食物と連鎖

「にっち、昼どうする?」


僕は水色のかわいらしい、けれどもボディに傷や凹みが数知れず刻まれたフォルクスワーゲンの助手席でオーナーであるにっちに昼食のアイディアを振った。


「レイルウェイとか」

「うーん、ベーグルはあの食感がちょっとね」

「じゃあ、ぺぺローチェは」

「ピタブレッドか? にっちはパンが食べたいの?」

「あの。キヨロウさんが2週間連続で讃岐風うどんとおにぎりのセットを強行したのでそれ以外ならいいというわたしの心の声です」

「ご、ごめん・・・なら、ぺぺローチェで」

「はい」


ぺぺローチェのピタブレッドが嫌いなわけじゃない。むしろ、玉ねぎとトマトのカットのサイズが絶妙なこのチェーン店は好みの味だ。ただ、コーヒーが尋常じゃないぐらいに美味しくないだけだ。


「うーーーん」

「キヨロウさん、やっぱりここのコーヒーダメですか?」

「というか、にっちは平気なの?」

「わたしはそもそもコーヒーって飲みませんから。こういうただ苦いだけの飲み物と割り切ってますから味は別に」


そう言いながらにっちはスティックシュガー2本とミルクも2個コーヒーに溶かしこみ、マドラーでぐるぐると白濁した茶色に仕上げた。


「お客がいないね」

「確かに。お昼時ですけどね」

「やっぱりコーヒーが原因か。パンは美味しいのに」


僕がコーヒーの味について言及したところで2つ向こうのテーブルの初老の男性が立ち上がり近づいて来た。薄いブラウンのチェックのジャケット、それこそにっちのコーヒーの色のようなのを着ている。


「すみません、ここのコーヒーの批評をしておられましたね?」

「は、はい。えと。僕もそんなコーヒー通ってわけじゃないんですけど」

「いいんですよ。美味しくないコーヒーを淹れるのは罪ですから」

「はあ・・・」


なぜだかにっちが顔をうつ向けて恥ずかしそうな顔をしている。砂糖とミルクで味をカモフラージュして飲んでいることを気にしてるのかな。


「お嬢さん、貴女を責めるつもりはありません。あなたは何も知らないピュアな方です。あなたに罪はありません」

「罪・・・」

「どうですかな? 本当に美味しいコーヒーを飲みたくありませんかね?」

「あの・・・あなたは何をしておられる方ですか?」

「失礼しました。私、この街の喫茶店組合の組合長をしてます。加平 王令カヘイ・オウレイと申します。カフェオレとお呼びください」


にっちがぱっちり瞳の瞳孔を開き切ってびっくりしている。

カフェオレさん。冗談ではないらしい。


・・・・・・・・・・・・


「・・・キヨロウさん、あまり長く休憩してると業務日誌の辻褄が合わなくなりますよ」

「うーん。でも、喫茶店経営してるならうちで取り扱ってるレジの機械をセールスできるかもしれないし」

「美味しいコーヒーが飲みたいだけですよね?」

「はは。それもちょっとはあるけど」


全面的にコーヒーのためだ。


カフェオレさんの店はすぐ近くだった。今時珍しい駅近くの個店のいわゆる純喫茶と呼ばれる店だ。『カラン』と音のするドアを開けて店内に先導されると穏やかな表情の淑女がカウンターから「いらっしゃいませ」と声をかけてくれた。


「ウチの女房です」

「奥様とおふたりで営業を?」

「はい。夕方からは私と大学生のバイトで閉店までやりますけどね」

「さっきはなんであの店に?」

「敵情視察、ってやつですよ。まああの店については自信を無くしかけた時にいつも行くんですけどね。職業病ですね」


一番忙しいランチタイムに店を空けるのはどうかと思ったがこれなら納得だ。

閑古鳥が鳴くというのはこういう状況なんだろう。店内にはお客が2人だけ。いかにもという疲れ果てた様子の古典的な営業マンと近所のスーパーの制服を着た女性だけ。2人とも店の一番奥の壁際の席に左右対称に陣取り、タバコを吸っている。


「キヨロウさん・・・わたしタバコの匂いはちょっと」

「ご、ごめん、にっち。これもパワハラかな?」

「いえ、キヨロウさんのせいじゃありません。でも恨みます」


恨まれてしまった。

カフェオレさんは僕らをモニター扱いでお店へ招いた。なので有無を言わさずにモーニングから14:00までのコーヒー・トーストセットをサーブしてくれた。


「どうぞ」


カフェオレさんがトーストとゆで卵、そしてバターと苺ジャムの入ったバスケットを2人前テーブルに置く。それからブレンドとミルクピッチャーを僕とにっちの前に置いた。


僕はブラックで、にっちはシュガーポットから砂糖を二杯入れ、ピッチャーのミルクをカフェオレかと思うぐらいの量入れた。


モカブレンドのとてもいい香りがする。


僕とにっちと同時にカップに口をつけた。


「うん!」

「おいしい!」


途端にカフェオレさんの顔がほころぶ。


「ありがとうございます」


どうしてこんなに美味しいコーヒーでこの有様なんだ。値段だってかなり安いと思うし・・・


僕にとってはトーストが添え物なのでぞんざいにバターとジャムを塗りたくる。にっちはなにやら食べる前からしかめっ面をしている。

先に僕が食べた。

トーストには特に思い入れのない僕だけれども、この味は・・・ちょっといただけない。なんと言うんだろう、ただ不味いというだけでなく、なにか・・・


くさいです、このパン」


プレーンでひとかけちぎって食べたにっちがカフェオレさんにズバリと言った。


くさい?」

「あ、すみません、言葉が過ぎました」

「い、いえ、お嬢さん。どういうことか教えてください」

「その・・・このパン、もしかして冷凍してませんか?」

「え、ええ。正直客数がこの状態で仕入れても廃棄処分にしないといけないぐらいなので、ついつい冷凍して使ったりしてますが」

「分煙も甘くて煙の匂いで気付きにくいですけど、冷凍焼けというか、薬品的な匂いが混ざった感じがするんです」

「うーん、それだけでお客に敬遠されるもんでしょうか・・・」

「いくらコーヒーが美味しくてもパンを適当に扱ってたらその感覚ってやっぱり伝わるんじゃないでしょうか。あまりお客さんを舐めない方がいいと思います」

「舐める・・・」

「すみません、生意気なことを申し上げて」

「いえ、お嬢さんの言う通りです。確かにコーヒー職人を気取って舐めてたかもしれない・・・」

「カフェオレさん、他の喫茶店組合の方達は?」

「軒並み廃業してウチともう1店舗だけになったんですよ」


厳しい現実だな。

でも僕らでどうこうできるもんでもなし。

ん? にっち?


「カフェオレさん、思い切ってコーヒーだけにされたらいかがですか?」

「え。コーヒーだけ?」

「はい。そうすれば奥さんもお店に出なくて済むでしょう」

「それは・・・」

「にっち? どういうことだ?」

「奥さん、ご病気でしょう? 左半身が・・・」


にっちの言葉にカウンター向こうで洗い物をしている奥さんを見る。

確かに洗い方がぎこちない。


「お嬢さん、お分かりでしたか」

「はい。似たような症状を見たことがありますので」


あ。

そうなのか。


それに、にっち。まだ続けるのか。


「カフェオレさんは年金は?」

「わたしは今年から受給してます。女房は来年から。ウチは自営なんで2人とも国民年金だけです」

「介護保険とかは」

「・・・店に出てる、って言ったら認定が下りませんでした」

「そうですか。ならば奥さんは店に出ないようにして介護認定を、そうすれば色んな介護サービスが負担少なく受けられるはずです。売り上げは落ちるかもしれませんけど最悪収支トントンに持ってけばあとはカフェオレさんの年金でなんとか生活できませんか?」

「う・・・ん・・・」

「様子を見て閉店時間を早めてバイトもやめてもらったらいいかもしれません」

「・・・人生とは寂しいものですな」


・・・・・・・・・・・・


午後はなんとなく車じゃなく、歩きたい気分だった。カフェオレさんの話じゃないけれども、喫茶店だけじゃなく個店の本屋さんやローカル資本の文具店も壊滅的な状況だ。かつては中心部だったはずのエリアを徒歩でモニタリングしてみることにした。


栄枯盛衰が凝縮された街の中を歩きながら僕は思った。


にっちはコーヒーをごまかして飲む。僕は美味いコーヒーだけを選択して飲む。コーヒーに関してはにっちよりも僕が食物連鎖の上位にいるってことか。

反対に僕は無造作にパンを食べる。けれどもにっちはエネルギー源としてだけのパンは食べない。今度はにっちが僕よりも連鎖の上のランクにいる。


そして、人々は味や経済合理性や雰囲気や様々な嗜好で店を選ぶ。


現代の食物連鎖の覇者は、『顧客』という意識の集合体かもしれない。


「にっち。君の実家は商売やってたの?」

「・・・・・・」

「君のご両親のどちらか、病気なのかい?」

「キヨロウさん」


にっちが足を止めて僕の目を見上げる。


「そこからはわたしのプライバシーの部分です」

「ごめん」

「いえ・・・わたしこそすみません。その内、お話しします」


まだそこまでの信頼はないってことだね。

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