人間を品定めする

嫌な季節だ。


一般社会に生きる以上、仕事においては成果を求められ、人物においては品格を求められ、組織の中においてはそれが金銭に換算される。

この(株)ステイショナリー・ファイターの人事考課システムにおいて、にっちの一次考課者は僕なのだ。


「キヨロウさん、よろしくお願いします」

「うん・・・ああ、気が重いな」

「? どうしてですか?」

「だってさ。僕自身が職務面でも人格の面でもきちんとできてないのにさ、にっちのことを偉そうに評価するなんてできないよ」

「そんなことないですよ。キヨロウさんは尊敬できる上司です」

「ふーん。たとえば?」

「部下であるわたしに対して優しいところとか」

「甘い、とも言えるよね」

「モニタリングの現場でのソツない対処とか」

「変革がないけどね」

「あと、かっこいいところとか」

「あ。それは嬉しい」

「とにかくキヨロウさん。遠慮なくビシビシ言ってください」

「うーん。僕からしたらにっちは申し分ないよ。文具の知識は凄まじいものがあるし、文具店での顧客への対処はあくまでソフト、ただし敵には武術まで使ってビシッと」

「正直、営業以外の『敵』とも戦う職場だとは思いませんでした」

「そうそう。この人事考課面接はそういう職員本人と上司との評価のギャップを埋める場なんだ。にっちも遠慮なく職場への不満とか言って」

「不満はありません」

「そんなことないでしょ」

「ほんとに無いんです。自分の好きな文具をお客さんに買っていただく工作をして、おまけに武術の実践練習にもなってその上お給料まで」

「うーん」


面談室のドアがコンコン、とノックされ、鏡さんがドアを半分開けて顔を覗かせた。


「キヨロウ、にっち。面接中ごめんね。営業部からホットラインが入ったのよ」

「わかりました。にっち、一時中断だ」

「はい」


・・・・・・・・・・・・


時折こういう職務は生じる。

今日の現場はこのエリアで一番大きなホームセンター。スタッフさんが文具コーナーの万引き犯を捕まえたという連絡。しかし、対応を間違えてスタッフさんが逆恨みを買ってもつまらないし、そもそも万引きの損失を必要経費とみなしている店は自分たちで万引き犯に対処するノウハウがない。

踏み込んだ顧客フォローをモットーとするわがステイショナリー・ファイターは、万引き犯への対応も時として請け負う。被害にあったのが当社の製品でなくてもだ。そしてモニタリング課は後々恨みを買わないノウハウを持つので真っ先に対応に回される。


どんなノウハウか?


なんのことはない、いつも通り変装するだけだからだ。


「門田です」

「花木と申します」


髪の毛のボリュームを落とした変装の僕は『門田』という偽名の名刺、つけまつ毛に超ハイヒールで変装したにっちは『花木』というこれまた偽名の名刺をホームセンターのスタッフさんに渡す。


「ほんとにすみませんねえ。こんなことまでステイショナリー・ファイターさんにおんぶに抱っこで」

「いいえ。文具コーナーの7割をうちの商品にしてくださってる御社ですから当然ですよ。なあ、花木くん」

「はい。おまけに先月の貴店での高級ペーパーナイフの売り上げは単月で昨年の年間売り上げ比で105%。ありがとうございます!」

「そんなことまで。さすがはファイターさん。急激な売り上げ増でびっくりはしてたんですが」


なんのことはない。

にっちと僕が変装して入れ替わりで『販売工作』してただけの話だ。注力商品として営業部からの特命があったので。


「それで、万引き犯は?」

「あちらの別室です」


部屋に入るなりにっちが僕の顔を覗き込む。

長テーブルの前の丸椅子に座っていたのが女の子だったからだ。


「この子が?」

「はい。実はかなりの常習で手口も巧妙で・・・マークしてたんですが今日ようやく現行犯で抑えられた、というのが正直なところなんですよ」

「わかりました。後はわたしたちにお任せください」

「では、お願いします」


僕とにっちが向かいに座るなり、女の子がつぶやいた。


「おじさん、髪の毛がヘン」

「ん?」

「それから、おねーさん、似合わないまつげ取ったら」

「え」


なんだ、この子。

もしかして僕らがファッションや化粧じゃなく、わざわざ変装してるんだって気付いてるのか?


「僕らの格好は別にいいから。まずキミの名前を訊いていいかな」

「自分からでしょ」

「・・・ごめん。僕は門田。彼女は花木」

「ふーん。そういうことにしといてあげる。わたしも、ハナキ」


そう言って女の子はぷははっ、と笑う。ただの子供じゃないな・・・


「年は?・・・とごめんね。わたしは18歳」

「なーんだ、高卒か」

「ええ・・・そうよ」

「ステイショナリー・ファイターって、一部上場のメーカーでしょ? 高卒なんて取るんだ?」


僕の方がカチン、ときて思わず強い口調になった。


「使えない大卒や院卒よりも彼女の方がよほど人生を知ってる。キミは何歳だ? 大人ぶってるけど」


ムッ、として女の子が答える。


「10歳よ。小学5年。言っとくけど、わたしの10年はあなたたちの数十年よりよほど密度濃いから」

「ねえ、ハナキさん」

「へえ。ちゃんと初対面の相手に子供でも付けするなんてちょっとはマシじゃない」

「人間の基本よ。ハナキさんはどうして万引きしたの?」

「は。理由なんかわたしもわかんないわ。逆に教えてよ」

「退屈なんだろう、人生に」

「おっさん! 侮辱罪で訴えるよ!」


なんだこの子は。僕には『おっさん』か。あ、でも、一応付けか。


「ハナキさん。あなたの人生が退屈だとは思わないわ。あなたもでしょう?」

「・・・そうだよ。家でも学校でも表歩いてても」

「DV?」

「ふ。小学生に直接発する単語じゃないね。でも他に言いようないか。そう、DV。両親と中学生の兄貴からね」

「お兄さんも?」

「ウチは父親・母親・兄貴の3人が『ハナキ家』。わたしは一家とは別口の人間」

「・・・・・」


にっちが黙り込んでしまった。

正しいかどうかは分からないけれども、僕が会話を引き継ぐ試みをした。


「キミは辛いのかい?」

「辛い?」


ハナキはしゅう、っていうため息とも深呼吸ともつかない息吹で一瞬うつむき、座ったまま力任せにテーブルを蹴り上げた。


「辛いなんて甘っちょろい言葉使うんじゃねえよ! 辛いんじゃねえよ。わたしは毎日死んでるんだよ!」


あまりの激しさに僕もにっちも言葉が出ない。ハナキは続ける。


「んで、朝起きたらまた生き返ってんだよ! こんな夢見たことある!?」


ふしゅー、ふしゅー、と大きな呼気になると同時にやや声のボリュームは落ちる。けれどもとてもタイトで救いようのない声だ。


「橋の下に、巨大なジェットコースターのコースの骨組みみたいな鉄骨が落ちてるんだよ。それが突然川に落ちて、その質量で川の水が信じられないぐらいの水量で溢れかえるんだよ! 溢れた水が、うわん、って圧力でわたしに迫ってきて、でもわたしは歩きながら逃げるんだ。そしたらかろうじてひざ下ぐらいまでが水につかるだけで済むんだけど、道路の隣にあるガソリンスタンドにその水が流れ込んで行くんだよ。そんでわたしはそこで心底苦しくなってそれで目が覚めるんだよ!」


瞬時に精密な光景が瞼の裏に浮かぶハナキの描写。


「毎晩、死んでから眠って、目が覚めてから無理やり生き返されるのよ!」


ハナキがもう一度駄々をこねるようにテーブルを蹴り上げたところでドアが開いた。


「お話し中すみません! ちょっと店に来ていただけますか!」


スタッフさんが飛び込んできたので、僕らは全員で部屋を出て店に向かった。

逃げないだろうと思いながらもハナキの手をにっちに引いてもらって。


「おい! 小学生の女が来なかったか!?」


中学生なんだろう。学生服で高校生よりは幼さが残る顔立ちの男子が別のスタッフさんに向かって声を荒げている。


なぜか反射的にハナキを振り返ると、唇をきゅっと結びおそらく奥歯にヒビが入るぐらいの力を込めて噛み締めているような頬のへこみ具合が見て取れた。間髪入れずに男子中学生が怒鳴る。


「セツコ! この店ダメになったんだろう? カモだったのによ。さっさと次行けよ!」


『セツコ』と呼ばれたハナキが垂直に下を見下ろす。

彼女の膝ががくがくと震えだす。


「ほら、早くしろよ! 二万円分ぐらい万引きして持ってかないと俺、先輩にぶっ殺されんだよ!」


こいつがハナキの兄貴か。

僕はゆっくりと彼に歩み寄った。


「なんだお前」

「キミがこの子に万引きさせてたのか」


ぷぷ、と兄貴が笑ったので僕は彼の胸ぐらをつかんだ。

すかさず彼が僕の胸板に至近距離から右拳を突き刺す。


う・・・と僕が呼吸困難に陥った瞬間、彼の体が急に倒れこんで視界から消え、僕のうなじあたりに鋭い衝撃が走った。

彼は右足の爪先あたりで僕のうなじから首筋を鎌で刈り取るように蹴った。


ずっと昔に深夜のプロレス放送で観た延髄切り、という技なんだなあ、とそれこそさっきハナキが話した夢でも見てるような感じで僕は体の側面から床に倒れた。


「キヨロウさん!」


倒れた僕の腹を蹴ろうとしていた兄貴が声に気付いてにっちを振り返る。

にっちはゆっくりと兄貴に歩み寄る。


「ちっこいな。かわいいな」


そう言いながら兄貴はにっちにパンチを繰り出す。

フェイントのようにローキックも。

平然と数センチの体のひねりだけでかわすにっち。

兄貴がジャブを放った、と、また延髄切りだ。


背後をまったく振り返らずににっちは彼の回転してくる右足の爪先をつまむように遠心力を利用して床に放り投げ下す。


仰向けに倒れた彼のアキレス腱を、ド、とにっちは右足を真下に踏み下ろし、それだけで彼の動きを封じた。


「く・・・パンツ、見えてるぞ・・・」


脂汗を流しながら毒づく彼の、もう片方のアキレス腱にも左足を乗せ、全体重をかけるにっち。もはや彼は物言えぬ静物となった。

けれどもそれでもにっちは許さなかった。

かれの手を直接ではなく、シャツの袖をひっつかんでその反動だけで瞬時に引きずり起こす。そして、左足で踏み込んで彼の顎めがけて右拳を繰り出す。


スパーリングでメッサ先生を秒殺したパンチだ。


「やめろ、にっち!」


にっちがモーションを止めた。顎まで数ミリ。


「素人相手だと、死ぬ」


僕が言うと、思わぬ言葉がにっちから出る。


「死ねばいい」


解放された兄貴が毒づいた。


「できもしねえくせに」


その兄貴が悲鳴を上げる。

腰のあたりを押さえて前のめりにうずくまった。


いつの間にか後ろに回っていたハナキが爪先で彼の尾てい骨を正確に蹴り抜いたのだ。

そのまま彼の横腹を蹴ろうとするハナキ。

にっちが彼女の手を握って引き止め、そしてつぶやく。


「あなたは、いい」


彼を見下ろしてにっちが続ける。


「あなたが望むなら、代わりにわたしがやる」


ハナキがにっちの手を握り返した。


「もういい・・・・・」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


僕は課長に電話して状況を報告する。

課長は今日はもう二人とも帰っていいと言ってくれた。


兄貴は先輩に物資を調達できなくなったことを悟り、薬物が切れた中毒患者のようにガタガタと震えていた。


「自分でなんとかしなさい」


にっちは能面のような無表情で一言告げて踵を返した。


ホームセンターのスタッフさんには警察に届けるのは控えてもらった。

児童相談所には明日連絡することにして、とりあえずハナキと自称していた『セツコ』を一晩保護してやらないといけなくなった。


「僕の家って訳にもいかんしなあ。にっちキミの家は? ご両親とかもし迷惑でなければ」

「キヨロウさん。うちは皆さんが思ってるような家庭じゃないんです」

「・・・・すまない」


にっちがセツコに強烈なシンパシーを抱いていることから、彼女の境遇もまた不遇なんだろうということが想像できた。


「ホテルに泊まりたい。にっちも一緒に」


セツコが言った。


すると、にっちが僕の顔をじっと見つめる。

なるほど。まあ、それもいいかもしれない。

にっち一人に押し付けるわけにはいかない。

とりあえず一晩だけ三人で過ごそう。


「せっちゃん」

「ちゃん付けはいや。家でも最初そう呼ばれてたから、いや」


彼女は拒んだ。そしてこう言った。


「せっち、って呼んで」

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