しょうがないから
第42話 軌跡
神様はどこまでもユウの味方をするらしい。どうしてそんなに贔屓をするのか。これからの永遠の謎になりそうだ。
「相変わらず病院は混んでて苦手だなあ」
「すみません、僕のせいで」
「ほんとに皆に迷惑かけたよねえ」
「ぐ……」
事故から三日経って、私たちはまたこうして病院へと足を運んでいた。
怪我も化膿はしておらず何も問題はなかった。次の通院は一週間後とのことで、明日からいつも通り仕事にも向かうつもりでいる。爪が無いので運転はしづらいけれどまあ大丈夫だと思う。今は痛みもないし。
何もかもがいつもの日常に戻りつつあって不思議な感じだ。
……でも、その前に。
「ちょっと緊張しますねえ」
私は診察が終わっても出口に向かわずに、更に奥の廊下へと足を進めていた。
事故の日は疲労と諸事情が重なって行けなかった場所、ユウの入院する部屋へ乗り込むために。
「それにしても驚きました。まさか僕は悪霊じゃなくて生霊だったとは」
「まあ生霊のが執念深くてたち悪いっていうしね」
「い、言いますね……」
萌花さんは良識のあるとてもいい人だった。私が「もういい」と止めても何度も怯えながら謝るので、むしろ私の方が申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。
ずっとユウに取り憑かれていたせいで感覚がマヒしてるけど、よくよく考えてみればストーカーって犯罪なんだよなあ。当たり前だけど。
“実の兄が自分の恋人の姉のストーカーをしていた”、この事実を知った彼女の心境は私には計り知れない。なんて世間は狭いのだろう。
そんなわけで彼女にはぜひ幸せになってほしいと願う。切実に。
なので私は気にしてないからあまり気負わないでほしいということと、これからも
私の気持ちは伝わっただろうか。別れ際彼女が少しだけ笑顔を見せてくれたのが救いだった。どうかこの恥知らずのストーカーは私に任せてまともな幸せを掴んでおくれ。
……さて。
「入るよ」
「……はい」
緊張しているのか、横からごくりと生唾を飲み込む音が聞こえた。
病棟305号室。個室の部屋番号の下に「迫間悠一様」のプレートがあった。間違いなくここだ。
私はためらいなくドアを開けてずかずかと部屋の中へと入って行った。
「あっちょっと! 心の準備がまだっ」
「問答無用!」
「もう少し感慨深げにしてくれてもいいじゃないですか……あっ!」
そこはユウを寝かせるにはもったいないくらいに広い個室だった。白い部屋の奥の窓に近い場所にベッドがあり、そこに一人の男が横たわっていた。
今隣にいる姿とは雰囲気が少し違うけれど間違いなくユウ本人だった。ちゃんと生身の人間で存在している。変な気持ちだ。
萌花さんの話の通りケガも完治しているらしく、何か変な機械が取り付けられているわけでもない。見た目は至って普通で、病人やケガ人というわけではなくただ単に寝ているように見える。
左腕についているのは恐らく栄養剤か何かの点滴だろう。
「うわあ。この僕、髪も伸びてるし少しむくんでる気がする……」
「寝たきりじゃあしょうがないんじゃないかな。お、ヒゲ剃り残ってる」
「ひどい! あんまり見ないでくださいよ!」
幸いなことに障害もなく、いつ目覚めてもおかしくない状態らしい。なのにこうしてまだ眠り続けている。これには医者も首をかしげているのだけど。
……考えられることは一つしかない。
「ユウが目覚めたくないと思っているから、ずっとこのままなんだと思う」
「そんなことないんですけど」
「思ってるよ。私と過ごしてる間、ずっとこのままでいたいとか言ってたでしょ」
「……ああ、なるほど」
「ユウはそれでいいかも知れないけれど、ずっとここに寝たきりじゃあね」
「まあ、そうですねえ……」
ユウはまじまじと自分の寝顔を見つめていた。アゴに手を当てて、何かを考えているようだった。うなり声が混じったため息をもらしている。
とりあえず私はユウの眠るベッドの横にあったパイプ椅子を組み立てて座った。固くてひんやりした感触がして思わず身震いした。
奴の寝顔を覗き込むと、ゆっくり胸を上下させて呼吸しているのが分かる。やっぱり生きてる。
「そんなまじまじと見ないでくださいよ……」
「いやあ、生きてると思ったらなんだか不思議で。ずっと死んだものと思ってたし」
通りで事件や事故の報道がなかったわけだ。私はやっと納得した。
「というよりユウの方がひどくない? 私が寝てる間ずっとゼロ距離で見てたよね」
「そういえば奈々子さん、よく恥ずかしがらないでいましたね」
「こいつ……」
どこかで聞いた話だけど、本当に頭のおかしい人間というのは「自分がおかしい」ということを理解しないらしい。
そういった意味では間違いなくこの悪霊もとい生霊はサイコパスだと思う。猟奇的でないサイコパス。
現に今も私を見て首をかしげている。
いや違うって。私が変人なんじゃない。私は嫌がるのをあきらめただけだ。
「もういい。それよりユウが体に戻る方法を考えなきゃ」
「戻ったらこんな風に奈々子さんと四六時中一緒にいられなくなってしまうんですよね……24時間365日」
「勘弁してください」
私とユウがふざけている間も、目の前のユウ(本体)はすやすやと寝息をたてている。時々、私たちの会話に反応するかのようにぴくりとまぶたが動く。
「とりあえず生身の人間に戻るメリットを考えよう。戻りたくなるかもしれない」
「メリット、ねえ」
「干渉不可能なストーカーから解放されるとか、理不尽に呪われなくて済むとか」
「それは貴女のメリットでしょう」
呆れたため息をつきながらユウは楽しそうに口許を弛ませた。それを見て私も弛む。
ユウといつの間にかこんな風に憎まれ口を叩き合う仲になってしまった。
出会った時の私はこんなこと想像できただろうか。当時あんなに恐ろしく思っていたのが嘘のようで、今ではユウの理解不能な思考回路も笑って流せるようになった。
「ねえ、奈々子さん」
「なに?」
「僕の目が覚めても、僕たちは他人同士になんてならないですよね。これは僕の夢で、目が覚めたら今までのことが全部なかったことになんてならないですよね?」
「……それで生きてることを素直に喜んでなかったのか」
なるほどね、だからずっと迷っていたのか。私にはまだまだユウの気持ちを推し測ることは難しいみたいだ。
……奴は私のことは手に取るように分かるらしいけれど。まあ、それは追々努力していくとしよう。
私はベッドの掛け布団の上に放り出されているユウの右手を握った。生身の人間の温かな感触がする。
私より一回り以上大きなその手は、いつも見ていたのに実際触れるとなると全然想像と違う。細くて長く、華奢そうな指も私よりがっしりしていて硬かった。
そのままユウの右手を、私の両手で包み込んだ。
「目が覚めるまでこうしててあげる」
「えっ」
「あっ、でも日が暮れたら帰るから。そしたらもうこんな風に付き添ってあげない。一人で頑張って」
「ええ!」
「ほら早く目を覚ましなよ。そしたらちゃんとこうして迎えてあげるから」
「きょ、今日中ですか!?」
ええ、ああ、とどもりながらユウはあたふたと私やベッドの周りをぐるぐる回り始めた。
あーでもない、こーでもないとふらふらしたり生身の自分と重なったりしている。
「急に言われても方法が分かるわけないです!」
「なにを言う、急じゃないし。こうして今日ここに来た時点で予想するべき」
「ぐ……」
「いつまでもこんな所で無駄に寝ててもしょうがないよ。これ以上妹さんとか、家族に迷惑かけたり入院費かさむ前に目を覚まして」
「突然無慈悲になりましたね……」
こんなに焦ったり困っているユウを見るのは初めてだった。いつもの
自分でも意地悪くニヤニヤしているのが分かる。
「いつもユウには困らされてたし、幽霊生活最後に困らせてやる」
「……後で覚えててくださいね」
窓の外には冬の青空が広がっていた。まだまだ日は暮れそうにない。
ここでようやく私はユウにささやかな仕返しができたのだった。
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