第2章 感覚が麻痺してはいけない
散策・これはデートじゃないので
第10話 金曜
金曜日。ユウが憑りついていることを除けば、今週も何事もなく平和に過ぎていった。
週末はどうしようかな。私は昼休みの残り時間を仕事場である分析室で過ごしていた。いつもこの時間は誰もいなくて静かなのでのびのびと過ごせるのだ。
とりあえずケータイを取り出して検索サイトを開く。
「何を検索してるんですか?」
「はっ」
人は驚きすぎると声が出なくなるらしい。ユウに背後から急に声をかけられて心臓が跳ね上がった。「徐霊 方法」の文字を急いで削除する。
「ああ、ほら。前に言ったじゃない、ユウの記憶探しをするって」
「へえ、徐霊ですか」
「ぐう」
ほんの一瞬の出来心だったのだけど見られてしまったらしい。話を反らせなかった私は思わずくぐもった声を漏らした。
「御札でも、霊媒師でも、寺や神社でも。頼もしいですねえ……頼れるのなら、ですが」
ユウの声がいつもより低くゆっくりになり、辺りに冷たい空気が流れ始めた。ユウの顔を見れない。私はうつむいて机と至近距離でにらめっこをしていた。視界の端でユウが私の顔を覗き込むのが見えて、目を合わせないようにする。
顔を上げたら殺されるかもしれない。比喩じゃなく。
「じょ、冗談だよ」
「その気になったら金縛りで貴女を一歩も動けなくさせることもできるんですよ。家に縛り付けてあげましょうか」
「ゆるしてください」
「貴女の口を封じることも、もう少し頑張れば洗脳もできるかも」
万事休す。数秒前の自分に忠告してやりたい。自分の寿命を削ることになるぞ、と。
しばらくして、呆れたようなため息が聞こえた。部屋の冷気も弱まった気がする。
「とにかく、分かってもらえたようなので安心しました」
「はい」
「縛って操ってしまうのも良いですが、僕はありのままの貴女を知って、見ていたいのですよ」
「さいですか」
「逃がさない。僕とずっと一緒ですよ、ね?」
「うん」
最後の返事は、絶望のあまり白目を向いてしまった気がする。それでもユウの嬉しそうに笑う声が聞こえた。
……私の渾身の変顔だぞ。お願いだから引いてくれ。
どうしたらユウの千年の恋は冷めてくれるのだろう。助けてほしい。
「あ、話は戻りますが。どこか週末はお出かけするんですか?」
「ああ、うん。そうだったね……」
もう思考回路がパンクしそうなほどの精神攻撃を受けたので、本当はこのまま昼休みを終えて仕事に戻りたかった。
しかし悲しいことにまだ昼休みは終わらない。昼休みが終わらなくて悲しいなんておかしな話だなあ。
せめて同僚が戻ってくれば良いのだけど、あの二人は私と違って社交性が抜群に良い。きっと他の部署の人間と会話に花を咲かせているだろう。
いつも時間ギリギリにならないと帰ってこないのだ。
アーメン。
「どうしたんですか、遠い目をして」
「頭の中で話が反れてしまった」
「へえ……で、どこに行きたいんです?」
「あのねえ」
自分の記憶探しをするのに、どこに行きたいか聞く奴があるか。ここで初めて顔を上げてユウの顔を見上げた。ジト目で訴える。
ユウは私の訴えが理解できないらしく、無垢な笑顔ではてなマークを頭に掲げていた。自分がおかしなことを言っていることに気がつかないらしい。
とてもじゃないが、少し前に私を脅した相手とは思えなかった。それくらい眩しい笑顔だった。
「それはユウが決める事だよ。なにか引っかかる場所とか、単語とかないの?」
「引っかかる……」
「住んでた場所とか、仕事とか、家族……いろいろあるでしょ」
「いろいろ、ですか……」
いろいろ、いろいろ、と何度もユウは呟く。私はちょっと期待して答えを待つけど、どうも様子がおかしいことに何度目かの「いろいろ」で気付いてハッとする。
焦点の合わない目は何を捉えているのか分からない。至極つまらなそうな無表情に背筋が凍った。
これはユウの良くも悪くもある所だ。感情の起伏が激しいところ。
素直に喜び子供みたいに笑った直後にこんな顔をされると、表情の落差で恐怖が倍増する。顔が無駄に整っているせいもあるけど。
とにかく、ユウの一挙一動に怯えてしまいそうになるのは嫌だ。そんなことでは余計に良いように誘導されてしまいそうだから。
なので私は身震いしそうになるのをぐっとこらえた。
「思い浮かびませんねえ」
「……本当に?」
「ええ、まあ。どうだっていいですし」
ユウはどうでもいいかもれないけど、私はよくないのだよ。君が成仏する手掛かりがあるかもしれないじゃないか。
……そんなことを言ったら、また堂々めぐりになってしまう。もう脅されるのは勘弁願いたい。私は何も言わなかった。
「どうしました? なにか言いたそうですね」
「べ、別に……」
「へえ?」
ユウは疑いの目をやめないが、私もとぼけ続けた。目を反らして口を尖らせる。我ながらアホなとぼけ方だ。
「面白い顔」
やがてユウが根負けしてクスクス笑いだした。
「それより貴女が行きたい場所を知りたいです」
「行きたい場所、かあ……」
まあ、色んな場所を巡れば何か思い出すかもしれないし。これ以上追及するのは危険なのでやめておこう。
それにしても私が行きたい場所、かあ。
「ほら、よく遊びに行く場所は?」
「家と会社の往復しかしてない……」
改めて口に出すと虚しい。平日は家と会社の往復。休日はほとんど家で、必要なら近所に買い物に行くくらいだ。
「……悲しい人生ですねえ」
「まさか幽霊に
やれやれと両手上げて首を振りながら、ユウが私の背後に回る。なんだよと思って振り返ると、そのまま背中を包み込むように首に腕を回された。後ろから抱きしめられたのだった。
「ひっ」
振り返った私の顔と、覗き込むユウの顔がぶつかりそうなほど近い。慌てて前に向き直った。
感触や質量はないけれど、背中が不自然にひんやりする。
「僕が、一緒にいますから」
「……」
これは、慰められているのだろうか。余計なお世話である。
金縛りでもないのに、体に力が入って動けない。
「緊張しているんですか? 体がこわばってますよ。
幽霊の腕が首に巻き付いている人間の気持ちになってほしい。そうしたら、そんな脳内お花畑な答えを想像することなどできないはずだ。
もちろんユウは分からないので、自分の良いように解釈してクスクス笑っている。
「あは、かわいいですよ」
耳に口を付けているのだろうか。ゼロ距離で声が聞こえる。恐ろしくて確かめることはできないけど。
ガチャ。
その時勢いよく分析室のドアが開き、先輩が入ってきた。助かった。
「あら、市瀬さん一人?」
「はい」
先輩は首を傾げる。私もよく分からず首を傾げた。
「てっきり結城さんが先に戻ってきたんだと……」
「いえ」
「じゃ一人でしゃべってたの?」
あっ! しまったと思った矢先にユウが「で・ん・わ」と囁いた。なるほど。
でも先輩に聞こえるはずもないのに小声でいかがわしく囁いたのはなぜだ。まあいいか。私は手に持っていたケータイを振りかざして笑った。
「電話してたんですよ」
「ああ、そうだったの」
ほっ、と胸を撫で下ろす。どうやら上手くごまかせたようだ。
……これからは気を付けよう。
「あーあ、ジャマされてしまいましたねえ」
助け船のまちがいです。
そしてユウは名残惜しそうにゆっくりと私から腕を離した。
さて、仕事がんばるか。
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