第25話 古都エイシャ

 『綻び』を抜けると、そこは聞いていた通り霧が立ち込める不思議な空間だった。歩くたびに、頭の中にまでカスミがかかったようになる。まるでこの霧が僕の意識を攫って行くかのように、どんどんと記憶まで曖昧になっていくようだ。

 最初に現れたのは、不思議な階段の部屋だった。ぐるっと巡るように並べられたその段は、いくら昇っても終わりがない。これは昔っからある騙し絵で知っていたので、迷うことなく真ん中の空間に飛び込んでみた。

 するとそこは、茶色い建物が並ぶどこかの街並みだった。

 街並みの中にも霧が深く立ちこめている。僕は仕方なく、壁に手をつきながら進むことにした。街中にある建物はどれも土でできていて、たまにある窓には何かの植物でできた格子がはめこまれている。

 その街を抜けると、今度は山林に迷い込んでいた。

 霧と山林、なんとも言えない取り合わせだなと思いながら、僕はゆっくりと歩を進めていく。ときおりガサガサっと音がする。そうしてどこからかグルグルグルゥっと獣の唸り声が聞こえた。

 僕は少しだけ怯えながら急ぎ足で進むと、今度は高い山の上に出た。峰の左右が切り立っている馬の背と呼びたくなるような場所だ。その峰のわずか数メートル下には、雲海のような霧が漂っていた。

 なんとか峰を通り抜けて、山頂へとたどり着くと、そこに大岩があった。その大岩に、まるでケイサンの巣のような木製の扉が備え付けられている。

 「なんでこんな…。これじゃあまるでケイサンの巣じゃないか。」

 僕はそう言ってその扉に手をかけ、思いっきり引く。扉はあっさりと開いた。


 そこはまさにケイサンの巣の中のようで、中には執務室のような重厚な机と座り心地のよさそうな椅子と、天井まで届く本棚が並ぶ部屋だった。重厚な机の前には、膝の高さのガラス製ローテーブルが置かれている。その両脇には、机と同じ高さの椅子が置かれていた。

 重厚な机の向こう側に座り心地がよさそうな背もたれ付きの椅子が一脚、後ろ向きに置かれている。僕が入ってきたのを察してなのかその椅子がクルリと回ってこちらを向いた。そこに僕の叔父、ケイサンの姿があった。

 「よう、ルミネ。お早いお着きだな。」

 そう言って笑う、全体的に四角い感じ。顎が強そうで笑うとガハハな感じ。ケイサンは、間違いなくあのケイサンだった。

 「叔父さん!大丈夫なんですか?それになんですか、ここは?」

 僕がそう早口で聞くと、ケイサンはゆっくりと椅子から立ち上がってこう答えた。

 「ここはな、ルミネ、イメージすればその通りの場所になる不思議空間だ。」

 …どうやらケイサンはここへ来てちょっとおかしくなっているらしい。けど、それでこそケイサンなので僕はそのまま受け入れることにした。

 「叔父さん、エイシャ見つかりました?」

 「ふふふ…。」

 僕の問いに、ケイサンはそう笑って答えると、ゆっくりと歩きだして僕が入ってきた扉の右側にある、青い扉に向かった。

 「驚くなよルミネ、この扉の先が幻の都、エイシャだ!」

 そう言って扉を開くケイサン。開かれた扉の向こうには、緑眩しい新緑の中に青空と白い雲が浮かんでいる。そしてよく目を凝らすと、その新緑の中に、目に優しいパステル調の色合いに彩られた荘厳な都市が広がっていた。





 僕らはエイシャの街中を歩いていた。辺りは沢山の緑に包まれ、それぞれの建物が大樹に囲まれている。建物自体の規模も大きい。前に見たオリハルトの街はまるで未来都市そのもので、ゴミも埃もないものすごく綺麗な都市だったけど、この街はその先を更に行っているみたいだった。

 足元を見ればその感触は、どう感じとっても土の感触なのだけれど、どれだけ足で引っかいても少しもえぐれたりしない。でも道の脇に立つ建物のすぐ隣には、同じ地面から巨大な木が育っている。

 そうしてその木の枝が連なりあって、横へ横へと伸びながら、自然にできたとは思えない絡まり方で人が数人は歩けそうな歩道が、建物を繋ぐように敷かれている。手すりのようなものまであるのだ。とても自然にそうなったとは思えない造形が、けれど見ているととても自然に見える。

 建物自体も不思議だ。両隣に二本の巨木で支えられながら、その間を石だろうか、あるいは別の何かかもしれないが、橋渡しされた綺麗な壁が丸みを帯びて覆っていた。

 ところどころに穴が開いているのは、窓なんだろうか?ガラスのような透明な板がそこにあるみたいで、時折太陽が反射している。そうした建物が、街の中心に向かってズラッと綺麗に並んでいた。

 更に驚いたのが、道を歩いていると突然に目の前に案内が表示されることだ。何もない空間に突如ボワンと現れる。驚かさないための配慮なのだろうか、ボワンと出る。パッとは出ない、あくまでもボワンとだ。

 そこに、僕には読めない文字が並んでいる。それに合わせてたぶん音声も流れているんだと思うけれど、音だけ聞いているとなんだか音楽を聞いているみたいだ。どちらにしても意味はわからないのだけれど…。

 そうして歩くうちに、ケイサンが話はじめた。

 「ここがエイシャだってわかったのは、今出てきたような案内の中に、ときどき映像が流れるのもあったからなんだ。なにせここへ入り込んでもう一月くらいたったからな、腹が減ってしょっちゅうここへ来て、今から行く場所で飯を食っていたってわけだ。そのたびに同じような映像と音が流れて、そこに文字らしきものが出てたもんだから、なんとなく読み方を覚えちまったってわけさ。」

 「ちょっと待って叔父さん。僕が叔父さんを追いかけてここにきたのは、叔父さんがあの変な連中に捕まってすぐ後のことだよ。それが何でひと月も経っているのさ?」

 僕は不思議に思ってそう聞いてみた。

 「そんなの知らねえよ。たぶんだけどここは他よりも時間が進むのが早いんじゃないか?」

 そんな馬鹿な、時間の経過が早いだなんてどれだけ途方もない話をしはじめたんだ?僕はあらためてケイサンをよく見た。すると、前にあった時よりも確かに髪の毛や髭の状態がひと月分くらい増えてる。

 「そんな、そんな馬鹿な事ってあるんですかね?」

 驚きが過ぎてなんだかおかしな言い方になってしまった。





 「ほらよ、ルミネ。ミラクルバーガーとキイチゴのシェイクに、こっちはフライドオニオンな。」

 僕らはケイサンの案内で、街の一画にある飲食店に着いた。

 「俺のは甘ダレバーガーだ。炭酸水と食うとすげえ美味いぞ。」

 ガハハと笑って、手にしたバーガーにかぶりつくケイサン。

 「ここの食べものって、食べても大丈夫なんですか?」

 「ああん?食いたく無きゃ食うな。」

 「いいえ…いただきます。」

 ミラクルバーガーというのを手にかぶりつくと、味付けはトマトとソースが何かに混ざっているみたいだ。バーガーと言うからハンバーガーを思い浮かべたけど、これはどうやら肉を使っていないらしい。少しだけ緑豆の香りがする。

 「なかなかヘルシーだろ。どうやら動物性のたんぱく質はここでは摂れないらしい。おかげでずいぶんと健康的になったよ。」

 ケイサンがそう言ってまたガハハハハと笑った。


 食事を終えて僕らは、少し街を見て歩くことにした。ケイサンはもう何度もここを探索しつくしているようだが、僕には珍しいものばかりだ。

 「何か見たいものや知りたいものがあれば、適当に声で聞けばわりとなんでも教えてもらえるぞ。」

 そう言ってケイサンは、急に大声を出して言った。

 「この都市の名前を教えてくれ!」

 食事をした店を出てすぐの場所だったが、ケイサンの質問にすぐ目の前に案内が表示された。

 「ト・リヤン・セト・ウリヤ・ンセ、エイシャ」

 文字と一緒に音が出た。その最後に間違いなくエイシャと聞こえた。

 「な、便利だろう。」

 そう言ってドヤ顔のケイサンだが、案内がやっぱり僕には何を言っているのかわからない。でもまあ、いいか。

 「そんなわけだから。そしたらルミネ、お前あれ持って来てるか?」

 言いながらケイサンはズボンのポケットから黄の球を取り出して見せる。

 「道具ですか?ええ、鍵はもちろん、今日はちゃんと緑の書も持って来てます。」

 「えらい!そうしたらルミネ、緑の書を出してここの事を聞いてみろ。」

 ケイサンはどこかワクワクするような顔で僕の手元を見ている。僕は、仕方なく言われた通りに、服の背中に仕込んでおいた緑の書を取り出して、書に尋ねた。

 「この場所の名称と、どんな施設があるのかを教えてください。」

 左手に支えながら、右手を書の真上に置いてそう尋ねると、緑の書がぼんやりと緑色に輝いたように見えた。今までこんな反応を見たことがない。

 「なんだ光ったな。何か新しくしたのか?」

 「してませんよそんなこと。変なことして失うのはもったいないじゃないですか。」

 暫くして、書に出た内容に僕らは驚きが隠せなかった。





 エイシャについて。

 都市名: エイシャ・マンヤ・ウルビアス

 建築年: 竜帝歴13年

 ハバキにて発足した竜人族の都。竜帝エイシャが前史文明のドグマを滅ぼして建国した国家の首都。命素の発見とその行動理論分析により、以後以前の文明とは一線を画すほどの発展をとげる。命素と珪素を用いた都市開発、環境保全、惑星運営と維持に力を注ぎ、オウニからの高い支持を得て十万年という長期間にわたりハバキの主要文明となる。


 竜人族について。

 祖先に恐竜種でもある竜をもつ人型人類種。高度な知能を持ち、受け継がれる経験智を種として共有する。命素に関する知識の多くをオウニより受け継ぎ、ついに死者との対話までを可能にした文明を築く。神界大戦の切欠となった四大精霊を造り出す。





 「オウニって、昔たしか、親父が言ってたとんでもない連中だろう。ってことは、ここはそのオウニの都ってことになるのか?」

 「受け継がれる経験智って…。何世代にも渡って知恵を伝達できたってことなんでしょうか…。」

 叔父であるケイサンと僕は、緑の書に浮かぶ文字を目で追いながら思ったままを口にしていった。

 「竜人か…確かアイリ様がそんな話をしてたな。」

 「高山で、以前に会ったって言っていたあの竜の民ですか?」

 「ああ、確かそんなだった気がするが…。ルミネ、それも緑の書に聞いてみろ。」

 「はい。」

 僕はもう一度右手を書に置いて尋ねてみた。

 「アイオリアの高山にかつて存在した、竜の民について。」

 すると、こんな内容が現れていった。





 黄昏世界の竜の民について。

 エイシャが発見される以前は、恐竜から進化した種と思われていた。しかしエイシャの発見後からは、かつて偉大な文明を築いていた種の末路と認識されるようになる。カムイ=アイリの伝説にも描かれた彼らの最後は壮絶であったと記録されている。種としての認知症、退行により、彼らは最後には互いを食い合い果てた。その後生き残った個体が何体かいるが、種としてはもう絶滅種だとされている。





 「ルミネ、ルミネ!これ、当たりだ、当たり。ほら、竜人族の方に「死者との対話を可能にした」ってある。これだろ?あの銀髪のお嬢ちゃんが探してるのは。」

 「…叔父さん、まだそこ読んでたんですか。高山の竜について出しましたよ。」

 「馬鹿かお前、もう目当ての物だってわかったんだから、そんなのあとあと。」

 そう言ってケイサンは、テーブルに残っていた甘ダレバーガーを一気に食べ終えると、席を立って言った。

 「ほら、行くぞ。その『死者との対話』ってのができる場所を探しに。」

 「えー、まだ食べ終わってないですけど。」

 「そんなのあとあと。ほらほら、お前さん、美人のためなら頑張らな。」

 「…それは、そうですね。」

 思わず僕の脳裏に、あの都市で別れたあのミゼリトさんの顔が浮かんだ。あの、いつも周りに気を使って、それでいてどこか遠くを見ている顔が。

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Ψυχή :: 黄昏 - 1676 Common Era. Mystery @Memen

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