ファイティング・ジャンピング・ウーマン

僕はにっちと待ち合わせて朝を始め、文具店を駆けずり回り、カフェやコンビニや自販機の前での様々なグレードのコーヒーを飲み、時にはコーヒーとチョコレートが昼食であったり・・・


そして午後からも文具店を這いずり回り、時にはライバル社の社員が営業をかけている現場を急襲して取引先を奪い、その反対に敵側からこちらも取引先を奪い返されたり・・・


やがて夕日が暮れて闇が街を包んでも、店頭の灯りがある限りは文具店・デパート・スーパー・書店の文具売り場・100円ショップ・ありとある文具の置かれる『戦場』を転戦に転戦を重ねた。


そして一日が終わる時刻、にっちは水色で傷だらけのフォルクスワーゲンを駆って、僕は濃いブルーのFITで音楽に包まれて、寝るために家へ、帰る。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「にっち、今日は非番だ」

「え。課長、今日は『出社』の日ですよ」


おお、にっち。僕も教えてなかった。僕らは普段プライベートもないぐらいに直行・直帰で『現場≒戦場』を疾走している。そしてにっちの言う通り、今日は週に一度、事務所へ出社してモニタリング課でのミーティングを行い、週間の戦況報告と今後の戦略を確認し合う日だ。


もちろん我が『ステイショナリー・ファイター』社の文具を世のあまたある文具売り場での覇者にする工作活動遂行のために。


でも、にっち。僕らには本当にプライベートはないのさ。

課長の言う『非番』の意味は・・・


「にっち。オフィスに出てきてもらって申し訳ないがこのまま帰ってもらっていい。帰宅するもよし、街でショッピングするもよし。キミの自由だ」

「え・・・それって」

「にっち、あなたを『カンサ』するのよ」

「え? 『カンサ』? あ、『監査』ですか? なんなんですか、それ」

「鏡くんが言ったとおりだ。監査、だよ。キミは自由に振舞ってくれていい。ただ、監査室の人間が勝手にキミが行く公共の場所に『たまたま居る』というだけだ」

「え? え? 課長、それって、まるでストーカー・・・」

「にっち、そうじゃないわ」

「カガミンさん・・・」

「これはあくまでも『監査』よ。『決して面が割れてはならない』っていう任務の特殊性故に、わたしたちのプライベートも奇異で目立つものでなくごく常識的な良民のものかどうかを定期的に、抜き打ちで監査せざるを得ないのよ。業務を一旦ストップさせてね」

「カガミンさんもそれを受け入れたんですか?」

「最初は戸惑ったわ。でも、受け入れざるを得なかった。この仕事を続けるならば。にっち、あなたは文具を愛してるわよね」

「は、はい。文具はわたしの人生の寄る辺です」

「ならば、受け入れるのよ。今日は初回だから課長はあなたの今後の了解も得るために敢えて通知したのよ」


にっち。僕は君を見殺しにはしない。


「課長」

「なんだ、キヨロウ」

「僕も今日、非番ですよね」

「そうだ」

「にっちと一緒に行動して構いませんか?」

「いいだろう。遵法の常識的なプライベートを過ごすのであれば。キミたちがデートしようが、深い仲になろうがそれは仕事の成果を下げるものではない」

「課長」

「なんだね、鏡くん」

「今のはセクハラです」

「・・・済まなかった」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「すみません、キヨロウさん。わたしに付き合っていただいて」

「いいんだ。初めての『非番』なんだから尾行されたりとか不安だし不快だろう。僕も最初はそうだったから」

「ありがとうございます」

「ところで、にっち、どうする? 僕もパートナーの『プライベート』には興味がある」

「キヨロウさん、セクハラですよ」

「ごめんごめん。でも、正直毎日朝から晩まで顔を突き合わせて、時には危険な場面にも遭遇してるのに、ほとんどキミのことを知らないんだ。趣味とか。あと、なんであんなに戦闘能力が高いのか」

「わたしのパンチのことですか」

「ああ。あと、フットワーク? も。キミが素人でないことは丸わかりだけれども」

「じゃあ、それ行ってみましょうか」

「え」


僕が曖昧な応答をする間に彼女は水色のフォルクスワーゲンの運転席に座り、助手席に乗り込むよう僕に促す。

非番まで緊張のドライブとなりそうだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「ここです」


にっちが車を停めたのは街の中心からはやや外れた雑居ビルの前。一見では何のテナントが入っているのか全く分からない看板だらけだ。


「あの看板です。3階の、ビックリマークが三つ並んでるやつ」

「『ファイティング・マン&ウーマン!!!』?」


「まあ、にっち! どうしたの平日の真昼間に。まさか、クビになったの?」

「ち、違いますっ!」

「あはは。冗談よ。にっちがそんなわけないわよね。真面目で一生懸命を絵に描いたような子だから」

「せ、先生。あの、この人はわたしの上司です」

「キヨロウです。いつもにっちがお世話になっています」

「それはこちらのセリフですわ。ウチの子が本当にお世話になっております」


うーん。美人だ。それにこの腹筋! まあ年齢はちょっと分からないなあ・・・以外と行ってたりして。


「あら、キヨロウさん。わたしは一応アラサーなんですよ」

「え、え? すみません、あの・・・」

「キヨロウさん。メッサ先生は相手の心が読めるんですよ」

「え、ええ? にっち、まさかそんなことが」

「あはは。にっちが言っているのはちょっと大げさですけど、敵の心理を読むことは普通にやっておりますわ」

「あの・・・なんの格闘技の道場なんですか」

「『ビート・イット!ぶちのめせ』の道場ですわ」


初めてこういう世界があることを僕は知った。


メッサ先生の道場にはリングもなく、マットもなく、トレーニング用のマシンもない。単に10坪程のフローリングがあるだけだ。

僕はにっちと先生のスパーリングを観戦することになった。


「ギャラリーがいるようですわね」


そう言ってメッサ先生が顎をしゃくる。見ると対面のビルの窓からポロシャツを着た中年がこっちを見ている。以前会った監査室員に骨格が似ていた。


「ではギャラリーのご期待にも応えて派手にやりましょうか。さ、にっち」

「はいっ!」


そのまま静寂と精神統一での対峙が始まると思いきや、メッサ先生はにっちになにやらぼそぼそとつぶやき始めた。


「にっち・・・あなたがあんな目に遭ったのは誰のせい?」

「・・・彼女・彼らのせいです・・・」

「にっち。あなたがその負のループから逃れるためにはどうすればいい?」

「戦って・・・勝って勝って勝ち続けることです」

「勝ち続けるためには? にっち・・・」

「ぶん殴ります!」


うおっ!


ボクシング? キックも入るぞ? あ、目つぶし? にっちがかわした。その目つぶしの指のフォロースルーのまま先生がにっちにデコピン? あ! 直撃だ。にっち、反撃はどうした!? おお・・・そうだ、それでいい。入社の日に僕に打ち込んできた寸止めのジャブ。あの切れ味を持ってすれば先生であろうがそうそう攻撃態勢はとれまい・・・あ! ああっ!?


「ぐっ・・・がはっ!」

「ほら、にっち! 倒れるにはまだ早い! 倒れたらどうなるっ!?」

「彼女・彼らに・・・またお腹を蹴られ続けます!」

「彼女・彼ら? はっ! まだまだ甘い! 彼女・彼らじゃないでしょっ!?」

「うう・・・あ、あいつらっ!」

「そう、それよ! わたしを『あいつら』全員だと思って右を打ち込んできなさい! さあっ!」

「シッ!」


あ、やった!


「あ・・・先生!」

「大丈夫・・・一人で立てるわ」


低い身長を補うべく、にっちは左足のステップを踏み切ってジャンプし、そのままの慣性で右ストレートを先生の左顎にまともにヒットさせた。

ずだっ、と前のめりにフローリングに倒れこんだメッサ先生をにっちは右手で引き起こす。舌を噛んだのか唇を切ったのか、先生は口から血を流していた。

対面のビルを見ると監査室員が職務を忘れ、ただただ純粋なギャラリーとして呆然と戦闘の結末を見ていた。


「先生・・・」

「ありがとう、にっち。キヨロウさん」


メッサ先生はにっちから渡されたスポーツドリンクのボトルで喉を数回鳴らした後で僕に語り掛ける。


「はい」

「戦闘で一番大切なものは何かお分かりですか?」

「執念、ですか?」

「それに近いですね。でも、もっとどろどろしたものです。それは、『怨念』ですわ」

「怨念・・・」

「にっちにどんな過去があるのかは訊かないであげてください。ただの会社の上司であるあたなにそんな権限もないでしょうし」

「ええ。まったくその通りですね」


正しいことだが、なんだか悔しい気がした。


「ビート・イット・・・ぶちのめす、っていうその根性。それは辛酸を舐め、否応なく侮辱・屈辱に晒され、いわれのない差別をさもその子の責任であるかのように思い込まされた者にしかマスターできない格闘技なんです。かくいうわたしも」


メッサ先生の薄い笑いにぞっとした。


「辛酸、舐めつくしてますわよ」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「キヨロウさん、次、どこ行きましょうか」

「ごめん、すごく疲れた。もうお互い帰宅しないか?」

「い、嫌です」

「?」


まさか・・・僕とまだ一緒に・・・


「家に監査室の人を近づかせたくありません」


ああ。そりゃ、そうだよね。


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