経営理念じゃなくって、経営実行を
ものすごく心配だったけれどもせっちの親に同意を取る作業は、
「わたしが行きます」
とにっちが頑として譲らなかった。
あの兄貴を見ただけでせっちの家庭がどういう状態かは容易に想像がつく。その両親も同居している荒んだ場所ににっちとせっちだけで行かせるのは男としてやってはいけないことだと強く思った。僕がそうストレートににっちに伝えると、
「わたしの家は多分もっと荒んでます」
ここまで言われてしまってはもはや止めることはできなかった。
なので僕がこの覚悟を持つ2人の女の子の安全を真剣に確保しようとするならば最短距離で3人での共同生活をスタートさせることが僕のできる最善だ。にっちには午前半休を取ってせっちの家へ行ってもらい、僕はホテルを出てそのまま会社に向かった。
課長に昨日からの顛末を報告し、僕・にっち・せっちの3人で同居したいと瑣末な言い訳等すっ飛ばして申し出ると、彼は簡潔に指示した。
「社長面談だね。話は通しておくよ」
・・・・・・・・・・・
法的な問題やモラルの問題や金銭的な問題よりも何よりも、これが一番のハードルだということは最初から分かっていた。
モニタリング課は特殊な部署ではあるけれども社長直轄の特命部署という訳ではない。課長にしても他部署との調整をごく普通に行い決裁も手順を踏んで時には譲歩しながらごく民主的に顧客と実務最優先に事を決め実行していく。
唯一違うのは、モニタリング課全員が入社の最終選考において、社長と一対一の面接で採用が決まった人間だということだ。
・・・・・・・・・・・
「失礼します」
開けっ放しのドアにノックして役員室に入ると、専務・常務以下の取締役たちがぎろっ、と僕をにらんだ。彼らと並列して座り、職員と同じスタンダードな事務机でタブレットPCをブラインドタッチ入力する齢80歳の創業者、
ステイショナリー・ファイターに会長はいない。創業社長の久木田さんがトップだ。そしてこの役員室には社長以下全役員がぶち込まれている。専務室や常務室を与えて甘やかすようなことを久木田社長はしない。この犬小屋のような狭い役員室へ彼らを一同に集めて全員の動きをガラス張りにしているのだ。そして現場の顧客に直結する実務部隊を最重要視し、用事があれば担当部署の部長から役員たちがオフィスに呼びつけられてすっ飛んで行くのだ。
「キヨロウさん、久しぶりだね」
「社長、この度はわがままを言いまして」
「いいんだ。ここじゃ窮屈だから社食に行こうじゃないか」
・・・・・・・・・・・・
社員食堂の長テーブルに並んでベンダー紙コップのコーヒーを久木田社長がおごってくれた。
風貌は完全におじいさんの久木田社長。上着を羽織らないワイシャツの袖をまくり胸ポケットにはウチの売れ筋のペンが何本も突っ込まれている。
「キヨロウさん。近藤さんの話に入る前に少し昔話をしないかい」
「え。はい、構いません」
「まあ、コーヒーでも一杯飲もうや」
社員食堂のこのコーヒーは嫌いじゃない。コストをかける訳にはいかないからごくありきたりのベンダーなんだけれども、湯温の設定や、油脂のミルクもどきじゃなく生クリームの入ったピッチャーを置くなど心配りが細やかだから。
「キヨロウさん。知っての通りあなたの課長も、鏡さんも、近藤さんも、そしてあなた自身も、モニタリング課は私が面接して入社してもらった人たちばかりだ」
「はい」
「理由は分かるかね?」
「実はよく分かってませんでした。でも、にっち・・・いえ、近藤さんが入社して来てはっきりとわかりました」
「ほう。それは?」
「はい。近藤さんは18歳ですが僕よりも遙かに人生経験が豊富だと感じました。いえ、そんな生易しいものではなく、修羅場をくぐっていると感じました。そういう意味で社長は近藤さんが欲しかったんだろうと」
「なるほど。ではキヨロウさん、私があなたを欲しがった理由は分かるかい?」
「・・・僕の父のことですね」
「そうだ」
僕の父は、業務上過失致死で執行猶予がつかず実刑の判決を言い渡された。未だ服役中だ。僕が小学生の頃からずっと。それだけ深甚な事件だったということだ。
それは父の勤めるゼネコンが関わった大規模な建築基準違反の案件。その実務責任者として僕の父は毎日のようにテレビに出、SNSで拡散され続けてきた。僕自身もSNSのアカウントを何度変えようとも、「アイツの息子だよ」と特定され続けてきた。
僕は中学は不登校だったけれどもお情けで卒業だけはさせてもらえた。日中に顔を晒す度胸もなく高校は迷わず定時制へ。卒業してそのまま働くと言ったら母は「なんのために私が夜の仕事までしてお金を稼いできたと思ってるの」と泣き出したので大学は彼女のために行った。学士さえもらえればよかったので通信制の大学にし、スクーリングでキャンパスに手続きに行った時に学生課でステイショナリー・ファイターの求人ファイルを見つけた。
なぜか通信学習コースの学生に限った求人だったので不思議に思いながらも試験を受け、久木田社長と2人きりの面接を経て採用となったのだ。
まさか僕が一部上場企業に就職できるとは思っていなかった母は狂喜乱舞した。業務内容は未だに話していないけれども・・・・・
こういうことを一気に回想して僕は久木田社長に答えた。
「つまり・・・逆境を経験した人間が欲しかった、ということですね」
「微妙に違うな」
久木田社長は身をぐっ、と乗り出して僕に顔を近付ける。老人特有の匂いがつん、と鼻をかすめたけれどもそんなことはどうでもいいぐらいの言葉を僕は彼から聞いた。
「キヨロウさん、もし今戦争が起こったらステイショナリー・ファイターはどうなる」
「え」
「戦争でなくとも、リーマンショックのようなあの将来への希望が何も持てない日々や、あるいは大災害が起こったら我が社はどうなる」
「それは・・・」
「私が欲しかったのは、『他人の事情に否応なく左右された人間』なんだよ」
他人の事情。
「キヨロウさん。あなたはお父さんの事情に有無をいわさず人生を左右された。息子だというその事実だけでもって」
「それは・・・仕方のないことです」
「違うな。あなたは逃げなかった」
「いえ・・・逃げましたよ。不登校でしたし、白昼に人と会うことを避けて生きていました」
「逃げてないと私は断言する。なぜならあなたはお父さんの息子であることをやめていない」
「はは。社長、法律上やめられないだけですよ」
「そういうのを『逃げていない』というのだ」
「・・・!」
「平時に『わたしはこういうことができる、こういう資格を持っている』と自分をアピールすることはたやすい。また、そういう時に目新しい提案で業績をアップさせることもそんなに難しいことじゃない。だが、圧倒的な外部要因で我が社の経済活動が封じ込まれようとするとき、そういう人たちは何ができるのかね?」
久木田社長の顔が一瞬、精悍な青年起業家の顔に見えた。
「わたしは58歳、還暦目前でこの会社を創業した。ご存知の通りそれまで勤め上げた文具メーカートップ『コヨテ』の専務就任の要請を受けていた。だが、それではダメだと思った」
久木田社長の顔が赤く燃えている。
「文具は実務に携わる全ての人にとって武器なのだ。武士でいえば刀なのだ。子供にとっても、学業だけでなく、漫画を描いたり物語を書いたり将来への展望をアシストする同志なのだ。デザインの楽しさなども当然必要だが、売り上げばかりを気にして文具を単なる『遊び道具』に貶めようとするコヨテをわたしだけの力で変えることは無理だと思った。だから、自分で会社を起こし志を実行しようとしたのだ!」
わあーっ、と歓声と拍手が起こった。
コーヒーブレイクに来ていた様々な部署の社員たちが、思いがけず聞くことのできた社長の『演説』に感じ入ってしまったようだ。
まるで悪いことでもしたかのように社員たちにペコペコ頭を下げる社長。ようやく静かになって再び久木田社長が僕に語りかけてきた。
「キヨロウさん。つまりあなたの『有無を言わさず否応なく不遇に晒された』という人生そのものを買ったのだ。自主性とは言葉を変えれば『自分勝手』だ。そうではなく、外部の圧倒的な力で自分の人生を制限された人間こそが戦時や恐慌時や災害時に力を発揮する」
「・・・わかりました。にっちもそういう人間ですね、間違いなく」
「近藤さんは、にっちというのかね? いいニックネームだ。プライバシーがあるから詳細は話せないがモニタリング課の4人は全員素晴らしい人生を送ってきたと判断して私は採用した」
「それで、その、僕たち3人が同居することをお許しいただけるでしょうか。それこそ自分勝手なお願いかもしれませんが・・・」
「自分勝手なのではない。むしろ逆だよ。その10歳の女の子の事情を考えてのことだろう?」
「はい」
「ならばキヨロウさんも近藤さんもその子の人生をまず第一に考えている。これまでのあなたたちの行動と首尾一貫している。私も賛成だ」
こうして僕は社長の許可を得た。
・・・・・・・・
午後になって僕はにっちとロードサイドの大型書店の文具コーナーで落ち合った。
「にっち、ご両親の同意は貰えたかい?」
「はい。お金はこちらで出しますと言ったら二つ返事でした」
「・・・そうか。で、兄貴は?」
「最初は吠えられれました。『お前らのせいで先輩にリンチされた』って。せっちをまた殴ろうとしてました」
「おいおい」
「でも話し合ったら最後には分かってくれましたよ?」
「あ。ほんとに?」
「はい。わたしに逆らっても無駄だって」
それって、ほんとに話し合いなのか・・・?
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