マノアハウス へようこそ
「これで許してください」
未成年のにっちは僕たちが『子連れの同棲』まがいの男女共同生活をすることへの同意を書面で取り付けてきた。
『「同意書」。私は子、
にっちが父親名のこの書面をどうやって両親たちに書かせたのかはそれこそ一切問わないこととした。法的根拠にも乏しいけれども、なんらかの『手切れ』をしただろうことはにっちの腫れぼったい瞼と手足ににできた細かなアザを見て想像できた。
今日は2人揃っての非番。せっちも学校は休み。
土曜の朝だ。
一泊4,000円だけれども全国から地方都市独特のハコ物建築の工事のために集って来るとび職人たちに好評な栄養・ボリュームMAXの食事付きのビジネスホテルをにっちとせっちは仮宿としていた。
僕は彼女らを迎えにロビーに出向いた。
「キヨロウ。全然眠れなかったよ」
「なんで」
背の低いにっちから借りたTシャツがぴったりのせっちが、ふわわわとあくびをしながら僕に不平不満を言ったので理由を尋ねたら小学生らしからぬ大人びた仕草で顎をしゃくって朝食中の別の客たちを示した。
「テキ屋さんか」
「うん。来週、神光神社のお祭りでしょ? 早々と屋台の準備しに集まって来ててさ。威勢が良すぎて眠ってらんなかったよ」
ローリング・ストーンズのベロマーク・スカジャンを着た金髪の女の子、ニッカボッカみたいなパンツに龍の水墨画プリントのTシャツ姿のあんちゃん、ラメの入ったモスグリーンのブルゾンにパンチパーマで口髭のおやじさん。
そんな面々が、ガハハ、と笑いながら白米・みりん干し・卵焼き・納豆・味噌汁の羨ましいまでに見事な朝食を食べている。
僕はこういう風景、嫌いじゃない。
「にっちなんて昨夜から何度もナンパされてたんだよ。ねー」
「せっち。からかわれてただけだよ」
「ほらほら、キヨロウ。にっちがナンパされたって聞いたら焦るでしょー」
せっちが、ん? ん? という感じで僕をからかう。
「別に。にっち、誰か良さげな男はいたかい?」
「いません。わたしはキヨロウさんみたいなトラッドな男性がいいんです」
ちょっと無理して淡白な大人の男を演じて見たけれども、にっちのこの反応に触れると年甲斐もなく一気に赤面してしまった。
恥ずかしながら、耳たぶから首筋まで火照ってしまった。このいい年した僕が、だ。
けれども、にっちが三つ編みをほどいてクロブチメガネも外し、ほんのりとリップを塗っている非番仕様の今日は、僕の感情に同意してくれる人が大勢いることだろう。
僕は最大限の賛辞でもってにっちを形容する。
「かわいいよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まるで中学生の片想い同士のように視線を宙にやり唇をつん、として歩く僕とにっち。その少し前を振り返りながらせっちが手のひらを背の後ろで組んだままぐんぐんと歩いて行く。
胸を張ったその姿が少女らしい。
三人で入ったのはこの街で老舗の不動産屋さん。
今風の若い男性社員が如才なく僕らの応対をしてくれた。
「ご家族ですか? お嬢様の勉強部屋も確保できるお部屋ならこちら辺りはいかがですか?」
彼が見繕ってくれたのは駅から徒歩3分。4LDKの賃貸マンションだ。
軽のワゴンに同乗して早速内覧に向かった。
「わあ」
せっちが5階のベランダから僕らの街を見渡すと、手すりにこんな場所に、と思うようなオニヤンマがとまった。
くるくると人差し指をまわすせっち。
「つ」
オニヤンマが、せっちの指を齧ろうとした。
それだけで僕は判断した。
「すみません。別の部屋、見せてもらえませんか?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次の部屋は駅からは徒歩15分。
せっちが小学校へ通うとしたら徒歩30分。
メゾネットタイプの、キッチンが驚くほどに広い物件だった。
「学校から遠くていい」
と言うせっちのために、僕もにっちも車で学校への送迎も厭わないつもりだった。
だから、ここもアリだと思った。
「部屋なのに、二階がある!」
せっちの自宅に行ったにっちは、そのアパートの整理整頓されなさぶりを心痛めて見てきたので、階段を上ってせっちの勉強部屋に行きつくことのできるこのメゾネットタイプの賃貸マンションを、美しい家庭にしようという決意に満ちていた。
横顔の目鼻のラインからそれが伝わってきた。
この幾部屋もの二階構造に住む住人たちの家々が固まった賃貸マンションの名前は、『マノアハウス』。
「引っ越し祝いは、カレーにしようよ」
せっちがそう言ったので、もうここに決めた。
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