第5話 穴
少年と夕食をともにとるようになって五日が経った。その日、太が帰宅すると、出迎えた上の娘がどことなくさみしげな表情を浮かべている。なにかあったのか、と尋ねると、美里は、今日は公園に少年がいなかったことをぽつぽつ話した。太は肩透かしを食らった気分になりながら靴を脱ぎはじめる。
「きっと、今日は親御さんが早く家に帰ってきたんだろう。良かったじゃないか」
正直なところほっとしながら、太は上の娘に微笑みかける。美里は大きく頷きながらも、浮かない顔をしたまま台所へと向かっていった。その後ろ姿を見送ってから、ゆっくりと居間まで歩いていくと、下の娘がクイズ番組を見ている。
「お帰り、今日はけっこう早いんじゃないの」
振り向きながら言った美優に、太は気のない返事で応じてから腰かけようとする。その際、ここ数日の常で美里の隣に腰かけそうになったのにはっとさせられた。すぐに太はテレビに視線を送っている下の娘の隣まで移動するものの、自らの定位置に穴が空いた気がしてどことなく落ち着かない。そうしている間に、胡乱な目をした美優が、なにぼさっとしてるのなどと言ってきたので、少々慌てて腰かけてから溜め息を吐く。
「いつも通りに戻ったんだよ」
画面に目線を注いだまま、下の娘がぼそりと呟いた。小さな声だったため、芸人やタレントの喧ましい笑いにほとんど打ち消されてしまったが、太の耳にはしっかりと入ってくる。後ろから横顔を盗み見ると、美優はいたって楽しげな顔をしており、太もまたそれに安堵し、そうだな、と答えた。
たしかに太が望んでいたのはこの三人で過ごすひと時のはずだった。上の娘もお気に入りの少年の不在にさみしさを感じているのだろうが、少し時を積み重ねればいつも通りの日常に呑みこまれ、いずれは気にならなくなるはずだ。むしろ今は、疲れ気味だった下の娘が元気を取り戻したことを、歓迎すべきだろう。
なのにもかかわらず、胸にぽかりと空いた穴は、太をどこか落ち着かせなかった。たった数日ではあっても、あの大人びた少年がこの家に残した痕跡は大きいということだろうか。そんなことを考えつつ、下の娘と一緒にテレビに目をやるが、笑い声や中身のない会話がいつにもまして空虚に感じられた。
その後、何事もなく美里が夕食を作り終えたの機に、太はだらけようとする美優とともに、箸とスプーンを並べたり、冷蔵庫からケチャップを取りだしたり、三人前のオムライスにサラダとスープを運んだりした。
美里の、いただきます、という掛け声ではじまった食事は、いつも通り太の味覚を満足させる。自然と口から出てきた美味しいよ、の台詞を耳にしても、美里はぼんやりとしたままだった。美優もまた合間合間にスプーンを下ろしては、今日学校であったことなどを楽しげに話したはしたが、姉の手応えがないせいか、首を捻っている。かくいう太もまた、いまいち調子の出ていない娘たちの様子を絶えず気にしながらも、ちらりと上の娘の横にある誰もいない空間を見てしまう。つい昨日まであそこに座っていたことが冗談みたいな気がした。多少大袈裟ではあったが、数年ぶりに腰をかけた席というのはそれはそれで印象深いものだった。
段々と料理の味すらあやふやになりそうな気がしながら、太は娘たちの調子ができるだけ早く戻って欲しいと強く願う。その最中にも、美優の話に時折空く妙な間や、お酌をしてくれている美里の浮かない顔を横目で見ながら、せかせかとスプーンと口を動かし続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます