第8話 尽きぬ涙

 見知らぬ場所、見知らぬ人たち。言葉が通じるのがせめてもの幸運。だけど、ここはいったい何処だろう?私は確かにあの森の中で、少し開けた場所で、眠りに落ちたような気がする。その直前にミリアが話しかけてきて、なんと言っていたのかしら…。


 私はベッドに上半身を起こして、窓から見える景色を眺めた。緑が青々と茂っている。遠くに見える山の峰は、これまで一度も見たことがない。山頂にうっすらと白いものが見える。あの山の上には雪が積もっているんだろうか。雪をまだ見せてあげたことがなかったな。いつか連れていってあげると約束をして、それきりになってしまっていたな…。

 そんなことを考えていたら、また悲しみが込み上げてきた。ミリア、私の娘。私の愛するあの人の娘。

 初めてこの手に抱いたとき、あなたはまだ幼子で、亡くなった母の乳を求めて泣いてばかりだった。私はあなたの世話をするために、あの人の家で暮らした。亡くなった母も喜んでくれていただろう。あなたのお父さんはわりと有名になりはじめた冒険家だったから。

 あの人からあなたのお母さんについて話を聞いた。とても素敵なお母様だったそうよ。私も負けないように頑張らなくっちゃ。そう思って一緒に過ごして、あなたと一緒の日々がどれくらいかしら、ずいぶんと沢山の思い出になったわね。

 ママって、呼んでくれた。あの日のことがとても鮮やかに思い出せる。あなたのお父さんが何度目かの航海に出かけて、私と二人でいたときよね。窓辺で揺り椅子に腰かけて、あなたを抱っこしていた時だった。空が綺麗に晴れていて、窓の外で子供たちが駆け回っていたわ。

 ねえ、ミリア。私はどうしてこんなところにいるの?

 そう問いかけたらまた堰を切ったように、両方の瞳から涙があふれてきてとまらなくなってしまった。そこにたまたまヨホさんが来て、私の背中をそっと撫でてくれて、私を力強く抱きしめてくれる。


 「何か、辛いことがあったんですね。お察しします。」

 そう言って私の目を見たヨホさんの瞳に、同じような悲しみが見えた。どうしようもない理不尽に抗う力さえないまま、ただ耐えて泣くしかない。そんな瞳の色が見える。

 「落ち着かれるよう、何か温かいお飲み物でもお持ちします。どのようなものがいいでしょうか?」

 「いいえ、大丈夫です。ここまでしていただいて、そこまで甘えるわけにはまいりません。」


 そう答えた私の顔を、優しい瞳でしばらく眺めて、ヨホさんはお辞儀をして静かに部屋から出ていった。その気遣いに感謝して、私はもう一度ベッドに横になる。温かい布団だ。シーツも綺麗な白い色をしている。こういうところにあなたを寝かせてあげたかった。

 ミリア…。ごめんね…。

 涙がシーツを汚さないように、私はベッドから頭を出して泣いた。ミリアのことを思い出しながら、更に泣いた。そうしてあの人を思い声を出して、泣いた。

 どれだけ泣いても涙は枯れない。どれだけ泣いても悲しみは薄まらない。どれほど願ってもあの人にはもう会えない。ミリアにも、もう…。

 私は泣きながらまたエイシャの話を思い出していた。 千年を生きる人々が暮らす国。そこは『たそかれの世界』。願えば死せる人にさえ会わせてくれるという。そう教わった場所まで走って、月があるところで待った。ミリアが会いに来てくれたような気がする。あれは幻だったんだろうか。


 その時ふたたび部屋の扉が開いて、ヨホさんがトレーにカップをのせて入ってきた。私はあわてて取り繕おうとしたけれど、涙が止まらない。顔があげられない。

 「お気になさらず。どうぞそのままで。」

 ヨホさんはそう言って、部屋の真ん中に置かれたテーブルの上にカップを置く気配がしてた。音もたてず静かな所作に、どこか優し気な気配りを感じとって、私はまた泣いた。ただただ、泣いた。ヨホさんの手がまた背中をさすってくれている。そうしてベッドに腰を掛けて、私の顔を膝の上に移動していく。

 「今は、お泣きなさい。何があったかはわからないけど、泣きたいときは泣くのが一番。それができるなら、そうした方がいいのよ。」

 背中に触れる手の温かさを感じながら、鼓膜に響く声の優しさに甘えながら、私はそうしてずっと泣き続けた。泣いて泣いて泣いて、声を立てて泣いた。



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Ψυχή(プシュケー)―黄昏 1676 Common Era. Mystery 背水乃仁 @Memen

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