第12話 甘言


 車を少し走らせたところに目当ての自然公園はある。住宅が並ぶ景色の中で不釣り合いなほど広い場所なので、ここをオアシスと呼ぶ人もいるらしい。

 春には花見客で押し寄せるが、今の時期は閑散かんさんとしているようだ。休日でもあまり人はいなかった。


 駐車場の適当な場所に車を止めて、外の空気を吸う。自然公園というだけあって、ここの空気は他の場所より澄んでいる。


「へえ、こんな場所があったんですねえ」


 ユウは初めての場所だったらしい。と、いうことは無駄足だったかもしれない。

 でもこのまま帰るのももったいないので、とりあえずその辺を一周することにした。涼しい風がゆるく吹いている。


「ここにあるのは桜の木ですか」

「桃もあるよ」

「また春にもう一度来たいですねえ」

「……まだ半年近くあるけど」


 まさか桜の花が咲くまで私に憑りついてる気でいるのだろうか。やめてくれ想像もしたくない。

 でもこのままずっと、こんな感じで暮らしていたらそういうことになってしまう。だらだらしてはいられないと思った。


 なにより、私はだんだんユウのことを他人だと思えなくなってきている。隣人とか、友人みたいな感覚になってしまっているのだ。

 もうそんな状態なのに、これ以上長い間一緒にいたら本当に情に流されてしまいそうだった。


「お花見やイルミネーション、基本のデートスポットじゃないですか」

「まあ、そうだね」


 幽霊じゃなくて、生身の人間に言い寄られたいものだなあ。

 遠い目になりながら、まだ枯れ木のような桜をぼんやりと見つめた。よく見ると小さなつぼみがある。彼らが自慢げに咲き誇るのはまだまだ先だ。


 この公園はちょっといびつな楕円形になっていて、私が今歩いている外周の散歩コースに桜などの木が並んでいる。

 中心はイベントスペースになっていて、花見の時期はステージや出店で賑わう。でも現在はただの原っぱだった。


 原っぱには数グループの親子連れが駆け回って遊んでいた。


「意外に人はいるもんだなあ」

「小さい子には良い場所かもしれませんね」


 遠くからでも笑い声がよく聞こえる。ボール遊びをしていたり、おいかけっこをしていたり。

 思わず足を止めてその様子を眺めた。


「ちっちゃいな……」


 だからどうした、というような感想しか出てこない。ただ、なんとなく、


「遠くから小さい子をずっと見つめてる知らない大人……不審者ですねえ」

「うるさいな」


 虚しかった。

 ユウに力のない暴言を吐いて、また歩き出した。


 あの小さな子供の親はどう見ても私と同年代だ。私がだらだらと家と職場を行き来していた間に、彼らは出会い、結婚し、子供まで授かっているのだ。

 私は特に間違ったことはしてないけど。それでもこの事実は虚しかった。


 風が冷たい。天気予報は外れて空はどんよりくもり空だ。ちくしょう。


「どうしました?」

「なんでもないよ」

「ずっと無言でしたよ」


 無心で歩いている内に、いつの間にか散歩コースを一周してしまったようだ。時計を見ると十時過ぎた辺りだ。まだ一日は始まったばかりなのに、私の人生は終わったかのような感じだ。


 普段とは違う場所に足を運んだら、思わぬダメージを受けてしまった。


「なんか、見てはいけないものを見てしまった気がする」

「ああ、なるほど」

「分かるの?」


 嫌みったらしく言ったのに、ユウはどこまでも爽やかな笑顔で「もちろん」と答えた。

 だてに日がな一日私を観察しているだけはある。たぶん私の考えとユウの予想は合っているのだろう。

 そして、ユウは私の想像を超える提案をするのだ。


「いつ死んでも構わないですよ、奈々子さん」


 僕と一緒になりましょう。

 ユウは心底楽しそうな笑顔で、呪いのような言葉を吐いた。ちょっと目眩がした。


「そういう展開に持っていくかあ」

「隙あらば、ふふ」

「まあ、それは遠慮しとくよ」

「賢明ですね」


 穏やかに、しかし残念そうにユウは微笑んだ。

 彼は酷いのか優しいのか分からない。自分本意な言葉ばかりを吐いているようにみえて、私のことを一番に気遣ってくれているような気がする。ただの考えすぎかな。

 ユウは私の心が手に取るように分かる(らしい)が、私はユウが何を考えているのか分からない。柔らかい言葉遣いの裏に、危険な嗜好がちらちらしている。


「意外と繊細なんですね」

「意外と、って」

「もっと自由に生きているのかと思いましたが」

「たまにね。考えて、そして考えたことを後悔するときがあるの」

「……そうですか」


 私は再び車に乗り込んだ。


「次はどちらへ?」

「買い物。冷蔵庫に何もないからね」


 まだ時間も早いし、気分転換に少し手の込んだ料理でも作ろう。休日くらいしかちゃんとした料理しないし。

 平日はめんどうなので食材をただ鍋に突っ込んだり、炒めたりするだけの男の料理だから。


「ねえ、奈々子さん」


 エンジンをかけようとする私の右手に、ユウの手が重なってきた。


「うわっ!」


 普通なら狭くてそんなことできない。幽霊だからこそなせる技だ。そして色々なものをすり抜けて、ユウは運転席に座る私に股がってきた。

 思わずのけぞる。運転席のシートがミシ、と軋んだ。


 彼の唇は弧を描いているが、その瞳は寒気がすらほど妖しく光っていた。ギラギラとしていて笑っていない。

 その目がだんだん細められていく。まるで獲物の照準を定めているかのようだった。


「な……なに」

「ふふ、怖がらないで下さい」


 低くゆったりとした声が響く。

 この声は、私を脅すときの、声。

 思わず悲鳴のような声が漏れた。構わずユウは続ける。


「だいじょうぶですよ。貴女には僕がいますから」


 今度の声は、さっきのような冗談ではない。軽口でかわせそうもない。

 ……ユウは本気だったのだ。「死んでほしい」という言葉は。


 ひとりでにエンジンが鳴った。私は動かしていない。犯人は一人しかいない。


「や、やめ……」

「ん?」


 聞こえない、とでも言いたげにユウの顔が近づいてきた。キスしそうな距離なのに、ロマンの欠片もない。

 恐怖で歪む私の表情をたのしそうに観察している。


 こいつ、生前は犯罪者だ。絶対そうだ。


「貴女は僕を見ていれば良いですよ。僕がアクセルを思いきり踏んだら、もう貴女は何も悩まなくていいんです」


 そんなことを言いたかったわけじゃない。死にたくない!


「辛そうな貴女を見るのは苦しいです。楽にしてあげますよ」


 嘘だ。私をユウと同じ幽霊にしてよろしくやりたいだけに決まってる。

 私を気遣うフリをして、自分の望みを叶えたいだけだ!


 頭の中でさんざん罵詈雑言をわめき散らすも、口から何も出てこない。

 ユウの瞳は私をとらえて離さない。見えない鎖で雁字搦がんじがらめに拘束されているような気持ちだ。

 今にも頭から食われてしまいそうなほどの狂気に、恐怖で舌が固まって動かない。


 やがて耐えきれず、目から涙がこぼれ落ちた。


「……奈々子さん」


 するとさっきまでの事が嘘のように殺気は消えて、ユウは寂しそうに眉を下げた。


「嫌われたくないはずなのに。難しいですね」


 ユウは私の顔に手を伸ばして、涙を拭おうとする。けれど、ただすり抜けるだけだった。


「物は動かせるのに、貴女にはどうやっても触れない」


 ユウは大人しく定位置である助手席に収まった。が、私の心臓の音は、けたたましく鳴り続けるエンジンの音とリンクしたかのように暴れ続けていた。

 助かった。


 今日はユウに弱音を吐いたら大変なことになる、ということを身をもって知った日だった。

 私は長く深いため息をついた。


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