捨てられた子猫みたいな僕ら
万引き犯としてホームセンターに捕えられていたせっちをこういう形で解放し、なぜか今一緒にいる。
とても深甚なDVを受けていると思われるせっちのために僕は児童相談所に通報するつもりだけれども、せっちはせめて一晩、にっちや僕と過ごしたいという。
今日初めて出会ったばかりなのに。
「はい、今夜はもう遅いですし、セツコさんもとても疲れてるようなので。今夜は僕らで一晩預からせていただいてよろしいですか?」
『あーあー。よろしくお願いするわ』
切れた。
携帯の向こうの母親の声はとても若い、けれどもどんよりと濁った音質だった。初見の男から『娘を預かる』という内容の連絡を受けても全く動じず平常心のせっちの母親に、それこそ僕は『あーあ』というため息を心の中でつぶやいた。
さて、次は一応未成年のにっちの家だ。
「近藤さんのお宅ですか? わたくしステイショナリー・ファイターのキヨロウと申します。
『・・・・・・・・』
はい、とも、うん、とも返事がない。
にっちが教えてくれたのは自宅の固定電話の番号だったので、父親か母親かも分からない。
もう少し情報を与える。
「あの、宿泊するのは会社指定のビジネスホテルです。きちんとした仕事用の定宿ですのでその辺はご安心いただければ・・・」
『好きにせえよ』
切れた。
女性の声だった。『好きにせえよ』、というセリフの前に、しゅーっ、と深く息を吸い込み吐く気配があった。タバコを吸う女性なのだろう。
なんだか、せっちの家と似通った感覚だったな・・・
「・・・すみません、キヨロウさん」
「お母さん?」
こくん、と頷くにっち。それ以上は僕も訊けない。
はあ・・・
よし、あそこ行くか!
「にっち。僕に運転させて」
そう言って僕はにっちからキーを受け取り水色のフォルクスワーゲンをスタートさせた。助手席ににっち、後ろにせっち。
「あれ? キヨロウさん、ポータル・ホテルは大通りですよ?」
「いいからいいから」
そう言って僕は大通り手前の準幹線道路を左折して親水公園への導入路を走らせる。敷地内に併設される美術館、オープン・カフェ、そしてライトアップされた川面にブルーのフォルクスワーゲンが映り込んで、せっちはバックシートで乗り出すように車窓の夜景を見ている。
「はい、到着だよ」
「わあ」
せっちも、そしてにっちも、少女にだけ許されるときめいた表情を見せた。
「アーバン・リバーサイド。一応近県では一番格式高いホテルだよ」
僕がやや権威的な紹介をすると早速にっちが心配した声を上げる。
「でもキヨロウさん、経費は・・・」
「そんなの出るわけない。僕の自腹さ」
「そんな、申し訳ないですよ」
「いいね、ここ!」
にっちの眉が下がるのと対照的にせっちは眉も目じりも引き上げて歓喜の声を上げた。
「そうだろ? 実は僕も泊まるのは初めてなんだけどね」
チェックインの時、一応事前に料金を訊いた。
「お一人様××,×××円でございます」
「えっ・・・」
ものすごくかっこ悪いけれども絶句してしまう僕。すかさずホテルのスタッフさんは別プランを提示してくれた。
「ご家族ですよね? えーと。お嬢様お2人? それとも奥様とお嬢様ですか?」
「はは・・・まあ・・・」
「・・・でしたらツインで補助ベッドをご利用になられたらこの料金でお泊りいただけますよ」
僕はにっちとせっちを振り返る。せっちはうん・うん、と激しく首肯している。にっちは顔を真っ赤にして控え目にうん、と頷いている。
「じゃあ、その部屋を」
・・・・・・・・・・・
荷物を部屋に運んでもらった後、最上階の創作フレンチのレストランでディナーにした。レストランの料金にも僕はかなりの精神的ダメージを受けたけれども、明らかに不幸な境遇の小学生の女の子とかわいい職場の後輩のためだ。
頑張ってスタンダードなコース料理をオーダーした。
「うわ、おいしい!」
せっちはおそらく人生で初めて見る食材を使った初めての料理にすべて同じ感想を言った。
まあ、そうだろうな。かわいそうに・・・
けれどもそれよりもにっちがせっちにナイフとフォークの持ち方からテーブルマナーをひとつひとつ教える様子に驚いた。
「せっち、ナイフやフォークは指先で持つんじゃないのよ。こうやって奥まで握りこむようにして・・・」
「へえ・・・」
「・・・なんですか、キヨロウさん?」
「いや、にっちってほんとに何やっても完璧だなって思ってさ」
「? ああ、食事の作法のことですか? 祖母から教わっただけです。両親からじゃないです・・・」
「う、うん・・・そっか」
ワインやシャンパンというわけにいかないので僕はアップルタイザーを彼女たちにふるまった。これもせっちはゴクゴクと喉を鳴らして飲み、にっちは静かに含むように飲む。
おばあさんか・・・
なんとなくにっちはお年寄りに育てられたんだろうな、という印象を入社以来行動や言い回しの端々から感じていたけれども、さっきの母親のあの雰囲気は一体なんなんだろう。おばあさんとは同居じゃないのかな?
「キヨロウ」
「呼び捨てか・・・まあいいや。なんだい、せっち?」
「にっちにあれこれ訊いちゃダメだよ」
「え」
「だって、にっちはわたしとおんなじ体の匂いがするもん」
途端ににっちが俯いた。
それって、男の僕には分からない話なんだろうか。
それとも男とか女とか関係なく、不遇な人間にしかわからない話なんだろうか。
僕はなんだか寂しくなった。
「僕も同じ体の匂いがしないかい」
せっちが目をパチパチさせる。
そして、静かに食事を楽しむ人たちの静寂を割って、ケラケラと笑った。
「する訳ないじゃん! キヨロウは加齢臭しかしないよっ!」
僕は顔を真っ赤にしたけれども、意外だったのは周囲のお客さんたちの笑い声が冷たくなかったことだ。
ふふふ、という、せっちをかわいいと讃えるような温かな雰囲気を感じた。
こういう場所に来る人たちはひょっとしたら普段から節制して人生のささやかな幸せを感じるためになけなしのお金を使ってやって来ているのかもしれない。
そんな夢想をした。
・・・・・・
「キヨロウさん」
「ん? にっち、眠れないのかい?」
ホテルの部屋の備え付けのベッドで、せっちはもう寝息を立てていた。
男の僕は当然ながらソファを使った補助ベッドを窓際に置いてごろんと夜景を観ていたところだった。
「座っても、いいですか」
「ああ、どうぞ」
「キヨロウさん、コーヒーは?」
「うん、もらうよ」
にっちがポットからコーヒーをカップに淹れ、窓際の丸いテーブルにサーブしてくれた。このホテルの上等なコーヒーならにっちも平気だろう。にっちと僕はテーブルを挟んで椅子に座った。
夜景が向こうに見える窓に僕とにっちの姿も浮かび上がり、最新のハイブリッド車の浮き上がるインディケーターのような立体感ある映像だな、とどうでもいいことをぼんやり思った。
「わたし、小学校4年生の時に祖母を亡くしたんです」
「うん・・・」
「祖母が亡くなるまではほんとに素晴らしい毎日でした。朝が来るのが待ち遠しくて、目覚めたらすぐに体もぴょん、って跳ねるように動けてました」
今でも小柄で幼い容姿のにっちの、その子供の頃を更に想像した。
「祖母が亡くなったのを境に世の中全部が反転したみたいな感覚でした。家でも、どうしてか学校でも、わたしは『楽しい』と感じる瞬間がありませんでした」
「辛いことがあったのかい?」
僕は、虐待やいじめという言葉を呑み込んだ。にっちは表情を変えずに答えた。
「言えません」
「そうかい・・・」
僕は軽く落胆した。その感情を見透かしたようににっちは続ける。
「キヨロウさんに、嫌われたくないからです」
でも、これで終わらない。にっちはきゅっと、唇を結んで窓の外に視線を遣り、つぶやいた。
「嫌われたくないっていう言い方訂正します。わたしはキヨロウさんが好きだからです」
僕もそこでやめておいた。好きの意味は知りたくなかった。友達や近親者を好きという感情か万が一恋愛の意味で好きなのかを今敢えて知る必要もない。
ただこうして、にっちとせっちにほんの瞬間でも安らぎを与えることが、今日の僕の男としての役目だから。
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