影に臨んだことが詳らかにされている。逆に言えば、絵コンテに縛られて撮った作品である、と言えそうだ。だから、この作品には後の作品に見られるような即興で撮ったという、ライヴ感溢れる要素がないのだ。全てが予定調和の中で進んでいく、と言えば良いだろうか。手堅いのは良いのだが、ソツがなさ過ぎるのだ。


とまあ、ケチをつけてしまったがこの映画を貶めたいとは思わない。処女作とは思えない完成度の高さは特筆に値するのではないかと思う。あとは、この映画は登場人物の死をさり気なく描いているところも評価すべきところであると思われる。江角マキコの夫である浅野忠信の突然の死。自殺か事故か分からないように描かれているが、その死の描き方はセンセーショナルなものではない。不在、つまり死体を見せないで突然存在が消失する、という形で死が描かれる。このさり気なさが是枝の美質だろう。


是枝はこれまでも死を恐れることなく見据え続けて来た。注意深く観れば、どの作品にも死が重要な要素として溶かし込まれていることに気づくはずだ。それこそ後の『ワンダフルライフ』から『万引き家族』に至るまで。死は言うまでもなく悲劇だ。死を喜ぶ人など居ない。いや、例外はある。黒澤明『夢』のように死を祝祭的に描くといった手法を採る人がそうだ。だが、死はタブーとして忌み嫌われるのが普通だ。


だが、是枝は死を執拗に描き続ける。死なくして生はあり得ない、死を見ないで生を語ることは不誠実だ……とまでは是枝は発言していないが、そんな彼の姿勢に私は強い共感を覚える。『幻の光』でも、死をセンセーショナルに描かない分死の重要さは色濃くこちらに余韻として残る。死者が生者を支えている……そんな事実を端的に示しているのだ。


この映画、後の作品と比べると繰り返しになるが地味だ。まだ是枝は社会派のアプローチを行っていない。いや、自転車を盗むとかそういうところに片鱗を見出すことも出来ないでもないかもしれないが、それとて社会の暗部/タブーを暴き出す試みとしては結実していない。だから、そこで物足りない/食い足りないと評価する人も居るかもしれない。それは原作に縛られ過ぎたからなのか、それとも処女作の中にそこまで社会派のアプローチを入れる余裕がなかったからなのか、考察してみるのも面白いだろう。


もうひとつ。私は映画の技法でロングショットを好む。ロングショットは映す必要のない世界/風景を映し、それによって登場人物のみならず彼らが生きている世界/風景を炙り出す。この映画でも世界/風景は映し出されており、彼らが市井の人々として堅実に生きていることを教えてくれる。そんな日常を描いた、地味だが味わい深い作品として私はこの作品を受け留めた。

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