マーティン・マクドナー『スリー・ビルボード』
スジは単純である。レイプされて殺された娘の母親が、無能な警察官を糾弾するべく広告を三枚の板(ビルボード)に貼り出させる。それを見た警察官と広告を載せた母親がいがみ合い、そして悲劇が始まる……というプロットである。
こちらの期待値が高過ぎたせいなのか、今ひとつこの映画を前のめりになって観ることが出来なかった。なるほど、脚本は良いのだ。ヒューマン・タッチな映画であると思わされる。それは例えばポール・ハギスの映画にも似ていて、スキがない。だけれども、裏返せばそれ以外の要素が弱い。演出やショットが弱い印象を受ける。
また、そもそもこの映画では肝腎のレイプと殺人がどういう事件だったのかが描かれない。そういう重要な部分が回想シーンで語られないことで、何故「ビルボード」に広告を載せるまでに至るのか、そこまで母親を動かす執念が何処から来るものなのか今ひとつ見えない印象を受けた。むろん回想シーンを挟まなかったのは監督やその他のスタッフの英断であるだろう。だというのであればなおのこと肝腎の怒りを生み出すべき事件の凄惨さは描かれるべきではなかったか、と惜しまれる。
ひと口で言ってしまえば、この映画は「正義」をめぐる映画と言えるだろう。警察官はむろん「正義」を体現する人物/存在である。だが、その警察官が「正義」を行わない場合、誰がどのようにして鉄槌を下すのだろうか? レイプされた娘の母親、即ち主人公は自らの手で「正義」を行おうと試みる。それはしばし暴走して、思わぬ惨劇を生み出す(火炎瓶を警察署に投げ込んで怪我人を出させる、など)。そこまでしてでも「正義」は行われなければならないのか、それが厳しくこの映画では問われる。
この映画では警察官は徹底して自己中心的な存在として描かれる。民間人であろうと、丸腰の人物であろうと平気で人を殴り、痛めつける。警察官のこうした一方的な描かれ方は現実離れした印象を感じさせる。むろん、警察官だって努力して娘のレイプ事件を捜査してはいるのだけれどそのあたりが見えない。警察官を一方的に無能な存在として描こうという姿勢が、何処かこの映画をリアリティを欠いた作品として成立させているような印象を受ける。実際の警察官はここまで腐ってはいないだろう……というように。
どういうことかもっと端的に言えば、この映画はメッセージを愚直に伝えんとするがあまりに、人の行動の裏表が見えない現実離れしたものとして成立させているように思う。内的葛藤が見えづらいのだ。ひとりの人間の間で揺れ動く葛藤がなく、主人公は怒りに任せて自己中心的に動き、他の人物もエゴを剥き出しにして動き続ける。だから誰にも感情移入出来ない。少なくとも私は主人公の怒りに任せた暴行に共感出来なかったし、警察官の描かれ方も被害者意識丸出しといった感じで現実離れして見えた。
病に侵された署長が、無能を糾弾されて自殺に至る。その後、次の署長としてアフロ・アメリカンの署長が配置される。白人の警察官が、民間人に暴力を働いたところを目撃されて解雇される。このあたりも「正義」が勝つというメッセージとして受け取れば良いのだろうけれど、私には単に冷酷なリストラのようにしか感じられなかった。胸がすく、という印象を受けなかったのだ。アフロ・アメリカンは言うまでもなく差別される側の存在として捉えられているが、そのイメージに寄り掛かって(俗情との結託?)マイノリティがフェアな「正義」を行える、と暗に主張しているようでこれもまた描かれ方としてはどうかな、と思ったのだ。
怒りに怒りをぶつける、しかもエスカレートした怒りを「正義」の名のもとにぶつける……それは遣る瀬ないレイプ事件のトラウマがそうさせるのだ、と分かってはいる。だからこそ余計にレイプ事件は細かく描かれるべきだったし、警察官を一枚岩の存在として描き過ぎているところもリアリティを欠いているように感じられてならなかった。結果として、何処かお伽噺のような印象を感じさせるのだ。見ながら想起したのはケネス・ロナーガン『マンチェスター・バイ・ザ・シー』だった。全体的に静謐な印象を感じさせるからこの映画が思い出されたのかもしれない。
だが、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』では過去を現代と交えてトリッキーに語ることで人物の死/不在を浮き立たせられていた。この映画ではそれがない。だから、最後の最後で重要な「許し」が描かれる『スリー・ビルボード』ではその「許し」がどうにも取ってつけたようなもののように感じられてならなかった。これもまた、個人的な好みの問題なのかもしれない。だけれども、希望を与えてくれるような甘いエンディングというのとも違うような、苦い余韻をあとに残す映画のように思われた。
纏めて書くなら、この映画はマイノリティ(それは女性であったり、アフロ・アメリカンであったりするだろう)こそが「正義」を成し遂げ得ると語っているかのような映画である。逆に言えば警察官はとことん信用出来ない存在として描かれている。そのあたり、流石に図式的に過ぎてリアリティを感じられなくて辛かった。まあ、これもまた映画の醍醐味なのだろう。
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