第11話 迎え
翌日の十時頃、館から迎えが来た。閉ざされていた玄関扉が開くと、黒いスーツで身を固めた老執事が一礼してきた。
「昨日深夜、坊ちゃまと美里様は籍を入れられました。まあ、真実の愛の前ではそれもまた瑣末な問題ですな」
その一言を耳にして、太は頭に血が昇りそうになったもののなんとか押さえこむ。隣を見やれば、下の娘が今にも掴みかかりそうな雰囲気を醸しだしながら執事を睨みつけていたので、今は抑えておけと囁くと、不機嫌そうに老人から目を逸らしてしまった。太はしょうがないかと思いつつ愛想笑いを浮かべ、あなたの勤める館のお坊ちゃまはいささか非常識すぎやしませんか、と尋ねかける。この年配の男に言ったところで事態が好転することはないだろうと理解していたものの、あの兄弟の関係者であるということと、聞きたくもない情報を伝えた本人であるということが、太の神経を逆撫でしていた。
「はて、そうでしょうか。少なくともわたくしの目に映ります坊ちゃまは、美里様に対して最大限の敬意をはらいながら接しているように見えます。坊ちゃまの行動は、すべて美里様に歓んでいただきたいという一念からのものにほかなりません。その気持ちを形にしようというのが、本日の結婚式なのです」
「それが非常識だというのです。私はまだあなたのところのお坊ちゃんを認めてはいませんが、仮に認めていたにしても、結婚式というものはもっと時間をかけてなされるものです。その点においても不満は多々ありますが、お宅のお坊ちゃんはそれだけではなく、判子や携帯電話を盗んだり、電話線を切ったり、私たちを閉じこめたり。どれもこれも犯罪ですよ。自分のわがままを通すためならば、罪を犯していいという教育を、あなたがたは行っていたんですか」
ついつい声に力が籠もりすぎてしまった我に帰る太の前で、執事は考えるような素振りを見せたあと、すぐさま顔をあげる。
「たしかにその点に関しては坊ちゃまにも非があると言えるかもしれません。ですが、どれもこれも、若さのほとばしりと思って見守れば可愛らしいものではありませんか」
無邪気に微笑む老人を見て、太はその正気を疑った。しかし、どうも真剣に言っているらしい。
「健全な若者たちが自分たちの意見を持ち、それを通すために旧世代の人間とぶつかっていくというのは、わたくしたちの時代からの定番というものです。昨今の若者は醒めているという風潮に反して、そんな昔懐かしい若者が現われたと思えば胸が熱くなるというものです」
「れっきとした犯罪者を可愛いなどと言って擁護するんですか」
「その犯罪と言われたものにしても、微笑ましいものではないですか。たしかにお二人には多少の面白くなさと不自由さを抱えさせてしまっているかもしれませんが、直接誰かしらに傷つけられたということはないのでしょう。それともわたくしたちがやってくるまでの間、衣食住においてなにかしらの問題が発生しましたでしょうか。その辺りは、坊ちゃまもお気を遣われたと思うのですが」
老人に言われて思い起こしてみると、たしかにあの青年のしでかしたことによって、生活そのものに対して不自由が発生したわけではない。閉じこめられた時間帯の多くは外に出ないのだから、普段通り生活するだけであれば問題はなかった。だが、
「現に私や娘は職場や学校に行けないという実質的な被害を受けています。しかも、行けない理由を告げようにも、先程、言ったとおり電話も取りあげられてしまいました。これなどは、明らかに実質的な問題と言っていいでしょう」
「ご安心ください。そのことでしたら、勝手ながらわたくしどもがあなたさまの会社や美優様の学校にご連絡をさせていただいたうえで、本日のお休みの許可をとらせていただきました」
閉じこめられたままでいる間、太の頭の片隅に引っかかっていた問題の一つは、他者の手によってあっさりと解決されてしまったらしい。元々、昨日、上の娘の結婚式をぶち壊そうと決めたあと、なんとかしてでも休暇をとらなくてはならないと思っていたため、手間が省けたと言っていい。とはいえ、このような唐突な休暇ともなれば、同僚たちの目が多少なりとも気にはなったが。
「あなたさまの会社の社長さんに美里様の結婚式のことをお伝えすると、とても喜ばしいことだといって快諾してくださいましたよ。いやいや、さすが一つの会社をまとめる大人物です。とても気の良さそうなお方でしたな」
そんな太の心を読んだように、老人は社長との会話の一部を楽しげに話してみせる。
「なにを勝手なことを言ってるんですか。私はまだ認めてませんよ」
勝手に外堀を固められているという意識が、太を熱くさせた。そんな太の心情を知ってか知らずか、執事は静かに微笑んでみせる。
「いい加減お認めになられたらいかがですか。一度、決まってしまったことなのですから、もう後戻りはできません。幸い、本人同士は愛しあっているのですから、あとはあなたさまがお認めになればすべて丸くおさまるのですよ」
「あたしも認めてないよ。認めるつもりもないけど」
見れば、先程までそっぽを向いていた下の娘が再び老人を睨みつけていた。
「そうでしたな。まだ美優様も、この結婚に同意されていないということでした。しかし、わたくしにはお二人の感覚が理解できませんよ。たしかに、多少の抵抗があるのはいたしかたないのかもしれませんが、あなたがたにとって大切な人が幸せになれるというのだから、なにを迷うことがあるんですか」
「その幸せとやら、胡散臭すぎるでしょ。あたしの知っているお姉ちゃんはもうちょっと慎重な人だし、仮に結婚するとしてもあたしたちに前の日まで言わないはずはない。どうせ、あんたたちがお姉ちゃんを騙してるんでしょ」
父親以上の怒りを露にした美優は老人にがなりたてるが、執事は依然としてにこにこしている。その後も下の娘が昂ぶる感情を言葉にしてぶつけ続けたが、老人の表情には少しも変化がない。あの兄弟ともども、不気味な連中だと、太は思う。そして、下の娘が息を切らしはじめたところで執事はぽつりと、お若いですな、と漏らし、
「あなたはまだお若い。お若いという点では美里様も同じですが、真実の愛に目覚めたという一点において、あなたたちとは異なっている。もちろん、愛に目覚めていないことが悪いというわけではありません。すぐに美優様にも理解できることでしょうしね」
などと言ってから一礼すると、静かに踵を返した。激昂して、待ちなさいよ、と叫びだす下の娘に、もうそろそろ時間いっぱいでございます、と老人は応じる。それを耳にして太は、自分の与り知らぬところで進む事態に歯痒さを覚えながらも、とにかく上の娘を取り戻すためにはまず館に乗りこまなくてはならないと言い聞かせ、下の娘にとりあえずは付いていこうと目で促す。美優は不満げに頷いたあと、戸締りをはじめた。その下の娘に先んじて執事に付いていった太は、アパート脇につけてあるリムジンを目にしたあと、溜め息を吐いて天を仰いだ。そこには清々しすぎる青空が広がっていた。
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