第7話 ハバキの伝承
「何か面白いことがあったそうですね。」
父上は、やはり使い慣れないでいるフォークと格闘しながら、僕を見てそう言う。
「はい。ハリル山の洞窟で銀色の髪の美しい人が倒れていました。奥の方にある地底湖に倒れていたそうです。」
「ほお、カムイ=アイリの泉ですね。そうすると伝説の乙女でしょうか?」
そう言って父上は、フォークから逃れていこうとするパスタを恨めしそうに見ていた。
「父上、その伝説の乙女というのは何でしょう?それに、あの奥の地底湖、そんな名がついていたんですか?」
僕は、フォークで巻いたパスタを、父に見えるように持ち上げた。父はそれを見て、なるほどとうなづく。
「聞いたことはありませんか?ハバキではかなり有名な昔話です。モリトのアイオリア初代国王、カムイとアイリの伝説です。」
「いいえ、そんな伝説は聞いた事がありません。そもそもカムイ王は同朋殺しと伝わっていて、この国ではタブーの扱いになっています。アイリ女王については古い考え方によるものか、市井には名前さえも知らされていなかったはずです。」
「そうなんですか…。僕のいたハバキの国では、カムイ王は七人の英雄を取りまとめる偉大な王として語り伝えられています。アイリ様はそんな英雄たちを慈しむ女神のような扱いです。」
フォークで上手にパスタをソースに絡め、パクっと口に入れながら父上は話をつづけた。
「伝説の乙女というのは、そんなアイリ様の後を継ぎ、銀の鈴を再び呼び起こすことができると信じられている聖なる乙女のことです。心根の清い純粋な方で、我が身を省みず他者を救うとハバキでは教えられています。」
「やはり初耳です。それに銀の鈴は既に失われたと聞きました。世界を滅びへと誘う、魔の道具だとも。確か、カムイ王を討伐したブラド侯爵が、かつて城があった北方の地で封印に成功したと聞いています。」
僕がそう答えると、父上はフォークを置いて、何かを考えるように腕を組んだ。そして、こんなことを話しはじめた。
「ルミネ君は、今何歳になりましたか?」
「え?こ、今年で百八十七になります。」
「そうですか。であれば、もう知ってもいいかもしれませんね。」
「何をですか?」
「ハバキとモリト、それとオウニについての伝承です。」
僕は思わず、手に持ったフォークを落としそうになった。まさにその話こそ、僕が今一番に知りたいと思っていたことだ。おじい様の日記の謎が少しは解明できるかもしれない。そう直感して、父上に言葉に耳を傾けた。
「これは、僕がハバキの国で教わった伝承です。僕の父に教えられました。そして僕の子にしか話してはいけない、その子が二百歳を過ぎるまでは口にしてはならないと言われました。けれどまあ、あと二十年くらいなら大丈夫でしょう。」
そう前置きをして、父上は話を続けていく。
「『たそかれ』と名のついたこの世界について、ルミネ君はどれくらいのことを教わりましたか?」
「えーと…」
そう聞かれて答えに困ってしまった。おじい様の教えは相反する二つ。『オウニが用意してくれた理想郷』と『オウニにより封じられた世界』だ。
「オウニが作った世界だというのは聞いています。」
どちらも言い切れなくて、そう間をとって答えてしまった。すると父上は満足そうに頷いて、こんなことを言った。
「今からで言えば、三千年ほど昔。そのオウニとハバキ、そしてモリトとの間で、千年に及ぶ大きな争いがはじまったそうです。きっかけを作ったのは、ハバキでした。ちょうど地上に五度目の文明が栄えはじめ、数万年が過ぎたころだと言います。」
父上が語った話は、とても壮大だった。
「それよりも前に四度、文明は栄えてきました。もともとハバキはこの星ではなく、空に浮かぶ火星で生まれたと聞いています。そこから何があってこの地球に移り住み、そうしてモリトと出会い、そしてなぜオウニが支配していたのか。それらについてはどれだけ調べても未だに答えが見つからないそうです。」
パスタを食べ終えたお皿に、フォークがカチャンと置かれる。僕もそれに合わせて食べる手を止めた。
「千年の戦争は、今から三千と六百年前、ハバキの一部で反乱がおこり、環境破壊が激しい地上の文明を根こそぎ滅ぼそうとする動きがきっかけでした。これが後の禍根となり、それやがて争いの火種となっていったと聞いています。
オウニにより反乱が鎮圧された後、ハバキの文明は次第に衰退をはじめました。その衰退がオウニの手に寄るものだとハバキの中で噂されるようになり、その噂をモリトも信じてしまったため、やがてハバキとモリトの連合によってオウニに争いを仕掛けたそうです。これが今からだいたい、二千と六百年ほど前のことだそうです。
オウニとの争いはその後千年に及びます。ハバキの国に暮らす人々の間には、この時代を『神々の戦火の時代』と伝えられているそうです。その戦火が収まるのが今よりおおよそで千と八百年ほど前。オウニを追い詰めた道具がモリトの『銀の鈴』だったと伝わっています。
『銀の鈴』により大打撃を受けたオウニは、『シン』と呼ばれる最後の力を使い、ハバキとモリト両方を封じて滅ぼすための『たそかれの世界』を創りだしました。そうしてオウニの『シン』は、その強大な力でハバキとモリトを封じるまでは成功したそうです。その後『シン』は、どこかの大洋に沈む『古きオウニの国』で眠りについたと言われています。
一方、封じられてしまったハバキとモリトは、『たそかれの世界』から抜け出すために様々な手を講じました。ハバキは、アトランティス文明から伝承されてきた数々の技術で。モリトは、レムリア文明を築いた精神と物質の元となる技術というものをもって、対処しようとします。
しかしそれらは一切届かず、そうしている間に同朋がどんどんと世界に飲み込まれていったそうです。他者との共感が互いにできなくなる『たそかれ』という状態に、ハバキもモリトも普通の人民達すらも、次第に飲み込まれていってしまったと伝わっています。
そんなある時、カムイ王が『銀の鈴』に祈りをささげました。そうしてこの世界にかけられた滅びの歯車を、『たそかれ』の状態を止めるために七人の仲間と共に最後の決戦に挑んでいったそうです。ハリル山に開けられた洞窟はその時にカムイ王が穿ったと伝え聞きます。そして『たそかれ』を打ち破るために、七人の同胞が次々にモリトの道具へと姿を変え、滅びの力からカムイ王を守ったとされています。
こうしてついにカムイ王は、『たそかれの世界』にかけられた滅びの呪いを打ち倒しました。しかし受けた傷も数多く、仲間たちも全て倒れ、王は洞窟の奥で力尽きようとしていたと言います。そこにアイリ様が駆け付けます。彼女はモリトに生まれ、ゆくゆくはカムイ様とご結婚されるはずだったお方だと聞いています。アイリ様は洞窟の奥でカムイ王の最後を見届け、その悲しみに耐えきれず自らを大きな湖に変えて、カムイ王の亡骸をその湖底に安置しつづけているそうです。
それが、今から千六百年ほど前のことだとハバキでは伝承されています。
それから百年もしないうちに、湖へと出向く参拝客の口からもうひとつの伝説が語られるようになりました。それこそが、伝説の乙女の話です。いつか再び滅びの力が蘇る時、カムイ王が戦いの中で失った『銀の鈴』を再び呼び起こすものが現れると。それは美しい乙女で、争いを嫌い、他者を愛し、すべてを許す存在であると。
これくらいですかね、僕が知っているのは。ルミネ君も子供ができたら、できればこの話を伝えて欲しいです。」
驚きでしかない。おじい様の日記に書かれていたことが、ハバキでは伝えられてきていた。そしてモリトでは伝わっていない。ということは、そこに何かがある。
「あ、そろそろまた仕事に戻らないといけません。ルミネ君、一緒にご飯をたべてくれてありがとう。」
父上はそう言うと、食器を流しに置いて急ぎ足で家を出ていった。
僕は、食べかけのパスタを一気に流し込むと、もう一度洞窟を見にいこうと決めた。千年以上昔の話なわけだし、今更洞窟の奥の湖を見たところで何かが見つかるわけもない。けれど、ひょっとしたらという予感が頭の奥の方でしている。
そうして僕は、食べ終わった食器を流しに運んで、父の分と合わせて洗うことにした。こうしておかないと母がダイエットを始めたばかりなので、不意のとばっちりを受ける確率が増えてしまう。
外を見ると日がずいぶんと傾いていた。父上、食事に戻るのも遅かったけど、こんな時間に城に戻って臣下にまたいじめられてないかな?
そんな不安が少しだけ頭をよぎる。僕はその不安を振り払い、出かける用意をしに自分の部屋へと戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます