第4話 記憶の隅に残る面影
二人が家の中へ入ると、パタパタと一人の少女が出迎えた。
「おかえり、なさいませ…雨に、降られましたか」
「ただいま、
「わかり、ました」
たどたどしく話す少女は、響夜の頼みを聞き入れ、奥へ入っていく。そしてすぐに大きめの手ぬぐいを二枚持って、二人のもとへ戻ってきた。
「こちらで、よろしいですか」
「ありがとう。あと、囲炉裏の火も焚いておいてくれるかな」
「はい」
「…先生、体拭いてください。風邪ひきます」
「そう、ね…ありがとう」
「笠も外しますよ?」
「ん…」
「…桜香さま、どうかなさいました、か?」
帰ってきてから口数の少ない桜香を、紅香が心配して駆け寄る。桜香は、そんな紅香に対し、母親のように優しく微笑む。
「私は大丈夫。心配してくれてありがとう、紅香」
「食事はどうします? この時間に食べるのも…」
「お粥くらいならいいんじゃないかしら。そこまで重くならないでしょう?」
「わかりました。準備しておきます。先生は温まっていてください」
「ワタシも、お手伝い、します」
「ありがとう、二人とも」
この三人の空間は、非常に穏やかなものだった。それも、先刻おぞましい怪物と化した人と対峙していたということも忘れてしまいそうなほど。
ほどなくして、響夜と紅香が食事を運んで囲炉裏を囲んだ。運ばれてきた茶碗によそわれた粥を受け取ると、桜香と響夜の二人が手を合わせて食事を始めた。その傍らでは、紅香がじっと正座して見守っていた。
「…あまり見られると食べにくいよ、紅香」
「申し訳、ありません。でも、他に何をしましょう」
「そうね…お風呂とか、水に触れることはさせられないし…」
「いつも忘れそうになるけど、"紅香は
「はい、ワタシは、械樞で作られた、人形、です」
響夜が苦笑する中、紅香は表情一つ変えずに答えた。彼女は、見た目は十代の少女だが、本人の言う通り、桜香たちと同じような人間ではなく、械樞で作られた人形なのだ。そのため、食事も取らなければ、水に触れることも危ういのであった。
「確かに械樞かもしれないけど…ちゃんとこうして一緒に生活している時点で、家族も同然よ」
そう言って桜香は箸を置いて、紅香の方へ向き直る。そして、彼女の髪を優しく撫でた。
「…そろそろお手入れもしないといけないわね。お風呂入った後でいい?」
「はい、お願いします」
「あ、じゃあ風呂の準備も僕がしておきますよ」
「えっ、そんな全部しようとしなくていいのに…」
「いいんですよ。僕がそうしたいだけなので」
先に食べ終え、食器を片づけに立ち上がる響夜。そのまま奥の方へ入っていき、風呂の準備をし始めた。その様子を、そのまま見守るだけになってしまった桜香は、再び紅香の方へ向き、ぽつりと呟いた。
「…ごめんね、紅香。あなたの
「ワタシ、は大丈夫、です。響夜さま、は、響夜さま、です」
「そうね…」
「桜香さま、も、元気出して、ください」
「ふふ…ありがとう」
紅香の言葉に、桜香は自然と笑みをこぼす。そして、ふわりと小柄な少女を抱きしめた。
(響夜が記憶を失って二年…これと言って大きな変化は無い…あんな風に言っていたけど、機樞とはいえ紅香にも意思が宿ってる。不安が全く無いとは思えない…)
考えながら、桜香は響夜が入っていった奥へと視線を移す。
("奴"に見つかる前に、響夜の記憶を戻す方法を見つけないと…)
思考を巡らせる桜香の脳裏には、今とは違う響夜の姿がよぎっていた。それと同時に、思い出したくもない記憶も蘇っていく。
事件が起きたのは、二年前…ちょうどこの日と同じ、嵐に近い雨の日だった──…
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