最終話 家族
その後、太は館で兄弟と姉妹の結婚式を見届けたあと、一人で元のアパートに戻った。
はにかみながら青年の肩に顔を押しつける白いドレスを着た美里と、愛おしげに首輪を見下ろす同じく白いドレスを着た美優に、まだ、消化できないものを感じはしたものの、必要以上に取り乱すことなく、目の前で行われる、自分とはやや縁遠い幸せの形を見届けた。主はどこまで本気だったかはわからないが、館に残らないかと提案してきたが、太は丁寧に辞してから元の生活に戻った。脳裏には妻の無感動な瞳がこびりついており、もしも、姉妹に同じような目を向けられたとすれば、耐えられそうもなかった。なによりも、新郎新婦にとって自分はただの邪魔者でしかないだろうという予感が強くあった。
それからしばらく、なにもない日々が流れた。職場とアパートを行ったり来たりする、ただただそれだけの日常。違いは、生活を彩っていた姉妹がいないことだけ。その一つの違いに、太は埋めがたいを寂しさを感じてはいたものの、生きている以上、毎日が続くのは避けられない。
俺はいったい、なんのために生きているのか。かつてはほとんど疑問に思ったことがない事柄が、時折、頭をちらついた。かつての太の生甲斐は、結婚したばかりの時は妻との平穏な生活であり、姉妹が生まれたあとはその世界が二人にももたらされるようにと祈って、毎日をしがみつくようにして過ごしていた。今の太からはその両方が失われ、ただ、幾許かの寿命が残されるのみである。妻と結婚する前はなにをしていたのだろうかと考えた際に出てくるのは、今では特に面白く感じられない、その場その場の友人たちとの馬鹿話やふざけあいくらいなものであった。そうした友人たちとの付き合いは、娘たちの世話をしているうちに絶え、今では年賀状のやりとりがあるくらいである。趣味らしきものもあった気がしたが、もう思い出せなくなっていた。
必然的に、職場の付き合いに加わるようになった。娘たちの結婚は、社長を通して多くの社員に伝わっていたため、はじめの方は同僚たちにはえらく気を遣われ、普通にしてくれ、と太の方が恐縮してしまうくらいだった。どうしてもという時以外、断りをいれていた平時の飲み会は久々で、酒が入れば太もまた少しだけ愉快な気分になったが、心にぽっかりと空いてしまった穴がどうにかなるわけではなく、どことなく乗りきれない部分があった。とはいえ、他にすることもないため、その付き合いは絶えることはなく、似たような日々を一年半ほど送った。
*
さほど大きくないアパートの一室をいまだに広く感じ続けていたある日、太が自宅に帰ると、
「お久しぶりです」
見覚えのある女が不機嫌そうな顔で出迎えた。少し間を置いて、あの館の召使いだと思い出す。そしてそれ以上に目を惹いたのは、女の背中と腕の中で泣く二人の赤ん坊だった。
それを見て、太はおもむろに事態を察する。姉妹が結婚してからすぐに学校を自主退学したというのは、大学と高校から連絡で知っていた。赤ん坊たちの顔からうかがえる面影からするに、つまり、学校を辞めてからしていたことを嫌でも理解させられる。
「お久しぶりです。その子たちを私に見せにやってきてくれたんですか」
その子たち、の部分をついつい、孫、と言ってしまいたかったが、この召使いは決していい顔をしないだろう、と思いやめる。女は淡々とした声音で、それもあります、と前置きしてから、
「実は美里様と美優様が二人の可愛らしいお嬢様を産んだあと、お坊ちゃまたちと二人きりにしてほしいと聞かなくてですね」
恥いるように口にした。それを聞いて、太は、姉妹への教育を間違ってしまったのかあるいは真実の愛とやらはそれだけ大きなものなのだろうか、と思ったあと、
「つまりは、私に育てて欲しい、というお話しなのでしょうか」
と問いかける。召使いは不承不承といった調子で頷き、
「正直なところ、私としては反対なのですが、同じく自分たちの愛に夢中なご主人様が、あなた様が寂しがっているだろうから、と」
そのように説明した。太は、相変わらずな館の主とその妻の態度に、子供をおもちゃかなにかと勘違いしているのではないのかという憤りをおぼえたが、あの二人になにを言ったところで、自分たちの思うとおりに過ごすだけだろうと察し溜め息を吐く。
しかし、主の物言いも間違ってはいない。
「美里と美優の娘ですから、力になりたいのはやまやまなのですが、仕事の関係で赤ん坊二人の面倒をみるというのは難しいと思います」
美里と美優の時は、姉がある程度しっかりしていたからこそなんとかなった部分がある。今回は赤ん坊なのだから、勝手が違いすぎる。そう主張してみせると、召使いはあからさまに溜め息を吐いた。
「そのために私がここにいます。もちろん、そんなまだるっこしいことをするよりも、私が館で育てると提案したのですが、旦那様はあなた様に育ててもらうのがいいと」
つまりはここで四人で暮らすということだろうか。その瞬間に太の頭に浮かんだのは、かつての妻と姉妹二人が揃っていた決して長くない時間のことだった。慌しくも、ほのかな幸せがそこら中にあった、そんな日々がもしも戻ってくるのならば。
「そう言うことでしたら、引き受けさせていただきます。どこまで、お役に立てるかわかりませんが」
「無理はしなくてもいいんですよ。あなた様はお疲れでしょうから、私一人に任せてくれれば」
淡々とした突き放すような声音に、太は苦笑いをしながら、これからのことを頭に浮かべる。いずれ、美里と美優と同じくあの屋敷の人間が二人を取りあげにやってくるだろう。それがいつになるかはわからない。ただ、あの姉妹が産んだ娘が、どんな子になるかを見届けたい。そう思いながら、抱かせてくれませんか、と両手を伸ばした。その際に目に映った、二人の赤ん坊のあどけない顔が、それぞれの母親の幼い頃を思い出させた。
館の犬 ムラサキハルカ @harukamurasaki
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