第16話 慰労
姉・優子の一人暮らしする家は都会の近く、いわゆるベッドタウンと呼ばれる場所にある。
なので半田舎の私の家の周辺とは違って、車より電車の方が便利だ。そういうわけで私たちは電車に乗って姉の家へと向かった。
「お義姉さんは都内に勤めているんですか?」
「まあね。私と違って華やかなオフィスレディだよ」
「へえ」
ユウは興味があるのか無いのか分からない反応を示した。まあ多分無いのだろう。私のおふざけも無効だった。
駅を降りてすぐにその建物は見えた。入り口のセキュリティを抜けて姉の部屋を目指す。
3階の角の部屋のインターホンを押すと、すぐに姉がぐしゃぐしゃの顔で出迎えてくれた。
「遅いよバッカあああ」
「もうどうしたの」
姉は引きずるようにして私を無理やり家に招き入れる。引っ張る力が強すぎて服が伸びそうだ。
「こ、これは……?」
そしてリビングに通されて、私は唖然とした。
いつもはきれいに片付けられている部屋が、脱ぎ捨てた服やその他もろもろお見せできないもので雑然としていたのだ。これには私も驚きを隠せず、変な声が出てしまった。
「奈々ああ……」
よく見ると涙はすでに枯れていて、泣き腫らしたまぶたが真っ赤になっていた。
見た感じ化粧も落としてないかもしれない。ということは昨夜からずっとこんな調子だったのかなあ。
なんだか、予想できた。
「お姉ちゃん、もしかして彼氏……」
「うわあああ!」
どうやら大正解だったようで姉は床に崩れ落ちてしまった。やってしまった。もう少しオブラートに包めば良かった。
それから励まし、なだめるのに数十分。落ち着かせて風呂に入らせ、姉が髪を乾かす頃にはすっかり外の窓はオレンジと紺の二色のコントラストを彩っていた。
そしてメイクをし直しながら、姉は止まらないグチをこぼし続けた。もう悲しみは越して恨みに変わっているようだった。
「意味分かんない信じらんない」
「そうだねえ」
でもその方がいい。悲しんで傷ついているよりは、知らない他人のせいにして恨み節を唱えていた方が元気になれるものだから。
「だいたいもうあたしには後がないのよ! あたしがいくつだと思ってんのよアホ」
「いやいや、お姉ちゃんはまだまだいけるから」
「もうあたしにはイチから始める気力がないの!」
姉はけっこう前から婚活をしており、今回の人とはうまくいっているようだった。お付き合いも確か長かったはずだ。
まあ、私は顔も覚えていないけれど。
「お姉ちゃんこんな美人なのにねえ」
「んなこと言うのはあんたくらいだけどね」
そうかなあ。妹として
なので幼少期はそれはそれは大変だった。なにせ姉妹が横に並ぶと必ず大人たちは私たちを比べる。まあ、お察しの通りである。
なのにふしぎと姉は男に運も縁もない。変な男に好かれたりする。
……あ、これは現在進行形の私じゃないか。ひどい話だ。
「婚活なんてねえ、就活みたいなもんよ。もうやりたくなかったのに」
「そうだねえ」
「あんたはそもそもやってないじゃないの」
「あっ」
適当に返事をしていた事がバレて、鋭く睨まれた。肩をすくめて笑ってごまかす。
数秒。姉もつられて笑ってくれた。
「ごめんね奈々。ありがとう」
「ううん」
「姉妹愛、いいですねえ」
「!」
おい何を盗み聞きしてる。バッと振り返り睨み付けると悪びれもせずユウはほほえみを返してきた。
というより今まですっかりユウの存在を忘れていた。完全に空気だったな。
「後ろになにかあんの?」
「あっいや何でもない」
「へえ……?」
姉は符に落ちていないみたいだったが、興味をなくしたようですぐに話題が変わった。あぶないあぶない。
「そういや、啓太のヤロウがウチに来やがったんだけど」
「うん?」
「思うのよ。あたしたちの幸せは全部あいつが吸い取ってる! 絶対に!」
「あたしたち……?」
「僕たちは幸せいっぱいですよねえ?」
お前は黙っていなさい。話がこじれる。
ユウの言葉はもちろん無視して話を進めた。どうやらあの出来た弟は私だけでなく姉のことも心配してちょくちょく顔を出すらしい。まあ、逆効果にしかなっていない気もするけど。
「啓太はいい奴だから」
「欠点が無いのがっ、むしろ腹立つ!」
「欠点かあ……確かに無いよね」
弟は両親がやっと望んだ男児だったせいかものすごく大切に育てられてきた。そして優秀で顔も良いので周囲からももてはやされてきた。
そんなイージーな環境でなぜか性格もまっすぐに育ってしまったので、まさに完全無欠の少女漫画の王子タイプである。つらい。
「僕、あの男がなぜ好きになれないのか分かった気がします」
ええ、まあそうだろうね。啓太とは正反対のイカレ人間だからね君は。
と、心の中で笑っておいた。
「そういやさ、啓太がずいぶん心配してたけど。あんたが元気そうで良かったわ」
「ああ、大丈夫大丈夫」
心配、と言われて先週末に啓太が家を訪れたときのことを思い出した。あの時は確かに死にそうな精神状態だったけど、今は正直そうでもない。
人の慣れとは恐ろしいものだ。何一つ現状は良くなっていないのに、恐怖や不安はあまり感じなくなってきた。
……いや、忘れた頃に奴が恐怖を思い出させてくれるのだけれど。実に嫌な奴だ。
「でもあんたの家さ、電波悪すぎじゃない? さっきの電話のノイズひどかったよ」
「あ、あはは……」
しばらく談笑をして姉も落ち着いて来たので、私はやっと本題に入ることにする。
「ねえお姉ちゃん」
「なあに」
「私を何に誘ったの? 夜景って言ってたけど」
「ああ! 忘れてた!」
当の本人はすっかり忘れていたようで、「夜景」という単語で弾かれたように飛び上がった。シュババババ! と効果音が出そうなほど激しい身支度をしたあと、最後に小さなバッグをむんずと掴み上げた。
そしてまだ座ったままの私を見下ろすと、クイッと親指を後ろに指差して「行くぞ」のポーズをして見せる。
おお、男らしい。
「奈々、急いで今から出掛けるよ!」
「えっ」
「ずっと前から夜景を見ようって約束してたのにさあ、別れたけど予約もったいないから!」
「えええ……」
「あの夜景、三千円以上するんだから! 行くよ奈々!」
「わ、分かったから引っ張らないでよ」
腕を引っ張られながら外へと向かう姉をやんわりと離し、私も姉に続いて玄関で靴を履く。
「夜景も貴女と二人きりならもっと良かったんですけどねえ」
「はいはい」
なんだかんだユウも飽きずに私たちについてくるようだ。奴は靴を履き立ち上がった私の体を、ぬるりとまとわりつくように抱きしめた。私は軽口を流しながらユウの方を見上げる。
「傷心旅行ってとこかな」
「ですね」
「急いで奈々!」
「わ、ごめんごめん」
高速で手招きする姉に謝りながら、私も駆け足で玄関を後にした。
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