ひとりの食卓【お題:カラフル】
ずっと前、恋人を捨ててカメラと身体だけで旅に出かけた。彼女に手紙を出したのは、たしか一年目の冬で、そのときはヨーロッパの小国で城に向けてシャッターを切っていた。シャッターを切り続けて数年、僕は次第に色が見えなくなった。自分が撮っている景色がほんとうにきれいなのか、さっぱりわからなくなっていたのだ。
海がきれいと聞いてオーストラリアに飛んでいったのも、オーロラを撮りにフィンランドへ渡ったのも、どれも無駄足で、桜の名所を撮りに日本へ戻ったとき、僕はついに三脚をどこかの国に置いてきてしまった。海は灰色ににごり、オーロラは夜空と区別がつかず、桜は白いもやだった。僕は海外で写真を撮ることをやめた。うつくしくないものを撮っても、意味がなかった。
いっそ写真を捨ててしまおうと思い、僕はアルバムを取り出した。白いもやの写真を一枚手に取り、火をつける。ぱちぱちと音を立てて写真は消えてゆくのに、赤い炎はよく見えない。シンクに置いて水をかけると、焼ける音と一緒にこげたにおいもなくなった。僕にはためらいなどなかった。あんなに志していた夢も、どうでもよくなった。写真もカメラも、僕の一部ではなくなった。
アルバムを取ろうと手を伸ばしたが、うまくつかむことができず写真が隙間からこぼれ落ちた。
駐車場のアスファルトの隙間で咲いた黄色いタンポポ、部屋から見える真っ赤な夕焼け空、水族館の青い水槽、夏にふたりで行った沖縄の自然の緑、それから――。僕は思わずアルバムを落っことしてしまった。ずっと昔、彼女と見ていた景色はこんなにも色にあふれていた。
――もしも死ぬのなら、朝がいいなあ。
彼女に向かって、そんなことを言ったのを覚えている。彼女がつくった朝ごはんをふたりで食べて、清らかなまま死ぬことができるなら、しあわせだと思った。僕は自ら、そのしあわせを手放してしまったのだ。
カラフルな床に視線を落としたら、小さな涙の粒が落ちた。
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