第17話 星彩
姉の家からまた電車に乗り、私たちは目的地へと向かった。目指すは日本一高いタワーの最上層の展望台だ。
このタワーは駅と直結しているため、案外すんなりと入り口へとたどり着くことができた。
「なんだかんだ有名だけど、ここ上るのは初めてなんだ」
「あたしも」
TVでも紹介される有名な観光地だし、以前から来たいと思っていた。
ここへ来た理由はとても穏やかなものではないけれど、私は楽しんでいた。その方がきっと姉も楽しいだろう。
……ただ一つ、余計なものを除いて。
「こんなにウキウキしてる奈々子さんが見られるなんて……ああ、なんて」
背後がうるさい。とてもうるさい。
でも、そういえばここのところあんまりはしゃいでいなかったような気がする。いや待てよ、最後にはしゃいだのはいつだったっけ?
我ながら枯れ過ぎていたかもしれない。旅行はおろかお出かけすら、社会人になってから久しい。
「見つけた! あそこが入り口だ」
「お」
そして姉の後ろに従うままスタッフに券を渡し、上に昇るエレベーターへと乗り込んだ。
都会はエレベーターまで凝っている。天井あたりにはキラキラした切子ガラスが埋め込まれていた。それらは花火を模している、とスタッフが説明してくれた。
「今や入場券もQRコードか……時代だなあ」
「なにジジくさいこと言ってんの奈々。どこもそうでしょ」
「そうなの?」
「家に引き込もってんのがバレバレね」
「わあ」
ちょっとの間立ち止まっていただけで、こんなに取り残されてしまうのか。なんだかむなしいような、目まぐるしいような感覚だ。
軽快な音楽と共にエレベーターは高速で目的地へと向かっていく。画面に示された数字が目で追い付かない速度で上昇していく。
ついに装飾を堪能しきれないまま私たちは到着してしまった。
ゆっくりドアが開き、再び人の波が動き出す。私たちもそれに押し出される形でエレベーターの外に出た。
……あれ。
人の波をかき分けるようにして飛び出して行った姉を追おうとしたけれど、違和感がして少し立ち止まってしまった。
なんだろう? 思わず耳をさする。すぐに姉は見えなくなってしまった。
「どうしました?」
「ん、なんか変」
ここは人混みで騒がしいし、私が小さな独り言を言っても気にしないだろう。そう思って、心配そうに顔を覗き込んできたユウに返事をする。
ユウはまさか普通に返してくると思わなかったのだろう、少し驚いてからほほえんだ。
「急に高い所へ来たからじゃないですか。ほら、唾飲んでみて」
「ああ、そっか」
あまりにすんなりとここまで来たのでここが高所だという感覚があまりなかった。
なるほどね。体の異変でそれを実感するとは。
ユウに言われた通りに唾を数回飲んでいる内に、耳の違和感もなくなった。
……なぜかユウが恍惚の表情でこちらを眺めている。見ないふりをしようと思っていたのに、ついツッコミをいれてしまった。
「な、なに」
「いえ、貴女の
「ああうん。なるほど」
「そそられてしまいますねえ」
「最後まで言わないでいいです、ほんと」
聞かなきゃ良かったと後悔しながら、こちらへと伸ばしてくるユウの腕を振り払おうとした。けれどやっぱり透けているので効果はない。ユウはかまわず私の喉を指でなぞった。
「もう奈々ったら。まだそんなとこにいたの」
「あ、ごめん。はぐれて歩き回るのも逆効果かなって」
姉が早足で私のことを迎えに来てくれた。素直に「ぼーっとしていた」とは言えず、ちょっとした言い訳になってしまった。
それからまた二人で歩き出す。
目の前に広がるのはただただ美しく眩しい景色ばかりだった。
明るい夜闇だな、と思った。
「すごい……!」
「わあ」
ただの夜景と侮ることなかれ。冷たく澄んだ夜の闇と、華やかな都会の街の光。
綺麗なのは言うまでもないけれど、ここは人の生活圏をはるか高みから見下ろしている神の視点のようだった。ちょっとした優越感だ。
私たちの真下では米粒サイズの人間たちがせわしなく歩き回っていた。
「見ろ、人がゴミのようだ!」
「もう絶対あんたそれ言うと思った」
高い所に来たらまず言うセリフナンバーワンじゃないか。むしろ我慢したらなんだかモヤモヤするくらいだ。
呆れ笑いの姉とは別に、後ろからくすくす笑いが聞こえて振り返った。やはり犯人はこの背後霊だった。
「子供みたいですねえ」
片眉を上げてひと睨みしてから、再び夜景に視線を戻した。
せっかくの展望台なんだからここを楽しまないと。
それから私たちは更にエレベーターで上の階に昇り、またそのフロアを一周して夜景を充分に楽しんだ。
知っている建物を見つけたり、有名な観光地を探したり。ここから見える夏の花火大会はすごそう、と二人で想像したりもした。
時間にして小一時間くらいだろうか。最後の場所なのだろう少し広いフロアまでたどり着いた。歩き疲れたのでとりあえず座れそうなスペースに腰かける。
イスともソファーとも言い難い妙な造形だったけれど、座り心地は悪くない。窓際に設置されているので、休憩しながら景色も堪能できる。
「ごめん奈々、ちょっとお手洗い」
「うん」
少し離れるとすぐ姉は人混みに紛れて見えなくなった。ここから動かない方がいいな。
私は窓に目を移してぼんやりと外の景色を眺めた。
イルミネーションのように見える高層ビルの光たちも、実際はそこに人がいて通常通りの仕事やら生活やらをしているのだろう。よくよく考えると不思議に思えた。
「高いところから見ると、それだけで幻想的になるんですね」
「天国もこんな感じかもね」
「いいんですよ、僕は」
ユウの腕が私の体にからみついてきた。後ろから抱きしめられて、耳元で囁かれる。けれどやはり感覚はない。平気でいられるのはそのせいなんだろう。
これが生身の人間で、体温も感触もあって、そしてこんな雰囲気の中ならどうだっただろう。見事に周りはカップルだらけだし、雰囲気に流されてドキドキしてしまったかもしれない。
「僕にとっては、貴女の隣が天国です」
「うわあ」
歯が浮くような台詞にちょっと引いた。いやだいぶ引いた。周りに聞こえていなくて本当に良かった。
しかしユウはお構いなしに私の頬を撫でながら、上から私の顔を覗き込んでくる。
私も少し顔を上に向けると、ばっちりと目があってしまった。
「好きですよ奈々子さん」
「……」
「今度は二人きりで来たいですねえ」
返事はしなくても別段気にはしていないようだ。ユウは一人で勝手にニヤニヤしている。
私はなぜか目が反らせなくて、なすがままになっている。
ユウの半透明の体の向こうに広がる夜景の光は、どこまでも明るく美しく輝いている。その不自然さと綺麗さに何となく見惚れてしまっていたのだった。
別に、ユウにではない。断じて。
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