ステイショナリー・ファイター

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ステイショナリー・ファイター

近藤 日水流こんどう につる18歳。県立志度シド高校普通科を卒業し、御社・株式会社ステイショナリー・ファイターに内定を経て入社いたしました。そして本日『モニタリング課』に配属となりましたっ!」


クロブチメガネ、三つ編み、低身長、三拍子揃った彼女はビシッとお辞儀した。


「よろしくお願いしますっ!」


すぐに課長のツッコミが入る。


「はいはいはい、ありがとう。まず、自社に『御社』やソレ的な言い回しはNG。当事者意識なしと判断される恐れあり」

「は、はいっ!」

「それからその風貌、改善の余地あり」

「異議ありっ!」


当課随一の良識派、かがみ女史が手を挙げて立ち上がった。


「な、なんだね、鏡くん」

「課長、容姿に関する発言は慎重にお願いいたします。そうでないと私、コンプラ確認書において、『セクハラの現場を見たことがある=YES』で監査室長に提出しなくてはならなくなります」

「ぐうっ!」

「課長、近藤さんに対する不適切な発言を取り消してください」

「わ、わかった。私が軽率だった。すまなかったね、近藤くん。『無かった事』にしてくれたまえ」

「え、はい、え」


まあいいや。

課内随一のコミュ力を誇る僕が引っ張っていくしかないだろう。


「じゃあ近藤さんは今日から『にっちゃ』・・・」

「シュッ!」


うわ!


えっ!? 今の、ジャブだよな、見間違いじゃないよな!?


「女子の名前としてもおそらく男子の名前としてもそうそうありそうもないこの名前に対してそんなありきたりな呼び名、やめてくださいっ!」

「え? にっちゃんじゃ、ダメ?」

「虫唾が走ります。そもそも『にっちゃん』と呼ぶなら日水流につるなんて誰も解答できないような漢字で届け出るべきじゃないんですよ! 両親の無思慮さを唾棄しますっ!」


唾棄・・・?

いやいやいや。そんなことよりさっきこの子は間違いなく僕に寸止めのジャブを放ったよね?

少し尋常じゃない。いや、大幅に常軌を逸してる!


「近藤さん、ではあなたはなんと呼ばれたいの? 本人の意思を尊重するの

一番いい解決方法だわ」


解決? なんか解決するようなおおごとってあったっけ? 鏡さん、何言ってんの?


「はい、『にっち』と呼ばれたいです」


に、にっち? クロブチメガネ、三つ編みおさげ、低身長、の三拍子女子へのニッチな需要は男子の間で不滅だとでも主張したいのか!?


「なるほど。近藤さんの気持ちは分かるわ」

「分かっていただけますか!」

「もちろんよ。つまり、愛称として『にっちゃん』というのはアリだけど、社会人・・・大人の女性として、『ちゃん』付けはいかがなものかと」

「先輩、さすが社会人、企業人ですねっ!」

「カガミンと呼んでね。では、にっち、今日から共に戦いましょう!」

「はいっ!」


まあともあれ、にっちは早速社会人として初めて与えられた自分のデスクを手際よくセッティングする。


僕は一言、


「見事だ」


課長も鏡さんも太鼓判を押す。

これぞ文具メーカー社員のお手本のような整理整頓ぶり。


「はい。細かな備品まで視認せずとも指先の感覚だけで取り出せるよう配置しました。わたしは小学生の頃から整理整頓に命を賭けてきました。部屋も、机も、学校のロッカーも、下駄箱すら。文具は未整理で取り乱れた世の秩序を回復する生命線だと思っています!」

「よし、よく言ったわ! あなたはもうステイショナリー・ファイターの戦士よ!」

「よし。では課の責任者である私からにっちに社会人初の業務命令を下す」


課長が厳かに声を放つ。


「出動!」

「はい!」

「サポーターとしてキヨロウも同行!」

「了解!」


僕とにっちはビルの地下パーキングへダッシュした。

走りながらにっちに説明する。


「にっち、僕らの任務にプライベートはない。直行・直帰が基本となる。しかも一般人であることを強調するためにも移動には自分の車を使う」

「はい」

「君のマシンは?」

「はい。フォルクスワーゲンです」

「そうか。色は?」

「水色です」

「よーし。かわいらしくしかもとても良識的な選択だ」


が。

美しく可憐なはずの水色のフォルクス・ワーゲンは見るも無残な姿だった。


「にっちはいつ免許を取った?」

「昨日です」

「ええと。にっちの誕生日は?」

「4月1日」

「うっ・・・」


またか。

同期入社だった高卒のあの子もその魔の巡り合わせで退社していった。

4月1日はつまり1日前の3月31日生まれと同じ学年に吸収される。つまり、究極の早生まれなわけだ。

にっちは正真正銘、社会人になってから18歳の誕生日を迎え、昨日免許を取った。

そして開けて月曜の今日というわけだ。


「にっち。バンパーが四方向とも凹んでいるけど」

「あ、今朝家の車庫で一通りぶつけました」

「運転席側のドアは」

「道路に黒猫が飛び出したので停車して、確認のためにドアを開けたら電柱にぶつけました」

「屋根の上をこすっているのは、何故?」

「高架の下をくぐったら自転車専用の通路だったんです。だから天井を擦りました」

「わかった」


車の運転もOJTだ。

僕は助手席で祈りを捧げた。


・・・・・・・・・・・・・・


最初の戦闘地点にたどり着くまで、にっちは更に5箇所車のキズと凹みを増やした。

もはや僕のやるべき作業は対人事故の危険に対して躊躇なくブレーキを助手席から踏み込むことだけだ。


最初の戦地に着いた。


「キヨロウさん、個店ですね」

「ああ。今時珍しいロードサイドじゃない駅前の個人経営の本屋さんだ。文具も取り扱っててうちの商品のシェアが低いとマーケティング部から要請があった」

「あ。あの男のお客さん、文具コーナーへ行きましたよ」

「よし。僕がやってみせるから店の隅から見てるんだ」


そう言って僕はアタッシュ・ケースをビン、と開けた。


「えっ、メガネにウィッグ? 変装するんですか?」

「ああ。この仕事は絶対に面が割れたらいけないからね」


だから車も避けたいんだけど。


思った通りスーツ姿の男性客は営業周りの途中でペンを買おうと立ち寄ったようだ。束ねて紐でぶら下げられた紙に試し書きを始めた。

その彼が舌打ちする。


「ちっ・・・何が『ファイター』だ。こんな道具じゃ戦えねえよ」


ウチの花形商品をけなす呟きを始めた。確かに紙の上に走らせたインクは所々かすれている。

僕はすっとその隣のスペースに立って、もうひと束あった紙に同じ品番のペンを取って試し書きを始めた。


「うーん。ステイショナリー・ファイター、なかなかいいな」


男性客が僕の紙を覗き込む。


僕の紙には見事な曲線と直線が交互に三本描かれている。僕は次にシェアトップの他社ペンを手にする。


「うーん・・・こっちはダメだな。ペン先が引っかかっちゃって。やっぱ『ファイター』だな」


男性客がもう一度試し書きする。


心持ち丁寧に書いたからなのだろうけれども何度かやって綺麗な曲線を描いた。一応彼の中では納得できたのだろう。うちの商品を手にとってレジへ向かった。


「よし、任務完了だ。行くよ」

「1人だけでいいんですか?」

「ああ。彼はたった1本のペンを『戦う道具』と言い切った。口コミやSNSでの影響は大と見た」

「は、はい」

「それに一つの店で長居は不自然だ。僕らがメーカーの回し者だと絶対に気づかれちゃならない」

「了解です」


・・・・・・・・・・・・・


2店舗目はデパートの中の文具コーナーだ。街中やディスカウントストアにある文具コーナーと違い、万年筆、手帳、ステイプラーまでがワンランク上の商品群だ。顧客層もスジがいい。

しかもデパートなので他の売り場の客も混じり、僕らが目立つリスクも少ない。彼女の初任務としたらうってつけだ。


「にっち、君の初陣だ」

「はい!」

「ただ、セクハラのつもりは全く無いんだが課長が言った通り君の風貌は却って目立つ。初変装も挑戦してみるか」

「は、はいっ!」


そう言って彼女は僕の前であることにも特に頓着なく、メガネを外し三つ編みを解いた。


「うお・・・!」

「キヨロウさん、どうしました?」

「い、いや・・・」


驚いた。

メガネと三つ編みという属性を取り去って現れた彼女の『素顔』。

ここまでの整った顔立ちとは。

幼さと凛々しさのバランスが絶妙な雰囲気。言葉をどう慎重に選んだとしても、『可憐』という単語しか思い浮かばない。

こっちの方が間違いなく目立ってしまう。


「あの・・・キヨロウさん?」

「ああ・・・ごめん。じゃあ、このフレームの軽い感じのメガネかけて」

「え、やっぱりメガネですか」

「ああ。何種類か度が入ったやつあるから・・・見えないでしょ」

「はい・・・実は結構近眼で」


それでもにっちは人目を惹いた。

にっちを振り返っていく大学生風の男子が何人もいたし、大体文具売り場の男性スタッフ自身が反応している。今後のにっちの課題だな。とにかくまずは初仕事だ。


「きゃあっ!」


文具コーナーと反対のインテリア・キッチン用品売り場から若い女性の悲鳴が上がった。

おそらく売り場のものだろう、やはり若い男が小さな果物ナイフを手にして女性を背後から抱えるようにしている。状況から見て強盗の類ではないだろう。この時代一番考えられるのはストーカーか。


「わたし、行きます!」

「あ? にっち!?」


にっちがすすっ、と女性と男の前に進みでる。


突然現れた小柄な、まだ『女の子』と呼べそうなにっちの出現に、男は一瞬虚を衝かれる。


瞬間、にっちの姿が消えた、ように見えた。


「げふっ!」


瞬間移動のように男の側面に位置を移していたにっちは、周囲があっ、と声を立てる間も無く左拳を男の脇腹に突き立てていた。


思わず悶絶して手をほどく男。女性はその隙に脱出できた。


だが、男はまだナイフは手放していない。乾いた目がにっちの姿を今度は明らかに敵意と憎悪を持って捉える。


さっきの動きでにっちが素人ではないことはわかった。ただ、なんといってもまだ高校を出たばかりの華奢な女の子の拳だ。しかも小柄なにっちでは背の高い男の顔面や顎を捉えるのはかなり難しいだろう。革ジャンを着込んだ男の胴にパンチを入れても、ナイフの反撃を受けるリスクが大きい。


僕は咄嗟に文具売り場に走った。そして、我が社の商品を手に取った。


「にっち、これを使え!」


シュッ! と僕はにっちにそれをトスする。にっちはすぐさま僕の意図に反射し、それを右拳に握り込んだ。


「シッ!」


まるで蜘蛛のような敏速なフットワークで男の胸ぐらに飛び込み胸骨の辺りに右ストレートを打ち込んだ。


「がはっ!」


と言ったきり、卒倒と言った感じで床に横倒しになり、そのまま声も出せずに呻くばかりだった。


僕が投げたのは我が社で最も重く固くしかも高価なペーパーウェイト。

それを握り込んでまさしく『鉄拳』と化したにっちのパンチは男の肋骨ろっこつを5本も粉砕していたと後で聞いた。


・・・・・・・・・・・・・・


さすがに帰りのワーゲンは僕が運転してやった。


「にっち、デパートで写メ撮ってる人いっぱいいたろ。拡散されてないかな?」

「ちょっと見てみます。わ!!」


スマホをスクロールしながらにっちが叫んだ。


「『デパートに美少女ファイター出現!』・・・だ、そうです」

「? あんまり嬉しそうじゃないね?」

「わたし社会人ですよ、『少女』だなんて。それに」

「それに?」

「ウチの商品に触れたツイートがひとつもありません!」


にっち。もう立派な文具戦士だよ。

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