メロディアス【お題:そこです】

 音につられて、足を止めた。特別教室が並んだしずかな廊下で、たった一箇所だけが優しい音色をこぼしている。少しだけ戸を引くと、人は大きなグランドピアノに隠れてしまって見えないけれど、私は思わず息を止めてカメラを構えた。

 この感情をなんて呼ぶべきなのだろう。不思議な音だ、そして私はカメラには写らないうつくしい振動に向けてシャッターを切る。すると、ぴたりと音が止んで、ピアノの奥で誰かが立ち上がった。

「こんにちは」

 窓から射し込むあたたかな陽光が、彼の猫っ毛を茶色く染める。眠たげな目が笑うと細くなって、長いまつ毛に陽が差し込み影を落とす。絵でも見ているみたいだ。彼が首を傾げているが、それもやけに現実味がない。

 にこりと微笑んだ彼はうつくしく、窓の外の桜がよく似合う。どうにか口を動かそうとしたが、言葉はなにも浮かばなかった。

「きみは、写真部?」

 しずかな声に問われ、首を横に振る。小さな頃から握っていた、古いカメラに視線を落とす。カメラと彼を交互に見ていたら、彼はやっぱり微笑んだままで、ピアノをそっと撫でた。

「おれもね、ただの趣味」

 こんなうつくしい音を奏でるのは、なんのためだろう。私はまだうるさく鳴る胸を押さえ、一歩踏み出した。

「あの」

「ん?」

「また、写真を撮ってもいいですか」

 彼はそっとうなずいて、またピアノの向こう側に消えた。私は近くの椅子に腰掛けて、彼の音を聴いていた。

 ふたりだけの空間は、居心地がいい。まだだれも知らないこの空間に、胸が高鳴る。

 彼の音に導かれたのだ。そして私は、きっとこの場所が大切になる。そんな予感に口元が緩んでしまう。それを隠すかのようにカメラを構えたら、ピアノの音にシャッターの音が重なった。

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