第9話 反省
家に到着するやいなやユウはリビングの真ん中に仁王立ちして両手を広げた。まるでどこぞの漫画の主人公ばりの仕草である。
それに合わせて部屋中の家具が物音を立てた。
「ひっ」
「掃除、洗濯、お風呂は任せてください!」
「わあああ!」
張りきりすぎて家中の色んな物が飛び交い、空中で漂う。ぺしん! とそこら辺に転がしていたボールペンが頬に直撃した。
「いたい」
「あ、すみません。お風呂が沸くまでゆっくりしててください」
「うーん……シャワーだけでいいや。すぐ入りたいし」
「そうですか?」
このままじっと待っていても落ち着かない。私はお湯のスイッチだけ入れてシャワーを浴びることにした。
ユウの後ろでは掃除機がひとりでに動いていた。よそ見してても動かせるらしい。まるで透明人間が掃除機をかけているようだ。
「じゃあ、ちょっと入ってくるね」
「……あっ」
あっ、ってなんだ。明らかによからぬことを思い付いた声を出したぞ。
私は気にしないようにしてリビングを出た。
脱衣場のドアを締めて、しっかりカギまでかけた。
……それにしてもこの部屋は水回りのものが一部屋に集結しているせいか狭い。トイレと風呂が別なのが救いだけど、脱衣場に洗濯機と洗面所が押し込まれているので狭い。非常に狭い。
必要最低限、といったところだろうか。まあ、あまりグチグチ言っても仕方ないな。家賃が家賃だし。
さっさと入ってさっぱりしてしまおう。シャツを脱いで、下着に手をかけた。
その時だった。
「失礼しますね!」
「ぎゃあ!!」
あろうことかユウがドアをすり抜けて来やがった。当然のように堂々と脱衣場に乱入してくる。
しまった! ドアのカギをかけただけで安心してしまった。こいつには意味がない!
「なっ、ばっか! なんで!」
「いやあ……奈々子さんが脱いだらすぐに洗濯機にかけてしまおうと思いまして」
「いらんわ!」
オブラートに包まないありのままの暴言を吐きながらしゃがみこむ。その間にもユウはこちらに詰めよってきた。
やめてくれ、上半身はほぼ脱いでしまっているのに。
「ほら、ここはアパートなんですし、あまり叫ばないほうが良いですよ」
「そっちのせい……」
なんで私がたしなめられているんだ? 意味が分からない。その間もユウは私の体を穴が空くほど観察している。
どうにもできないこの状況で、勝ち誇ったように見下ろされていた。腹立つ。
「このままじゃあ寒いでしょう。早く下も脱いじゃってください」
返事はしないでただ睨み付ける。痛くも痒くもないようだ。
心なしか、ユウの息が荒くなってるような、そうでないような。泣きたい。
「あは、幽霊の姿なのが惜しいですねえ。いや、この姿だから得なのでしょうか」
そうなのだ。ユウが私に干渉できないのと同じように、私もユウに干渉できないのだ。だから張り倒して追い出すこともできない。
……もし、ポルターガイストが上達して大きな物や私も動かせるようになったら?
今は考えないでおこう。これ以上絶望したくない。
「あのさあ」
「なんです?」
「普通に考えて、お風呂出たあとのバスタオルも入れて洗濯したほうがよくない?」
なんとかして納得させて追い出したい。その一心で絞り出した提案だった。しかし数秒で後悔することになる。
ユウは少し驚いた顔で沈黙したあと、嬉しそうに頷いた。
「それもそうですね! また来ます!」
「来るな!!」
私を怒らせてとても満足したようだ。ユウはとても軽やかな動きで去っていった。
そう、そして律儀にも私がシャワーを浴びて浴室を出た瞬間にまたドアから飛び出してきたのである。許すまじ。
***
「奈々子さん、何も食べないのですか」
「……」
その後、部屋着に着替えたあと私はずっと考えていた。議題はユウの乱入対策。
どっと疲れが出てしまって、今から料理する気になれないなあ。どうやらユウはポルターガイストで火を扱うのは怖いらしい。私も怖い。やめてくれてよかった。
食事はしょうがない、あとでレトルトだな。
……閑話休題。
さっきの乱入は、ユウにとってただの
こんなことが毎日続くのは耐えられない。
「奈々子さん? 聞いてます?」
幽霊には塩が効くらしいけど、脱衣場に盛り塩でもすれば寄ってこれないのだろうか。あ、でも湿気そうでいやだなあ。
あとスーパーの塩じゃ駄目だろうな。清めた塩って売ってるの見たことないけど。
「あの……怒ってます?」
大いに怒ってます。
あ、売ってるといえば
「えっと……すみませんでした」
そうだね、反省してください。めんどくさいので声には出さないし、微動だにしなかった。
御神酒って小皿に盛ればいいのかな、ひっくり返した時が悲惨だなあ。
「奈々子さん、聞こえてます……よね?」
いっそのことお
ちなみにこの時点まで私は眉ひとつ動かしてない。真顔で考えごとをしていた。
「奈々子さん! ねえ!」
「無視しないでくださいよ。意地悪ですねえ」
「あれ? 本当に僕の声が聞こえてない?」
「反省してますから、ねえ」
しばらくそうしてくれたまえ。私はこのまま無視を決め込むことにした。もう甘やかさないぞ、これでちょっとは
私は立ち上がって、キッチンで物色を始める。そのまま食べられるものないかなあ、
「僕を見てくれない……」
まだぶつぶつ言っているので、私はユウを思いきり睨み付けた。それでも嬉しかったのか、ユウは安堵の息をもらす。
「なんだ、やっぱり見えてるじゃ、」
「怒ってるから、ずっと無視しとく。話しかけないで」
「えっ」
「もう何もしなくていいから」
ユウの言葉を遮るようにして言葉を吐き捨てたあと、私はまたキッチンの戸棚に目を移した。少なくとも今はもう会話をするつもりはない。
私がどのくらい怒っているのか示さなければ、今後どうなることか。毎晩恒例になることだけは嫌だ。
「えっ、ちょっと待ってください」
「……」
しばらく「ねえ」とか「あの」とか聞こえてきたが、変わらずに無視をする。昼は無視をするのが大変だったが、怒りに任せると何でもないことだった。
会話をしたくない、という意志が大事なのだ。
やがてユウは大人しくなり、すすり泣いているような音が聞こえた。
ユウは普通の成人男性に比べて感情の起伏が激しいと思う。喜怒哀楽をこんなにハッキリと表現されると、なんだか憎めないような、許してしまいたくなるような気持ちになる。
まるで小さな子供を相手にしているようだ。
……いや、小さな子供はあんな凶悪な欲望は持ち合わせていないか。言い過ぎた。
とりあえず、ちょっと早いが許してあげよう。口を開きかけたその時だった。
カタカタカタカタカタカタカタカタ……
部屋の小物が小刻みに動いて物音を立て始めたのだ。中には床に転がり落ちるものもある。
ユウはうずくまって両手で顔を隠したままぶつぶつとなにかを呟いている。少し近寄って耳を澄ますがポルターガイストでよく聞こえなかった。
「分かったよ。顔上げて、ユウ」
ピタッ
顔を上げはしなかったけれどポルターガイストは止まった。静かになった部屋の中で、ユウの息を深く吐く震えた音が響いた。
「嫌なものは嫌だったから。もうしないでね」
なあなあにならない内に釘を指す。約束してくれるなら、もうこの争いもやめてあげようと思う。
人を怒り続けていると疲れるものだ。
「……調子に乗りました。すみません」
意外と素直じゃないか。短時間だったけど、無視がだいぶ効いたらしい。
そして「もうやらない」と誓って深く反省してくれたので私はようやく安心する。これで気兼ねなくお風呂に入れる。
「貴女に嫌われてしまったら、僕には何も残らなくなってしまうんでした」
「おおげさな」
「本当ですよ」
そんなバカな、と思ったけど。
ユウが見える人間は今のところ私だけだった。ユウにとって、私が無視をするというのは思ったより大事件だったのかもしれない。
「前に貴女に嫌われても構わないと言いましたが、やっぱりそれは撤回します」
ユウが楽しそうに部屋を飛びながら笑う。それにつられて私も苦笑した。
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