第28話 疑心
突然の大きな音に驚いたのは私だけではない。優子姉や啓太も体がビクリと跳ねた。
「な、なに地震!?」
「いや?……もう揺れてないな」
部屋の全体が軋むなんて初めてだ。家が壊れてないと良いけど、ユウの力が強くなっているのなら大問題だ。そう遠くないうちに憑き殺されてしまうかもしれない。
あれ? そういえばユウがいない。
姉弟と一緒にパニックになっているうちに見失ってしまった。立ち上がって軽く見渡すとキッチンの隅の死角でうずくまっていた。
近づいて様子を見る。どうやら私に気がつかないらしい。両手で頭を覆い隠してなにやらぶつぶつと呟いていた。
「あれはだめだ。……が……うして」
なにやらただならぬ雰囲気だった。
顔は見えないけど、確認するのはたぶん危険行為だろう。そっとしておくことにして、私はまた元の場所へ戻った。
「棚は? 食器は大丈夫?」
「ああうん。なんだったんだろうね」
ユウの様子は気になる。でも長い時間様子を見ていたら怪しまれてしまう。私は姉にあいまいな返事をした。
「それとさ。もうすぐお昼になりそうだけど、どこにする?」
「え……ああ、もうそんな時間かあ」
時計を確認すると十一時二十分を指していた。もうそろそろ出発しないとお店が混んでしまう。
そして私は二人に急かされてランチへと出かけるのだった。
ユウは微動だにしなかったので一応こっそりと声をかけてからその場を離れた。聞こえていたかは不明だ。
そう、私は取り憑かれてから初めてユウのいない時間を過ごしたのだ。不思議な気分だった。
命の危機を感じない、穏やかで平凡な当たり前の時間だった。
***
「ただいま」
現地解散をして、私は一人で家路に着いた。ドアを恐る恐る開ける。ユウがどうなっているか分からないので恐怖である。
変な話だ。自分の家に帰るのに細心の注意を払うなんて。
「ユウ?」
できるだけ優しく声をかけてみるけれど反応はない。意を決して家の中へと足を踏み入れた。
なんとなく忍び足になってしまう。音を立てないように靴を脱いでスリッパを履いた。
ユウはリビングのちゃぶ台テーブルで呆けていた。さっき私が座っていた場所に同じようにして座っている。うつむいてテーブルをじっと見つめている姿は不気味なことこの上ない。
「えっと……ユウ?」
「はっ! 奈々子さん!」
ためらいながら声をかけると、ユウが勢いよく顔を上げてこちらまで飛んできた。まるでさっきまで時が止まっていたかのようだ。
うるさいくらいにわんわんと足にすがり付かれたので私はさらに困惑する。
「えええ……」
「僕を置いていくなんて! どこに行っていたんですか呪いますよ!」
「待ってちゃんと声かけて出かけたから!」
やっぱり聞こえていなかったか。それで私のせいにされても困る。というより呪わないでくれ。
「むしろ私がびっくりしたよ。急に黙ってうずくまっちゃったから」
「すみません。少し動揺してしまって……」
「動揺?」
「ぐ、」
“何に”動揺したのかは教えないらしい。声を詰まらせて黙りこんでしまった。
けれど今はそれはどうでもいい。私は重大なことに気づいてしまったのだ。
「でもさ、思ったんだけど。ユウは私の居場所探れないの?」
「あっ」
「もしかして一回見失うと見つけられなくなるんじゃ……」
「そ、そんなことはないです!」
「ははん、だから四六時中べったりしてたのかあ」
“取り憑ついている”という定義がいまいち分からないけれど、そこまで万能というわけでもなさそうだ。実際に私を一度見失ったユウは追いかけることができずに待っていた。
これは大きな収穫だ。こっそりガッツポーズを決める。
……そのはずが。
「もしかして、僕を
あっ、これは失敗したな。直感が命の危機だと訴えている。急激に部屋の温度が下がって鳥肌が立った。
こんなに早く負けを認めることになろうとは。
「貴女も学習しないですねえ? 僕を怒らせるだけなんですけど」
「今猛烈に後悔してる」
「それは良かった。もう逃げないでくださいね」
ぬるりと体に絡みついてきたので、恐怖のあまり高速で何度もうなずいた。うなずきすぎて首が取れそうだ。
また体は例のごとく金縛りで指一本も動かせない。
「最近金縛りくらいなら簡単にできるようになりましたね。本当は乗り移りたいんですが」
「私の人生が壊される……!」
「あは、ご名答です」
すがすがしい笑顔でとんでもないことをのたまった。具体的にどんなことをされてしまうのかはあまり知りたくない。きっと私の想像のさらに上を行く手段なのだろう。
「今度はもう逃がしませんから、ね?」
三白眼の瞳が私を見下ろしている。その瞳は暗い欲望と狂気の色をしていた。だから目が合っただけで私の体はぞわぞわと粟立って目が反らせなくなる。
そして砂糖菓子のように甘い猫なで声が余計に恐怖を駆り立てるのだ。
「ねえ奈々子さん、本当に僕のこと好きですか?」
「……うん、好きだよ」
「本当ですかねえ?」
いじけたように口を尖らせて、ユウはおどけてみせた。けれど目は笑っていない。
「ほんとだよ」
「良かった、なら今日のことは許してあげます」
ぱっとユウの表情が明るくなって、部屋の空気も元通りになった。
この悪霊が不機嫌な時は温度だけじゃなく空気自体も重く
そのせいで思考回路もまともに機能しない。
……本当に私はユウが好きなのか?
恐怖で言わされている気がするのだけど。でも、さっきまでのユウのいない昼食はなんだか物足りなかったような、刺激が足りないような、そんな異常なことを思っていたのも確かだった。
やっぱりもう私は手遅れだ。
ユウと会うまでの静かで平凡な生活にはもう戻れない、戻るのは寂しいと感じてしまっているのだから。
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