毎日が月曜日

にっちと僕、ふたり揃っての非番がせっちの授業参観と重なった。


「絶対来てね!」


もちろん行くんだけれども逆にせっちに迷惑がかからないかと心配になった。

10歳の女の子の親の年代はまあ30〜40代ぐらいか。いや、子供への愛情が深い人や様々な事情を持つ人ならばもっと上の年代でも子供を授かりたいと思うだろう。


ただ、僕らは若すぎる。

僕にしたって20代だし、なんと言ってもにっちの実年齢は18歳だ。8歳でせっちを産むなどおそるべき背徳のストーリーだ・・・って僕は何を考えてるんだ。


僕の訳の分からない妄想は置いておいて、当然小学校にはせっちと同居する事情は説明してある。ただ、守秘義務を教師たちが守ってくれているのだとしたら、僕らが同級生たちに要らぬ姿を晒してせっちへの誹謗中傷のタネを撒くのもどうかと思った。


「じゃあ、変装してきて?」


せっちももはや慣れたもので、あっけらかんとリクエストしてきた。

なので、そうした。


僕はまあ服装と髪型でなんとかなる。にっち言うところのトラッドなジャケットに髪はオールバックにしてみた。オプションでメガネも。


さて、にっちだ。

年齢を上げる変装ということで思い出したのが先般遭遇したコヨテの錦城チカ営業部長。

まず同じ色彩の、グレーのパンツスーツに裾で隠した超ハイヒール。

メガネもスリムなフレームのものに。

髪型をチカ部長のように刈り上げるわけにはいかないので、大人シックなマニッシュに。

と、まるで僕がこのテのコーデを知ってるかのような言い振りだけれども、にっちが鏡の前で準備しているのをちらちらと見てただけだ。


「ダメじゃないですけど見られると恥ずかしいです・・・」


視線を鏡に向けたままそうはにかまれると、『ときめき』などというとうに捨て去ったはずの感情が復活したようでドキドキした。


とにかくも見た目の年齢をそれなりに上げて僕とにっちは水色フォルクスワーゲンで小学校に乗り付けた。


「わたしはあらゆる『境界』をなくします! 大人も子供も、美人ぽい子もキモいと言われる子も、スポーツができると称される子もそうでない子も、いじめる子もいじめられる子も、障害持つ子もそうでない子も・・・ぜーんぶひっくり返してごちゃ混ぜまーす!」


ああ。これはせっちの選挙活動なんだな。

境界をなくすとにっちは叫びながらも、にっち陣営の顔ぶれを見てみると、キモいと言われてそうな子、おそらく自閉症の子、スポーツのできなさそうな子、いじめに遭ってそうな子、あらゆることから逃げ遅れてそうな子、ばっかりだった。

それは僕の偏見かもしれないけれども、実はそういう子たちが寄り添っているせっちの周囲の空間が僕にはとても心地よい世界に見えた。


僕らがその脇を歩くと、せっちとその周りの子たちが、


「ご声援ありがとうございまーす!」


と、僕とにっちに手を振ってくれた。


・・・教室に入るともう父兄が後方に集まっていた。

平日なのでそんなにたくさん来ないんだろうと思っていたら全然そうではなく、両親揃ってという組み合わせがやたら多い。みんな子煩悩なのか、それとも親であるということを楽しんでいるのか。

お互い家庭に問題のあったであろう僕とにっちがこうしてちょこん、と並んで小学校の教室に立っていることに軽い後ろめたさを感じてはいる。


休み時間の選挙活動を終えたせっちはもう着席している。

神光神社のお祭りでの高身長少女とその下僕たちは、にっちが眉の角度を5°引き上げただけでうつむいてしまった。


「ご父兄の皆様、大勢のご来校誠にありがとうございます。本日の授業は『道徳の時間』でございます」


以前事情説明の時に面談した在職5年ほどの若い女性の先生だ。

『道徳の時間』なんて言うのか。まあ、父兄参加型の授業としてはやりやすい教科だろう。

そう思ったけれども彼女が黒板に書いた文章を見て、え? と素直に思った。


『害虫は殺してもよいのか』


・・・なんだ、これ?


僕が疑問を差し挟む余地もなく授業がスタートした。

夏に蚊取り線香で蚊を殺したり、スズメバチの巣を駆除したり。あるいはクマやイノシシが出没した時に害獣として射殺したり罠で殺したり。


「はい。皆さんの意見を聞いていきます」


積極的に発言する子も、当てられて答える子も、さして面白くない解答ばかりだ。

「人間の経済活動とのバランスを考えながら必要最小限に抑えるのならば許容範囲ではないでしょうか」という頭の良さそうな男の子のコメントも「いいね」が欲しくてSNS上での反応を気にした深そうに見えるコメントのようでなんだか僕は痛々しく思った。


ひととおり生徒も父兄も意見を言った後で、PTA会長を勤めるこの街で一番ステイタスの高い総合病院の内科部部長が指名された。


「人間は食事をしないと生きられません。そもそも、『殺生』をせざるを得ない宿命を持っています。そして、蚊を殺すような行為も人間は悲しいことに無意識にやってしまうこともある・・・お釈迦様はそういうカルマを持つ人間をお許しくださるんです」


え?

そうなのか?

ほんとにお釈迦様は、それを許してくれるのか?


「では、セツコさん、どうですか?」


せっちが突然指名され、にっちはびくっ、として担任の先生の顔を見る。それからせっちの席の方に視線を向けた。

僕だって同じだ。

なんでこのタイミングでせっちなんだ?


せっちも一瞬驚いたような表情を見せたけれども、すっ、と一息吐くような素振りを見せ、座ったまま話し始めた。いきなり疑問形だったけれども。


「『害虫』って誰のことですか?」


しん、と静まり返る室内。

担任の先生が何も応答しなかったのでせっちはそのまま話し続ける。


「もしわたしに害を与える人を『害虫』って言うんだとしたら、DVの、わたしの親は害虫です」


・・・せっち・・・


「万引きを強要するわたしの兄も害虫です。そして、そういうわたしを『万子』と呼ぶひとたちも害虫です」


せっちは誰の顔も見ずに視線を教室の中空に向けて話続ける。


「それから、いじめをする人は害虫です。いきなりエッチなことをする人も害虫です。病気の子をバイキン扱いする人も害虫です。優しい子に『早く死ねよ!』っていう人も害虫です。口で言わなくてもネットで拡散する人も害虫です」


にっちがスラスラと淀みなく無感情で一気に言い切った。その後のセリフが、


「害虫だから殺してもいいですか?」


生徒たちの座席は凍りついている。

翻って父兄のエリアはひそやかな囁きを夫婦同士でしている。


いやな奴らだ。


僕がそう思った時、もっと不快で不思議なことを、担任の先生が言った。


「セツコさん。カウンセリング受けましょうね」


同時ににっちが骨盤をせり上げ、低身長の彼女が右手を最も高い高さにまっすぐ挙げ、全身で発言をアピールした。


「ではこれで授業を終わります」

「まだです!」


本来オクターブの高いかわいらしい声質のにっちが、低音の凄んだような声で叫んだ。いや、怒鳴った。その後は湖面のような静けさをたたえ、声も柔らかになる。


「殺してはいけません」


教室中がにっちのポジションに焦点を当てる。


「でも、二度とそういうことができないように、『ぶちのめす』ことは許されます」

「な、なにをおっしゃるんですか・・・」


先生が動揺している。


「もちろん、議論でもって戦ったり、選挙でもって戦ったり、そういう意味でもあります。ただ、過剰でない範囲で『ぶちのめす』ことは殴られる側の正当な権利ではないですか? 違いますか、先生?」

「そ、それは・・・」

「先生、誰に頼まれたんですか?」

「え?」

「それとも、脅されたんですか?」

「な、なにを言ってるんですか!?」


目の光が、無い。

にっちのこんな表情は見たくない。

彼女はせっちの席へ歩いていった。そしてせっちに手を差し伸べた。


「せっち。帰りましょう」


にっちの手を取って立ち上がるせっち。手を繋いだままふたりは僕の方に歩いてくる。


光の消えた目でにっちは僕に一言だけ語りかけた。


「キヨロウさん」


にっちのその一言に込められた意味を全て理解したせっちが、僕に手を差し伸べる。


僕とにっちとせっちは手を繋ぎあい、せっちを真ん中に挟んで教室を出た。


そのまま下足箱へ向かって廊下を歩く。


にっちの目に光が戻って来たところで、彼女は口を開いた。


「せっち。わたしの親はね、殺人未遂で逮捕されたの。わたしを殺そうとしたのよ」


そういえば今日は月曜だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る