第6話 ハバキの父

 彼女を家に運び込んだあと、叔父さんは洞窟で会ったあのボスという人の所にいろいろと報告しにいくと言って家を出ていった。それと入れ替わりに父上がお城から戻られた。今はたぶんひとりで食事をしている頃だろう。せっかくなので一緒に昼をとろう。時刻はまだ昼を少し過ぎたあたり。廊下のテラスから外に出ると、気持ち良い青空が広がっていた。


 庭を抜けて居間に着くと、父上がテーブルでパスタと格闘しているのが見える。もともとハバキから来たせいで食事を摂ることに慣れてはいないそうだ。ハバキが治めるアトランティス国では、食事を摂るという考え方はあまりないらしい。必要な栄養素はすべてタブレット型の錠剤かあるいはドリンクで済ませているという。

 「やあ、ルミネ君。今日もいい天気だね。」

 庭から近づく僕に気がついて、不器用に手に持ったフォークがテーブルの上に綺麗な弧を描いた。たぶん手を振って挨拶しようとしたんだろう。その綺麗な孤を追いかけてパスタソースが宙を舞う。父上に悪気はないのだが、母がそれを後で見つけて機嫌が悪くなる姿が僕の脳裏に浮かぶ。

 「父上!ソースが飛んでいます。」

 僕は苦笑して駆け寄ると、父上の飛ばしたソースの跡を拭いて回ることになった。

 「すまないね、いつも。」

 父上がそう言って申し訳なさそうに小さくなる。僕はそれを気づかないふりをして、流しで台拭きを洗いながら言った。

 「大丈夫ですよ。それよりも父上、一緒にお昼をいいですか?」


 ずっと昔、僕がまだ小さかった頃、父上は今よりももっとずっと堂々とした態度で、時折おじい様や大臣達と言い争うことも少なくはなかったそうだ。僕が少し大きくなって城下の学校へ通うようになったころ、お城で何かが起きたらしい。それからずいぶんと長い間、僕は父上と会えずに過ごしていた。その間に母上は精神的なストレスからかずいぶんと体が大きくなり、泣くことが増えた。

 僕が城下の、普通の人々が通う学校を卒業したころ、おじい様に呼ばれ城下へと出向いた。街の外れにほど近い場所に一軒家が立っていて、おじい様はそこに僕を案内していく。僕は内心、何事かと思って不安に駆られた。おじい様の顔はそれほどまでに、緊張して、張りつめていたからだ。


 その家の中に入り、僕はそこで数年ぶりに父上と再会した。父はその家の寝室にあるベッドに横になって眠っていた。ベッドの周りには、さまざまな書籍が積み上げられ、その本の山は寝室からあふれ出て居間やキッチンの床にまで散乱していた。

 そうしてその時になってようやく、おじい様の口から、父上に何が起こったのかを聞くことになる…。


 父上は、ハバキの中でも特に才能に恵まれ自尊心も高く優秀な人だ、とおじい様は最初に言った。けれど、精神的にはそれほど強くはなかった、と続けていく。

 母と結婚することが決まり、モリトの国に婿入りするということがそれまで父上が思い描いていた人生設計とかけ離れてしまったんだろうと、おじい様はそう言って父上の足元に膝をつき、眠っている父上の手を握りしめて頭を下げていた。

 「私がすまなかった。若い者の将来にまで気が回らず、事を急いてしまった。」

 そう言って父上の手を握りしめるおじい様。背中がやけに小さく見えた。

 そうしてから僕に向き直って、こうなった事の始末を僕に語り始める…。


 「お前のお父さんはな、この国の技術をもっと高めたいと常々話し、それを提案しつづけていた。けれども、私達は、いいや、私がか、私の頭があまりにも頑固すぎてな。ハバキの進んだ技術を入れると、モリトの自然を大切にする生き方に支障が出ると考えて提案を拒んでしまったのだ。」

 話し声が煩いのか、父上が寝返りをうつのが見えた。おじい様は僕の目をじっと見ながら、その話しの続きを話しはじめていく。

 「私が拒めば、臣下も同じような態度に出る。只でさえこの子は、オリトは、ハバキの出だ。己の影響力がどれほどにまで広がっているのかを把握しきれていなかった私が悪い。マチルダの婿にとあれほど期待して迎え入れたというのに、娘にさえも辛い思いをさせてしまっている。」

 僕の目を見ながら話すおじい様が、力無く背を丸めていてとても年老いて見えた。僕はそれが悲しくなり、おじい様の隣に座った。

 「後になって聞けば、ずいぶんな仕打ちを受けたらしい。城に上がっても話をする者は一人もなく、城下に下りて色々な場所を測量して回っていたそうだ。時折はケイサンに会いに来ていたとも聞いた。その度に青ざめた顔をしていたと、ケイサンからは聞いたことがある。家に帰ればマチルダと揉めてしまうから、お前に心配かけないようにと気を使ってもいたらしい。理論や道理を重んずるハバキでは議論以外の口論などほとんどないと聞くからな。子の前で言い争う父と母の様子を見せたくはなかったのじゃろう。そのせいでほとんど家にも帰らず、独りっきりで、この街の生活基盤をつくる設計と測量をたったひとりで続けていたようだ。」

 その設計と測量にも、ずいぶんといろいろな圧力があった、とおじい様は話を続けた。

 「やれ『お国自慢は自国に帰ってやれ』だの、『そんなものがなくても、市井の人々は十分に満足している』だの、あげくには『ハバキの技術は人殺しの技術だろう。そんなものを応用したところで、人々に受け入れられるとは思えない』など、自分よりも上に立つ役職の者から散々に言われていたらしい。その一番上に立つ私が気がつけぬまま、この子は独りで耐えつづけていたんだ。」

 そうして、その日が来た。

 「最初に私は、大臣から、オリトが体調を崩したので休みを取らせたと聞いた。それならば少しは休めるだろうと考えて、それ以外は何も思わずにいていまった。次に大臣から聞いたのは、オリトの体調があまり良くならないためにオリトの代わりの人材を立てたいという申し出だった。しかし娘からは何の相談も受けていない。それで不思議に思い、その日の帰りにマチルダが暮らす家まで見にいったのだ。そうしたらオリトは家には帰っていないと言われた。」

 それはたぶん、僕の七回目の誕生日の日のことだ。あの日、確かにおじい様が来た。家の前で母と話すと、またお城まで戻られたと母が不安げな顔で言っていた。

 「城に戻って、大臣を呼び出し、オリトがどこに行ったか話すよう聞いた。すると大臣はあっさりと『城下の街はずれにある一軒家で、分不相応な考え方を強制するために、不毛な作業を延々と繰り返させている。』と答えた。確かにその昔、我が強すぎる者や、他者に対する攻撃性の強いものに、そうした強制を施したという話を聞いたことがある。しかしそんなものは私の生まれる前の話だ!」

 いつの間にか父上の寝息が止まっていることに気がついた。おじい様は、それに気がついてなのか、少し声を抑えて話をつづける。

 「それで急ぎオリトを、お前のお父さんを見つけて、城へと連れ帰って医師にも見せた。医師は、心が傷ついて壊れてしまっているため、長い治療が必要だと言った。」

 僕は、言葉が出なかった。心が壊れるということがどういうことなのか、それが今でもまだ分からないままだ。


 「ルミネ、お前が七歳の時からだから、もう十二年もの歳月となるな。その間ずっと父上に会えず、悲しかったろう。」

 おじい様の手が、十九歳になる僕の頭を撫でていく。僕はといえばその時、必死になって涙を我慢していたのだと思う。言葉が出なかった…。

 「すまん、全て不甲斐のない私のせいだ。」

 そう謝るおじい様の声に、我慢していた涙が堰を切ったように流れ始めていく。


 そんなふうに父上を追い詰めた人たちに、悔しさと悲しさがあふれ出てくる。そうするしかなかったのかもしれない、だけどそうならないためのやり方だってあったろう。傷つけることで失ったものを思うと、その人たちへの同情さえもあふれ出てくる。

 そうしてそんな人たちの不足分を一身に抱えてひとりで頑張っていた父上に、悲しくなる。どうしてもっと、家族に相談するとか、おじい様に言っても駄目なら、お母様に言うとか。そんなこともできない不器用さと、そこまで追い込まれてしまう不器用さに、いろいろな思いが涙になってあふれ出ていった。


 その時から僕の中で、心というものに向ける興味が根付いたと思う。僕らはどうして心を持つのか。そして心とは何か。壊れてしまうことがあるのならば、それはどういう時になのか。そして壊れてしまった心というのはどうやって再び再構築されていくのか。そんなことを漠然と思い描くようになるのはもっとずっと後になってからだが、その根っこはここにあるのだと僕は思っている。


 それから、なんとか父上が普通に生活できるようになるまでの間、僕は毎日父上の元へと通った。他にもおじい様の所から通いの家政婦さんが来てくれてはいたけれど、家中に散乱していた書籍は父上のものだから、片付けたくても片付けられない状態だったらしい。僕はそれらの本を片付けることからはじめた。そして三十年ほどが過ぎた。

 僕が生まれて半世紀の祝いに差し掛かるころ、父上はようやく家に帰ってこられるまでに回復した。普通に会話するのはまだ難しかったが、こちらの言う言葉はすっかりと理解できるようになっていて、母は泣いて喜んでいた。おじい様はただ黙って笑っていた。

 その間おじい様は、城での人事や情報伝達について変革をすすめ、不要な階層を全て排除し、相互に意見交換ができる仕組みを作りあげることに力を注いでいた。これにより、城に努め国政に関わるものは誰だあれ、自由に自分のアイデアを話し、それに対する意見も自由に述べられ、より迅速に新しい意見が実現していける仕組みの基礎ができあがったようだ。

 一部の誰かの思惑で、その下に着く者が不当な扱いを受けにくくなるように。最初はそんな目標から始めて行ったらしい。この話になるといつもおじい様は、ものすごい手柄を立てたような口調で自慢していた。あの父がいた部屋で頭を下げた時のことはすっかりと忘れてしまったみたいにも見え、僕はついにおじい様が呆けたかと笑って茶化すことが多かった。



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