第18話 視線


 あのあと展望フロアを降りた私たちは夕飯を食べた。無論、二名で予約してあるちょっと高級なディナーだった。本当は誰と行くはずだったか、なんて聞くのは野暮すぎるものだ。


 本当にこれで良かったのかな。

 どうすれば正解かなんてのは分からない。けど、姉は終始楽しそうだったので深くは聞かないことにした。

 まあしかし姉の家に着いて寝るころには疲労でどうでもよくなっていた。今日は目まぐるしい一日だったなあ。


 姉の家のベッドは当然一つしかないので、私はリビングのソファーに横になった。足は伸ばせないけれど、このふかふか具合は気持ちいい。

 そこそこよく眠れそうだ。


「いやいや、あんたがベッド使っていいよ。ソファー狭いでしょ」

「いやだね。私はここで気兼ねなく寝腐る」

「一緒に寝る?」

「あ、大丈夫です」

「ちっ。ダブルサイズだから狭くないっての」


 ん? 今舌打ちが聞こえたような。気のせいか。

 私は差し出された毛布を奪ってくるまる。背後で姉がおかしそうに笑っていた。


「今日はありがとね」

「いえいえ」

「……そういえば、さ」


 少しでも力になれたのなら嬉しい、と心から思う。やっぱり身近な人物には元気でいてほしいものだ。

 何か気になることでもあるのだろうか、姉がまだ私の背後でもじもじしている。なんだろうと姉の顔を覗き込むと、チラチラと私の目を見ながら言った。


「奈々、付き合ってる人でもいるの?」

「は!?」

「ああいや、なーんか前と雰囲気違うのよ。女の勘?」

「おかしいおかしい! いないよ!」


 はっ、視線を感じて振り返るとユウがニタニタしている。見なかったことにして私はまた姉の方を向いた。


「えっじゃあ好きな人とか」

「いない! 違う! そういうんじゃない!」

「ははん、なるほど」

「なるほどしないで!」


 何を勘違いしたのか姉も私のことをなめ回すように見ながらニタニタと笑っている。

 違う! あなたの妹は回避不可能なストーカーに追いかけ回されてるんだよ! どうしてそうなる?


「へえ……僕のことそういう目で見てたんですか」


 見てない! 発狂しそうになったけれど姉の前なので無視することしかできない。

 違うからニタニタするな!


「そういうんじゃないし」

「まあ、そういうことにするけど。なんか今日のあんた、ちょっと女っぽかったよ」

「いつも女だけど……」

「枯れてんだろが」


 がしん、とソファーを足で小突かれてちょっと揺れた。

 枯れているのは否定できないな。ぐうの音も出ない。


「でも雰囲気違うのは本当だよ。ほら、服のセンスもなんか違うし」

「あっ」


 思わず小さな声を上げると、姉は勝ち誇ったような笑顔を見せた。


 きっとスカートのことを言っているんだ。赤茶色のパッチワーク柄の可愛いロングスカート。

 そしてユウが勝手に買った、という事実を忘れてごきげんにヒラつかせていたことを思い出した。なんということを。今更後悔しても遅すぎる。

 そんな分かりやすいアホを晒してしまったのだから、私の服の趣味や財布事情を知り尽くしている姉が気がつかないはずがなかった。


「話す気になったらいつでも言って」

「だから違うって」

「おやすみっ」


 語尾にハートマークが付きそうなほどの甘ったるい声を残して、姉は寝室へとスタコラサッサと逃げてしまった。今部屋に響いている音は、私の歯ぎしりの音だけだ。


 姉には、ユウのことは一生話せる気がしない。むしろ誰にも話せる気がしない。

 ユウが人に見えない以上、私の頭がおかしくなったと皆が思うだろうし。皆の憐れみの表情を想像して悔しくなった。


「やっと二人きりになれましたねえ」

「うええ」

「照れなくていいんですよ」

「寝させて……安眠させて……」

「もちろん。場所が違ってもよく眠れるように、ちゃあんと見守っててあげますから」

「違う。そうじゃない」


 耳を塞いでもユウの声はなぜかはっきりと聞こえてしまう。勘弁してほしい。

 私はリモコンを手に取り電気を消してユウとの会話を強制終了させた。ああ、でもユウの姿は暗闇でもぼうっと淡く青白い光を放っているのでくっきりと見える。だめだこりゃ。


「大丈夫。睡眠の邪魔はしませんよ」

「……」

「おやすみなさい」

「……おやすみ」


 何が悲しくてストーカーの恍惚とした顔を眺めながら眠りにつかないといけないのだろう。

 ユウの表情は暗い欲望と、寂しさと慈愛が混じっているように思えた。熱すぎる視線に射殺されそうだ。

 もしユウが生身の人間だったら、その視線の通りめちゃくちゃにされてしまっただろうか。途中まで想像して、恐怖に身震いした。


「あは、いいですねえその顔」

「うう……」


 ユウが幽霊で良かったと思う反面、悔しいとも思う。誰にも見えないし触れないのだから、私以外に認知されることもない。私がこんな目に合っていることを誰も知らない。


 私の悲痛な叫びは誰にも伝わらないので呑み込んでしまった。ほんと、誰か助けてください。

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