第30話 強腰


 そうして家に帰ったあとはいつも通りだった。夜も更けて寒さが身にしみる。外はもちろんそうだけど、暖房をケチっているので部屋の中もなかなかに寒い。

 人間だって冬眠がしたいけれど私は今日も明日も仕事だ。悲しいなあ。


 もう寝ようかとベッドで布団にくるまりながらごろごろしているとふいにケータイの着信音が鳴り響いた。それまで静かな空間だったので反射的にビクリと体が跳ねる。


「うわあっ!」

「知ってますか? そういうのビックリ症候群って言うんですよ」

「う、うるさいなあ」


 楽しそうに見下ろしているユウを睨んでからいそいそと通話ボタンを押した。


「啓太?」

「あっねえちゃん、ごめんいきなり」


 ケータイの向こうから弟の申し訳なさそうな声が聞こえて、私は無意識にゆっくりと起き上った。布団にくるまるのはやめないけれど。


「この間話してたこと、萌花もえかに話したんだけど」


 萌花とは啓太の彼女の名前だ。

 この間ってなんだっけと一瞬迷ったけれどすぐに思い出した。三人で集まったときのリア充恋愛相談か。


「そういうんじゃないって言われた」

「そっか。心配し過ぎだったかね」


 最近やたらと周りの人間がストーカー被害疑惑を訴えてくるが、そうそうそんな事件が湧いて出てきても困る。それに真の被害者は私なのだけれど、そこは誰も気づかない。

 まあでも杞憂に終わってなによりだ。私は弟の話を聞きながら良かったねと頷いた。


「それで、話は変わるけど今週末とか、平日の夜とか空いてる日ない?」

「え、なんで」

「いやなんか……萌花がねえちゃんに会ってみたいって」


 ガチャン!


「ひいっ!」

「なに、大丈夫?」


 びっくりして音のした方を振り返ると、壁に立てかけてあった掃除機が倒れていた。ああなんだこれか。

 安心したのも束の間。目線を戻す途中で鬼のような形相のユウと目が合ってまた息が止まる。

 犯人は奴だ。私はまるで錆びた機械のようにギギギと不自然な動きで布団に潜りこんで逃げた。


「あ、な、なんでもなかった、よ? それよりいきなりどうしたの」

「なんとなく世間話で二人の写真見せたらさあ。お姉さんたち仲良いねーって話になった流れでなんとなく」

「なんとなくう?」

「そうそう。ちょっとだけ会ってみたいって」


「……この頃毎週毎週予定があって良いことですねえ。楽しそうじゃないですかあ」


 ユウの絶対零度の微笑みと猫なで声が私の真上からおそいかかってくる。言葉だけなら肯定のように感じるけれど、その意味は正反対だ。恐ろしさで全身が震えた。

 弟よ、行動や発言には十分に注意したまえ。私はお前の「なんとなく」で祟り殺されそうになっているんだけど。


「ど、どど、どうかなあ? 今週は無理かも。あはは」

「まあ考えといてよ。ねえちゃんこういうの苦手かもしんないけど」


 おう、さすがは血を分けた兄弟なだけあって理解が早い。私はそういった挨拶の場みたいなのは元々得意ではない。いつも余計な事をしゃべってしまい後悔するのがオチだ。

 でも今回はそれだけではない。やんごとなき事態、命の危機なのだ。やたらと食い下がらずに話を終わらせてくれた啓太に心の中で感謝した。


「もちろん考えるよ。将来長い付き合いになるかもしれないし」

「まあね」

「予定空いたらこっちから連絡するよ」


 当たり障りのない返事をして電話を切った。なんとか事なきを得たようだ。

 ……あとの問題は。


「いいんですか? 本当に?」

「うっ」


 いきなり至近距離まで詰め寄られて反射的に後ずさった。本当にユウは距離感を考えない。いや、わざとなのかもしれないけど。

 私は笑顔で応えようとしたけれど、引きつってしまった。ユウは反応を楽しむように首を傾げて微笑んでいる。


「よく言うよ。断らせたくせに」

「あ、ばれました?」


 ユウの手が伸びてきて、指先で顔の輪郭をなぞられる。寒気でぞくぞくと震えが走った。


「言うこと聞かなかったらお仕置きしようと思ってたんですが。その必要はなかったようですね」

「……なんか今さらっとおそろしい言葉が」

「いいこいいこ」

「言ったよね」

「気のせいですよ」

「えええ」


 おそろしすぎる。ユウが本気でお仕置きをしようものなら目も当てられない悲惨な事態になってしまう。それは避けなければならない。


 近頃の奴は力の扱いがうまくなってきたのか、ポルターガイストの精度が高くなってきている。始めのうちは家電や食器などのある程度の大きさのものを浮かせて操るくらいだった。

 今は塩コショウの粒や水しぶきといった無形物まで自由自在らしい。まったくもって嬉しくない成長だ。


 そういえば気軽に金縛りもするようになったし、私の状況は控えめに言っても絶望的なんじゃないか。本当は他人の心配をしている場合ではないかもしれない。


「どうしましたか……?」


 それでもユウのおどおどした表情を見ていると緊張感がなくなってしまう。奴の思考回路や言動は飛んでいるけれど、私の感情や機嫌を優先していることが分かるから。

 あくまで、ユウは私に好意を持たれていたいらしい。それが唯一の救いである。


「なんでもない」


 少し乱れた前髪から目つきの悪い三白眼が心配そうにこちらの様子をうかがってきたので、私は苦笑しながら応えた。


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