ファスト・フードでスピードつけて

「ハンバーガー食べたい」


小学校からエスケイプした僕ら3人。

せっちのリクエストでハンバーガー屋さんへ。

ファストフードの代表格だけれども僕らが行ったのはメガ・チェーンのそれではない。バンズからハンバーグ、ソース、ピクルス、フライドポテトまで全て手作りの個店。にっちの運転で街なかのその店の前に水色フォルクスワーゲンで乗り付けると、店のオーナーだろうか、まだ若い顔立ちの優しい、『男の子』とでも呼べそうな彼が歓待してくれた。


「かわいい車ですね! うちの店にピッタリだ!」


開け放たれた三けんほどの店先のシェードの下に、おお振りのテーブルが置かれている。そこにおそらくはツレ同士ではないジーンズを基本としたファッションの男女が肩を並べて具とソースがバンズから溢れ出ているハンバーガーを齧っている。

とてもアメリカンな空間に、けれどもにっちのドイツ娘のワーゲンは小憎らしいぐらいに似合っていた。


「おにーさん! 一番美味しいの、なに?」


せっちがそのテーブルにすとん、と腰を下ろしてせっかちに訊く。僕らもせっちの両隣の席に座った。


「そう・・・Tボーンがおススメかなっ!」

「おにーさん。それハンバーガーじゃないっ!」


かわいらしくツッコむせっちにテーブルの客たちも笑顔だ。

どうしてこの子がDVなんかに。

にっちもそうだ・・・


店主おススメのTボーンをバンズで挟んだそれは食べにくいかと思いきや、左手で全体を持ち、右手でTボーンをくるくると回しながら食べると簡単に咀嚼できた。


そして、にっちの方から語ってくれた。


「キヨロウさん、せっち。わたしの親はね。わたしが高校に入ってからしばらくしてわたしを殺そうとしたのよ」

「ほんとに?」


せっちの短い問いにこくんと簡単に答えるにっち。


「ほんとよ」

「どうして」


僕も一語で短く訊くとにっちから更に質問が返ってきた。


「どうしてというのは方法のことですか? それとも理由のことですか?」

「・・・両方・・・」


ほんとは僕は方法なんてどうでもよかったんだけれども、いやらしい好奇心に抗い切れなかった。


「方法は、毒です」

「毒?」

「はい。わたしの下着に塗って。皮膚から浸透する猛毒です」

「・・・・・」

「ひと晩、寝て起きると体がベッドに張り付いたみたいでまったく起き上がれませんでした」

「・・・理由は?」

「わかりません」

「え」

「わたしのことを自分達に『合わないな』と感じていたのは間違いありません。特に母親は祖母に懐いていたおばあちゃん子のわたしを恨んでいたろうと思います」

「恨んでいた?」

「はい。嫁と姑ですから。『なぜ私の味方をしないの』って。そんなこと言われても、わたしがおばあちゃんを好きなことをどうすることもできません」


3人ともこういう話をしながら、Tボーンを食べる手を止めない。本当に美味しいから。


「祖母が亡くなった後、ずっと無視され続けました。ご飯は部屋に持って行って一人で食べてました。おばあちゃんがいた頃は一緒に料理をしてたんですけど、母親が台所を占有するようになってからはそれもできなくなったものですから」

「でも、よく助かったね」

「せっち・・・信じなくてもいいけど、声が聞こえたのよ。『助けを呼びなさい』って」

「もしかして・・・おばあちゃん?」

「そう。その声でわたしは枕の下にスマホを入れてたのを思い出したの。金縛りみたいに動けなくて・・・多分30分ぐらいかけてスマホを引き出して、ミスタップしないように注意して指を動かして。それでなんとかにLINEを送れたの」


え。


「に、にっち。彼、って・・・」


にっちの顔が、あ、という表情に変わる。

少しうつむいてからまた顔を上げて話し始めた。


「キヨロウさん。わたし、その頃、高校の同じクラスの男子と付き合ってたんです」


そう言ってからにっちはまたうつむく。


「ごめんなさい・・・」

「・・・なんで謝るの。だって、その子のお陰で助かったわけでしょ? それで、今、彼は?」

「・・・もうずっと会っていません」


昔も今のようなにっちだったのだとしたら、男の目に留まらない方がおかしいと思う。

けれどもその彼と、『どうだったのか』は、僕は考えたくなかった。


「それで、ご両親は?」

「精神鑑定で責任能力がないと判定されました。ふたりとも、です。執行猶予でも情状酌量でもなく不起訴です」

「猛毒を調達する能力があったのに?」

「はい。でも母親に医療用の劇薬を渡した医師は実刑になりました。父親の弟、わたしの叔父ですけど。彼が犯行の青写真を描いたんじゃないかというのが最後まで裁判の論点から外れませんでした」

「叔父さんがにっちを?」

「いえ。正確には叔父の奥さん。わたしの叔母が、です」

「どうして?」

「・・・従兄弟が医学部へ行けそうにないのにわたしは医学部志望だったからだと思います」


あ。

そうだったのか。

にっちって、ほんとに完璧な子だったんだな・・・


にっちはまるでその優秀さを恥じるように途切れながら話してくれた。

普通祖母は嫁姑の関係から外孫そとまごに肩入れするものだけれども、にっちのおばあちゃんは子供の頃からにっちを庇護し続けてくれたそうだ。伝統ある志度高校への進学も医師である弟夫婦に遠慮しようとする両親を押さえて推してくれたそうだ。

だから余計に両親の憎悪が増幅された。


「両親は、仮病です」

「え」

「叔父から、精神鑑定への応答、立ち居振る舞いから表情までどうすれば病気と認定されるかのレクチャーを受けてたんです」


病気じゃなくても普通じゃない。


「じゃあ、ご両親も叔父さん夫婦もにっちを?」

「はい」

「なんで?」

「両親も叔父夫婦も、おばあちゃんが嫌いだったからです。亡くなってしまった後はわたしを責めるのが一番おばあちゃんを苦しめることでしょうから」


嫌い、の水準が異常値だ。

でも、にっちもそういう激しさを秘めているんだろう。

少しだけ話を逸らす。


「でも、『仮病』なんて押し通せるものなのかい?」

「キヨロウさん。この類の病気の診察って、症状は基本『自己申告』なんですよ」

「そうか・・・じゃあ、にっちは『仮病』で『殺人未遂』のご両親と同居してた、ってこと?」

「はい。心の休まる間がありませんでした」

「にっち。そういえば『あいつら』って誰?」


ジムのスパーリングで気合を入れるための言葉が『あいつらっ!』だった。


「・・・事件の後わたしをアブない奴って『隔離』した高校の同級生たちです」


僕は『彼』も『あいつら』の中に含まれていることを祈った。ごめん・・・


「にっち。もうひとつ訊いてもいいかな?」

「はい・・・」

「ご両親を置いてきて、本当によかったの?」

「・・・はい。わたしまだ死にたくないですから」


言い切った。


テーブルの斜め前に座っていたブラック・ジーンの若い男性客が立ち上がってにっちを指差した。


「この子、『ドラッグ』持ってるよ!」


僕とにっちとせっちは、一瞬ぽかんとした。そしてすぐに気づいた。


あ!

ここも


「ちょっと! 警察呼んで!」


わざとらしい演技で周囲の客たちも騒ぎ立てた。


今となってはこの場でたった1人味方のオーナーが叫んだ。


「室外機の横!」


僕ら3人は店のエアコンの室外機脇のごく細い隙間に身を滑り込ませた。


「ねえ! ワーゲンは!?」

「置いてく!」


僕はせっちに大声で答えながら後ろを振り返ると、客たちも隙間の通路になだれ込んできていた。


「なんなんだ、これは!?」

「チカさんでしょうか?」


なるほど。学校での先生の異常な対応といい、ハンバーガー屋さんでたまたま居合わせただけの客たちから追いかけられるこの映画みたいなシチュといい、全部、錦城チカ部長の仕込みだとしたら繋がってはくる。

けれども、こんなこと普通の感覚の人間なら決してやらないことだ。

ハエを払うにしても明らかな犯罪行為をコヨテがやるわけがない。いや・・・やるのかな・・・?


『チカ部長の私怨、かな』


おっと。『チカって呼んで』と言われたことを律儀に守るにっちの応対がうつってしまった。

でも、こういうこと考える余裕もそろそろ切れるな。


「跳ぶよ!」


通路の出口にある車止めのポールに架かったチェーンを跳び越えた。

せっち、にっちも続く。


「キヨロウ、足速いね!?」

「ああ・・・逃げ足だけはね!」


ここへきてようやく僕の隠れ設定を披露できた。逃げ続ける人生だった僕の得意分野ということで定着させたいものだ。


もう一度、今度は別のビルとビルの隙間に入る。にっち・せっちよりも肩幅の広い僕は腕を折り畳んだまま胸の辺りで旋回させるようにしてスピードを上げる。


「ついて来れるかい!?」


振り返って確認すると、にっちもせっちも小柄な四肢の回転数を上げて食らいついて来ている。

追っ手との差を徐々に広げていく僕ら。


3つ目のビルとビルの隙間。

その幅を見て、僕は決断した。


「上着脱いで!」


2人とも勘がいい。


にっちはスーツの上着を、せっちはニットのセーターを抜け殻みたいに脱ぎ捨てた。

僕もジャケットを脱ぎ捨てる。

そのまま半身でビルの隙間に入り込んだ。スピードはぐっと落ちるけれども。


僕らが半分カニのように横歩きをしていると追っ手も半身になって入り込もうとした。


「あ? ダメだ!」


彼らの上着の背中・胸元・襟の数ミリの布の厚み、それからボタンの膨らみが両壁のモルタルに引っかかるのだ。

追っ手たちはそのままストップせざるを得なかった。


僕らが最後の通路を抜けると大通りに面する歩道に出た。

ちょうど路線バスがバス停を離れようとするタイミングだったのでそのまま駆け込んだ。


揺れる通路を歩き最後部の座席に3人並んで座った。


「キヨロウさん。もし捕まってたらどうなったんでしょうか?」


うーん、と考えて僕なりに答えを出した。


「鬼が、交代したんじゃないかな」


ふたりとも笑ってもくれなかった。

笑わないついでににっちが深刻な顔で僕に話す。


「キヨロウさん。わたし、『彼』とは本当にんです。ただ、図書館で一緒に勉強したりとか、それだけなんです・・・」


にっち。もちろん信じるよ。

でも。


図書館で一緒に勉強?


嫉妬に燃えるよ。

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