婚約前夜【お題:自殺】
おいしい、の定義ってわからない。高いパンを買って、料理の上手な彼氏に卵を焼かせて、新鮮なトマトとレタスと、昔から好きなハムを挟んで、サンドイッチをつくる。でもそれは、どうしたって高校生のときに食べたサンドイッチみたいにおいしくならない。
「どんな味だったの?」
今日もその味を再現できなかった彼氏は、フライパンに洗剤をつけながら少しだけ笑った。
「食べた状況とかかなあ」
彼氏の声は優しい。ただあのときの状況を繰り返すことは一生ないと、私は確信している。
高校生の頃、私はできそこないだった。勉強はしてもしても授業すら理解できなかった。死にたいだなんて大げさなことを思っていたわけじゃないけれど、生きる気力がすり減っていって、もしも私が電車通学なんかしていたら、ふらりと線路に落っこちてしまっていたんじゃないかと思う。
ある夏の日、私はベッドから起き上がることができなかった。夏休みもいよいよ終わりだというときだった。進みたい学校もわからず、だからといって就職を選ぶ勇気も、専門学校へ進む勇気もなかった。中途半端に勉強をしてきたから、それを捨てきれなかったのだ。私は親の話も聞き入れず、ただベッドで寝たふりをして、ときどき意味もわからず泣いてみたり、このまま死ぬんだろうなと思い込んで携帯電話に遺書を打ち込んでみたりした。
二十四時間とすこしが経って、怒ってるような泣いているような両親にベッドから引きずり出され、私はラップにくるまれたサンドイッチを食べた。ぱさついた食パンに冷えた具材が挟まっているだけのそれは、私が知る限り世界一おいしい食べ物だった。
あのときの遺書は、今も残っている。私は忘れないだろう。
あれは愛の味だと思った。自殺未遂とも言えない二十四時間余りは、私に愛を思い知らせた。
顔を上げると、彼氏はやっぱりあたたかく微笑んでいた。彼を母に会わせてみたら、また愛の味を食べることができるんだろうか。
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